新宿西教会主日礼拝説教「まかせられた」ロマ1:24~28ロマ書講解⑬ 深谷春男牧師

2月13日(日)主日礼拝説教「まかせられた」人間の罪ーその2性的混乱

聖書箇所:ローマ人への手紙1:24~28 

説教者:深谷春男牧師

 吉祥寺教会の牧師であった竹森満佐一先生は、「ロマ書講解説教1」の中で、ある中国人が、米国の宣教師からこの箇所を説教で聞いたときに、「この宣教師は2000年前のヨーロッパの聖書の話ではなく、彼は現代の中国の世相をそのまま語っているに相違ない」と疑ったというエピソードを語っています。しかし、わたしどもが、ここを読んだときに、中国の人が感じたと言うこと以上に、日本人の現状、ここ新宿、歌舞伎町の現状描写と受け取ることになります。いや、神を神として礼拝していないところはどこででも同じような現実があることでしょうか。

【聖書個所の概略と構造】

ローマ人への手紙の第一章は、以下のような構造になっています。 

 1‐ 7節  手紙の序文1……・自己紹介と福音紹介

 8‐17節  手紙の序文2……・ローマ訪問計画・主題への導入

18‐32節  本題に入る…………神の怒りの啓示

  今回は、24-28節を通して、「人間の罪ーその2 性の混乱」ということを学びます。18節から、いよいよ、パウロは本題に入りました。内村鑑三はロマ書を大伽藍に喩えましたが、ここから、大聖堂3棟のはじめに入ったことになります。更に詳細に分類するとこのようになります。(内村鑑三による)

第1段(18-23節) 知   悟性の乱れ(偶像崇拝・霊的な混乱)

第2段(24-27節) 情  情性の乱れ(汚れ・特に性の問題)

第3段(28-32節) 意  意思の乱れ(不義・ゆがんだ心と悪徳)

 

【メッセージのポイント】

1)24 ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。(24節)

  ⇒ 偶像礼拝は、情性の乱れをその結果とする。

 ここでパウロは、人間の混乱の問題を取り上げます。その中でも特に、「性の問題」を取り上げます。なぜ、「性の問題」を取り上げたのでしょうか?パウロの当時のユダヤ教が異邦人の罪を攻撃するとき、まず性の問題を取り上げていたので、そこで学んだユダヤ人パウロはその伝統に従ったのだとある人は言います。また、当時のストア哲学とパウロの類似性を強調する人は、これらの描写はストア哲学の手法だとも言います。しかし、それだけではないようです。多くの解説書はまず、「そこで(ディオ=それゆえに)」という冒頭の句に注意するようにと言います。「それゆえに」神は任せられたのです。何故でしょうか?それは前節を受けています。まことの神を礼拝することを忘れた人間は、様々な倒錯を経験します。拝むべきものを差し置いて、鳥や獣や朽つべきものを拝むものとなりました。そしてそれにとどまらず、人間生活にも多くの倒錯が出てくるようになりました。それがここにいう、性的な倒錯の世界です。

 「欲望」(エピスミアイス=欲情、欲望エピスミアの複数形)、バークレーは、この節を理解する鍵になる句は、この句であると言います。心のもっとも深いところからこの「欲情」が出てきて、神の創造秩序を破壊し、混乱の世界を作ってしまったとパウロは言います。

 最近、日本文学の朗読テープを聞いて、意外に思ったことがありました。わたしは日本文学というと、夏目漱石や太宰治あたりの人間の存在の根本に迫る内容だと思って、読んでおりました。しかし、この度のいくつかの朗読を聞きつつ、特に、覚えたことがありました。それは、人間の性に関する記述が非常に多いということです。

「人間失格」  太宰 治  女性を次々と変えて、最後は生きられなくなっ 

               て、自ら死を選ぶ。

「或る女」   有島武郎  非常に美しい才気活発な女性が、平凡な結婚相手  

           にうんざりし、男性遍歴の後に絶望的な最期を迎える。

「暗夜行路」  志賀直哉  一人の男性が成長して行く姿と性的な遍歴。妻の 

              不倫や自分の欲望に支配される人間の姿を描く。

 

2)、25 彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。(25節)

⇒ 偶像礼拝にこそ、性的な混乱の原因がある。

  パウロはこれらの性的な倒錯の原因、造り主の代わりに被造物を拝んだからであると語ります。この世界を創造し、支配したもう、全能の神を礼拝することこそ、人間のあるべき姿です。

 しかし、この方を忘れて、被造物、狐や蛇や人間を礼拝の対象とし、あるいは、大きな木や岩や海や山、あるいは月や太陽等を神とする礼拝はやがて大きな混乱をもたらすものとなるといわれます。エレミヤの時代の偶像礼拝や先祖崇拝は性的な混乱とつながっていました。特にカナンの宗教は、農耕社会の典型的な多産を願う宗教でした。男性神バアルと女性神アシタロテの結婚によってこの世界は豊かな収穫へと向かうと考えられ、その祭りには性的な破廉恥行為が多く行われたと言われます。日本でも、秋の収穫の後に持たれた自然神へのお祭りは背後にいろんな性的な混乱があったことが記されます。「闇祭り」などという風習を聞いたことがありました。まことの聖い神への礼拝こそ、人生の基礎であると聖書は告げます。

 左近淑師の文章を思い起こします。

 このような多産宗教社会の行動様式の問題性は、古く士師記のエフタの娘の例の背景にもあるといわれるが、それが鋭い形で問われたのはホシュアの時代であった。預言の背景となっている具体的状況について最近はヘロドトスの「歴史」に書かれている習慣などと並行するものがイスラエルで行われていたであろうと推測されている。ヘロドトスの伝える話とはこうである。

  「バビロン人の風習の中で最も破廉恥なものは次の風習である。この国の女は誰でも一生に一度はアフロディテの社内に座って見知らぬ男と交わらねばならぬことになっている。・・・女たちの間を縫ってあらゆる方向に通じる通路が縄で仕切ってあり、よそから来た男たちは、この通路をたどりながら女を物色するのである。・・・・女は金を投げた最初の男に従い決して拒むことはない。男と交われば女神に対する奉仕を果たしたことになり家に帰るが、それからはどれほど大金を積んでも、その女を自由にすることはできない」(松平千秋訳 岩波文庫 7324-28)

 この話でも分かるように、これは一種の通過儀礼であって、こうした形で多産と新しい活力とが与えられると信じたのである。それは決して性の退廃の結果でない。極めて真剣な宗教的営みであったと言ってよかろう。しかしそれはヤーウェ宗教のものではない。

      「低きに降る神」 4 性と宗教 PP46~47

 なお、この左近淑師の「性と宗教」の文章は、関根正雄の「地を嗣ぐ者」『預言と福音』第265号の引用の言葉から始まっています。

「さらに高橋三郎氏が現代の性のモラルの頽廃が靖国問題や安保の問題よりも決定的に重要だ」と言われたことも神学的な知恵だと思われる。」・・・・「『現代で一番重要な問題は何だと思うか』と質問された時、わたし(関根正雄)は言下に『性の問題』だと思うと答えた・・」

 

3)26 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。 (26,27節)

⇒ 性的な倒錯の世界に堕ちるのに「まかせられた」。

 パウロは更にここでかなり露骨に性的な罪を語ります。性的な倒錯。欲望のとりことなって、家庭を破壊し、社会を破壊してゆく人間の罪の愚かさ。本日の聖書では2回、さらに28節まで入れると3回語られている、重要な言葉があります。

それは「まかせられた(パレードーケン)」です。この言葉は他の支配や力にまかせたという意味に使われ、聖書では「裁判にわたす」マタイ18:34、「死にわたす」マタイ17:22、「サタンにわたす」1コリント5:5、などと使用されています。

「彼らが偶像拝跪の結果、身を持ち崩して総崩れになる、いはゆる道義的敗壊に陥ったことに対して、神はあえて阻止また警戒の手を加えず、そのまま放任された。彼らが肉欲という船に乗って汚れの海を走りつつあるを、そのなすがままに任せたもうたのである。かくて彼らは滅亡に向かって暴走するよりほかに道がなくなり、彼らの罪戻の激甚がこの結果を生んだのである。これすなわち神の怒りの表れである。」

 わたしどもはまず、自分の生活をただしましょう。特にその性的な清さを保って歩みましょう。最近示された箴言を最後に記します。

 箴言2:16~22、5:20~22,6:~35,7:5~27

 「主を恐れることは、知恵の初め」(箴言1:7)をあらゆる偶像礼拝を捨て、まことの神に立ち返り、特に性の関して真実な、主の救いの証し人として、清き歩みをなさせてください。

 

【 祈祷 】全能の父なる御神。今日は、人間の罪の指摘の中の「情性の乱れ」ということを学びました。まことの生ける神から離れて、波間に漂う根無し草のように、またこの世の風に吹きまわされるもみ殻のように、天空からまっさかさまに落ちてしまう糸の切れた凧のようになりがちなわたしどもに、まことの神に立ち帰るようにと語るあなたの言葉を聞かせてくださり感謝します。まことの神に立ち帰り、主イエスの十字架の御贖いの恵みを深く覚え、キリストの花嫁として、聖い道を教えてください。贖い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン。