新宿西教会主日礼拝説教「真理とは何か?」ヨハネ18:33~38 深谷春男牧師

5月1日(日)主日礼拝説教「真理とは何か?」

聖書箇所:ヨハネ18:33~38 

説教者:深谷春男牧師

 今日は皆さんと共に「真理とは何か?」と言う主題のもとに、御言葉を深く聞きたいと思っております。わたしたちの教会は、受難週に毎日役員さんが奨励をして下さり、恵みの時を持ちますが、今年はヨハネ福音書を中心に、主イエス様のエルサレム入城から初めて十字架にかかられる所までの内容を8回にわたって、8人の役員さんに語って頂きました。毎回、深い感銘を持って聞きましたが、ある姉妹が、『真理とは何か?』というポンテオ・ピラトの質問を中心に話して下さり、それがとても心に残りました。彼女はその説教が心に重くのしかかり、電車に乗っても「真理とは何か?真理とは何か?」と考えていたというのです。隣りに座ったおじさんが、マスクしないで、えほえほと咳をしていたので、「静かにして下さい」と言って、「真理とは何か?」と考えていたら、このおじさんが電車を降りるとき、少し、にらんだようにして下りた、という体験話まで語ってくださり、聞いていた方々は、笑いながら楽しく伺いました。 

 考えてみると、わたしが神学校4年生の時に、金沢教会に40日間、夏期伝道として教会に寝泊まりして訓練を受けた時がありました。その時に、『真理とは何か?』という説教をして、内藤留幸先生から、辛めの御批評を頂いた時のことなども思い起こします。

【今日の聖書箇所の解説】

 この『真理とは何か?と言う質問は、ヨハネ福音書では、主イエス様のエルサレムでの受難の一週間の金曜日に、十字架にかかられる前に起こった出来事でした。ピラトからの尋問の箇所です。

12章 ナルドの香油 エルサレム入城 一粒の麦

13章 洗足 最後の晩餐

14章 心を騒がせるな 我は道・真理・命 

15章 我は真のぶどうの木 迫害予告

16章 聖霊の働き 悲しみが喜びに変わる 既に世に勝っている

17章 大祭司の祈り 霊的な至聖所

18章 ユダの裏切りと逮捕 ペテロ否認 ピラトからの尋問 

【今日のメッセージのポイント】

1)、33 さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出して言った、「あなたは、ユダヤ人の王であるか」。 34 イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」。(33~34節)

⇒ あなたはユダヤ人の王か?

 当時、ローマの支配下にありましたイスラエルでは、裁判では、死刑の判決はできませんでした。『あなたはユダヤ人の王か?』と言う、質問をしました。ポンテオ・ピラトは、ナザレのイエスが、「ユダヤ人の王」と主張したので、祭司長や律法学者に、憎まれていたのだと考えていたのだろうと想像がつきます。この質問に、主イエスは、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」と質問して返しました。

 ヨハネ福音書を読みますと、主イエスは次々と、すばらしい業をなし人々を驚かせました。2章では、カナの婚姻で、水をぶどう酒に変えて人々を驚かせました。5章では、べテスダの池の畔で、38年間、病気で動けなかった人を癒やされました。6章では、5000人もの人に、5つのパンと2匹の魚で満腹させ、感激した人々は、この人こそ、王となるべき人だと言って、主イエスを王としようとしましたが、主イエスはそっと山に退かれたと記しています。9章では盲人を癒やし、11章では死んで4日たったラザロをよみがえらされました!確かに、このような驚くべき働きをされる方は外にはいない。この方こそ、神の子、ユダヤの王だと言う噂が、ユダヤに満ち、ピラトの耳にも届いていたのでしょう。

 

2)、35 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。(35,36節)

⇒ わたしの国はこの世のものではない!

 主イエス様は、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。」と語られて、ご自分が、ユダヤ人の王ではないことをはっきり示されました。現在ある、政治的な王としてわたしは歩むのではない。わたしの国はこの世のものではない」と語られたのです。「事実、わたしの国はこの世のものではない」と2回も繰り返されました。

3)、37 そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」(37,38節)

⇒ わたしは王である!

 「わたしの国はこの世のものではない」と主イエスの語った言葉を受けて、ピラトは「「それでは、あなたは王なのだな」と聞きました。すると、イエスは「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。」と語られました。主イエスは王であり、その王国は真理の王国であり、その真理を証しするために、主イエスは生まれ、そして去って行く。」そしてされに「だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」とまで語られました。

 主イエスは王である。真理を証しするために生まれた方であり、そのために来たのだ」と語られました。

 わたしは受難週祈祷会で、奨励を聞きながら、「ああ、主イエスはこんなにはっきりと自分は王であり、真理を証しするためにお生まれになられ、真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」とお語りになっているのだ、と感動をもって聞きました。

4)38 ピラトはイエスに言った「真理とは何か」。・・・(38節)

 ⇒ 真理とは何か?

ギリシャ人は「真理」というと、全宇宙を支配する根本的な法則を考えるのだそうです。それは、現代の科学的世界に近いようなものです。これに対して、ユダヤ人は「真理」というと、わたしたちの存在そのものをしっかり支える岩のような確かなものと考えると神学校で学びました。さあ主イエス様の「真理」はどのようなものだったのでしょうか?

今年の受難週の祈祷会の中で、連日祈られたのは、この世界の救いと共に、ロシアによるウクライナ侵略の中止と言うことでした。「プーチン大統領に深い悔い改めを与えて、この悲惨なウクライナ侵略を辞めるように主イエス様導いてください!」と何度も繰り返して祈りました。プーチン大統領の頭にある、ロシアの危機感と、ロシアの存続のためには何としても、ウクライナをロシア化する必要性のゆえになされるあの悲惨な、ウクライナへのミサイル攻撃と目を覆いたくなるような残虐行為。この受難週祈祷会で、「真理とは何か?」、「ロシアの侵略戦争の停止」「プーチン大統領の暴挙」というの内容を考えつつ次のように示されてきました。

わたしは、ロシアの文学にとても多くのことを教えられてきました。特に、青春時代に読んだロシアの文豪、ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」はわたしの魂に、キリスト教信仰の深い真理を与えてくれて、わたしの人生を導いてくれました。それなのに、現在のロシアはどうなったのか?ゾシマ長老の愛に満ちた信仰はどこに行ってしまったのか?特にドストエフスキーの信仰を思い浮かべておりました。彼は深いキリストへの信仰を持った人でした。彼が、シベリヤ出獄の年にある友人に送った手紙の中の信仰告白の一節です。

「即ち、キリストより美しい、深い、愛すべき、合理的な、勇敢な、完全なものはこの世にはないという信条なのです。そうだ、そんなものが他にあるはずはない、わたしは嫉妬にも似た愛情にいっぱいになって自分に言うのです。それどころではない、たとい誰かが、キリストは真理の裡(うち)にはいなかった、真理がキリストのうちになかったことは実際の事実だとわたしに証明してみせてくれても、わたしはむしろキリストと一緒にいたい、真理と一緒にいるよりも」(奥野政元の文章)

 

わたしの得た結論は以下のようなものでした。

 「真理とは何か?」わたしたちの生涯を根本から支える真理は、「神の救いの計画」である。旧約聖書で、「神の義」と語られたこの世界で最も確かなものとは「神の救いの計画」、この真理がわたしたちの命を、人生をしっかりと支え、生きる希望と力を与える真理です。この真理は更に詳しくいえば、主イエス様の受肉、十字架、復活であり、再臨です。この神の命をかけた、驚くべき愛が、わたしどもの生涯を、世界を変える「真理」なのです。わたしたちと共に、世の終わりまで、共におられる主イエス御自身です。「わたしは道であり、真理であり、命なのです。わたしに依らないでは誰も父の許に行くことはできない。」(14:6)。

 

【祈祷】天の父なる御神!今日は、「真理とは何か?」というポンテオ・ピラトの質問を中心に御言葉を聞きました。真理は、御子イエスその御方。主イエスを通してなされた「神の救いの計画」です。その真理を受け入れ、永遠の命に生かしてください。御名によって、アーメン