3月13日(日)主日礼拝説教「朝と共に喜びが来る」
聖書箇所:詩30篇
説教者:深谷春男牧師
今日は教会創立67周年記念礼拝です。共に主に礼拝を捧げましょう。
暗闇や夜というものは、病気の時や悩みの時には耐え難いものです。ガンとの苦しい戦いをしている教会員のお父さんを訪ねた時に、「朝が待ち遠しい」「暗い夜は耐えがたい」と眠れない夜の苦痛を伺ったことがありました。朝方に光がやって来ると、ほっとして、安心が来るというのです。わたしも以前眠れない夜を経験しました。その時に、この詩篇30篇が示され、眠れないような試練にある方々に主の福音を語るようにと、示されました。
【 詩篇30篇の概略と区分 】
詩篇30篇は表題に「宮をささげるときにうたったダビデの歌」とあります。「宮をささげる」とは神殿を建て上げ捧げるという意味でしょう。そのような意味では、この表題は、この詩篇の内容とほとんど関係ないように思えます。「ささげる」と言う言葉はヘブル語で「ハヌカ」と言う言葉です。ユダヤには「ハヌカの祭」と言うのがあります、その原点になった事件は、ギリシャのアンティオコス・エピファネスⅣによってエルサレムの神殿に豚が捧げられ、汚され、その後、BC165年にマカベアのもとに神殿が清められ、回復された事件のことです。そのできごととこの表題は関連があると伝えております。あるいはバビロン捕囚後の第二神殿の献堂(BC515年)と関連づけても考えられるそうです。もちろん、病気から癒された個人の感謝に源を発することも当然考えられます。どちらにせよ、深刻な病気のような喪に服す事件で、暗い夜のような時代を過ごした後に、朝の陽ざしが差し込んできた時を歌っています。構造は、次の通りです。
1― 3節 第一部:詩人を病と陰府から救い出した神への賛美。
4― 5節 第二部:詩人は神殿を訪れ、感謝の儀式に列席している。「主の慈しみに生きる人々」に、共に讃美を捧げるように勧める。
6― 12節 第三部: 病の中での詩人の体験。平穏な時に確信があったが、神が御顔を隠されると恐怖が来た。12節はまとめ。「 神は嘆きを踊りに粗布を喜びの帯に変えられた」との喜びの告白。
【メッセージのポイント】
1)、1 主よ、わたしはあなたをあがめます。
あなたはわたしを引きあげ、
敵がわたしの事によって喜ぶのを、ゆるされなかったからです。
2 わが神、主よ、わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、
あなたはわたしをいやしてくださいました。
3 主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、
墓に下る者のうちから、
わたしを生き返らせてくださいました。 (1~3節)
⇒ 主よ、わたしの神よ!と叫べ!
まず、この詩編の初めの言葉に注意しましょう。「主よ!」という神様への呼びかけの言葉です。この詩編30編の魅力は、神様との深い恵みの交わりにあると言えると思います。この短い詩の中で、「主よ」と8回も繰り返して呼びかけてます(1,2,3,7,8,10,10,12節)。その中でも「わたしの神、主よ」と言う言葉が2回使用されます(2,12節)。
「主よ!」あるいは「わたしの神、主よ!」という、この一句に信仰者の恵みの秘訣があります。皆さん、この一週間のうちに「主よ、わたしの神よ!」と神様に一日、8回は語りかけてみましょう。
一日の内には、さまざまな戦いがあります。魂が主の恵みによって潤っていないと、サタンの攻撃がやってきて、落ち込んでしまうことがあります。そして、落ち込んで不機嫌になったりイライラしていると、それは伝搬して、周りも不機嫌な、いやな雰囲気にしてしまうのです。
以前、わたしは忙しくしていて、不機嫌な時があり、聖書を開きました。
わたしの聖書日課にはこうありました。箴言27:3
「石は重く、砂も目方がかかる。無知な者が不機嫌なのはどちらよりも重い。」ぎゃふんという思いで、主の前に悔い改めました。
詩篇30篇に戻ります。1節にはこうあります。
「主よ、あなたをあがめます。」主をあがめることが、わたしどもの勝利の原点です。神様こそ恵み深く、命の源であることを深く覚え、この唯一の主を見上げて感謝を捧げましょう。主をあがめ、感謝を捧げましょう。
「わたしを引き上げてくださいました。」とあるのは、井戸から水を汲み上げるという意味の言葉です。この人は重い病に倒れ、まさに墓穴に落ちて助からないというような体験をしました。しかし彼は、バケツで水を汲み上げられるように、死の井戸の底から神の手によって救いあげられたのでした。
2 節もすばらしい聖句です。「わが神、主よ、わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、あなたはわたしをいやしてくださいました。」
わが神、主よ、(アドナイ エロハイ !)と呼びもとめた時、
・あなたはいやしてくださった。
・あなたはわたしの魂を陰府から引き上げられた。
・墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
主に呼び求めて、癒され、引き上げられ、生き返る!復活の人生ですね。
2)4 主の聖徒よ、主をほめうたい、
その聖なるみ名に感謝せよ。
5 その怒りはただつかのまで、
その恵みはいのちのかぎり長いからである。
夜はよもすがら泣きかなしんでも、
朝と共に喜びが来る。」(4,5節)
⇒ 朝と共に喜びが来る!
ここには試練の中に歩みつつも、神の恵みを体験した者の、告白があります。病気になり、嘆きと悲しみの中にあるこの詩人は、肉体的な苦痛や霊的な不信と戦いつつ、涙の中に暗い、不安な夜を過ごしました。しかし、朝になると、日の光が差し込んできて、夜の間に体験した、不安、不信、妄想、幻想の類が、すべて消えてゆくのを感じたのでした。
病院におられる方の話を聞いたことがありました。
一人は教会員でした。彼女はある夜夢を見た。ベッドの向こう側に待合室があるが、そのドアを開いたら、頭が馬や牛をした怪物が、待合室にいるという夢で、とても怖かったというのです。共に祈りました。
もう一人は高木輝夫と言う牧師先生。ガンの手術を何回もされて心配だと思って訪ねて行ったJTJ神学校の神学生の証しでした。
高木先生は元気で輝いていた。そしてその神学生に言ったというのです。「わたしはこのように病院にいるけれども主に全てを委ねている。主イエスの十字架の贖いを受けて罪赦され、キリストの復活の力に生かされているので深い平安がある。『ドアを開ければパラダイス!』と言うのが僕の心境です。」これを聞いて訪問に行った神学生が励まされて帰ったというのです。
永遠の朝を待つことができるわたしどもは何と言う感謝なことなのでしょう。
朝と共に喜びが来る!これが主イエスの救いに与かった者の告白です。
3)、6 わたしは安らかな時に言った、
「わたしは決して動かされることはない」と。
7 主よ、あなた恵みをもって、
わたしをゆるがない山のように堅くされました。
あなたがみ顔をかくされたので、わたしはおじ惑いました。
11 あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、
荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。
12 これはわたしの魂があなたをほめたたえて、
口をつぐむことのないためです。
わが神、主よ、わたしはとこしえにあなたに感謝します。(6~12節)
⇒ 平安は主の臨在による、へりくだれ!
この詩はとてもこの辺り(6~7節)が複雑に見えます。しかし、丁寧に見ると、なかなか面白いところです。ブルッグマンはこの詩をひとつの手がかりとして詩篇全体を「順調の時の詩、逆境の時の詩、新しい境地としての詩」という風で見ています。信仰によって平穏な時には、わたしどもは時として高ぶりに陥りやすいのです。「とこしえに揺らぐことはない!」とも思ってしまいます。しかし、ひとたび、主が御顔を隠されたと思うような情況が起こるとわれらはおじまどうのです。へりくだりと人間の限界性を学んでこそ、真に神を賛美する本当の信仰者となることを教えています。
11 あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、
荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。(11節)
わたしどもはいつでも深い謙りをもって主に向きたいものです。試練や逆境を通りながらも、詩人と共に、常に恵みの主を賛美し、告白しましょう。
3つ感謝があります。
- あなたは変えられた。嘆きを 踊りに!
- あなたは解かれた。 粗布を そして究極的な救いへと導かれた!
- あなたはわたしの帯とされた。 喜びを。 ハレルヤ!
【祈り】主よ、創立67周年の礼拝を心から感謝します。守部さんの証しにありましたように、わたしどもの教会がこの場所にあるために、祈り労して下さった4人の兄弟姉妹の証しを伺いました。4人の代表的な方々の歩みと共に、雲のような証人に囲まれて、現在のわたしどもの教会が、この場所に存在し、この場で、今日もあなたを礼拝し、御顔を拝します。ハレルヤ。詩篇30篇のように、いつもあなたのおられる教会であなたを仰ぎ、「主よ、わが神よ」と呼びつつ、こころから感謝できますように。「朝と共に喜びが来る」「あなたの臨在こそわが平安」と告白しながら歩めますように。わたしどもの礼拝の場、新宿西教会を豊かに祝して下さい。ここであなたの臨在に触れ、主イエスの十字架を見上げ、復活の命に与り、聖霊に満たされ、永遠の御国へと凱旋できますように。救い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン