新宿西教会主日礼拝説教「神の家族」エペソ2:11~19 深谷春男牧師

5月8日(日)主日礼拝説教「神の家族」

聖書箇所:エペソ2:11~19 

説教者:深谷春男牧師

 今日は、5月第2日曜日。母の日です。その由来について。週報参考に。

【今日の聖書箇所の概略と区分】

 さて、エペソ人への手紙は、一般に「パウロ書簡の冠」と言われます。ここには神の創造の恵み、罪の贖いの信仰、聖霊の豊かな恵み、神の歴史支配の摂理、教会の奥義等の新約聖書の重要主題が整然と整えられて出てきます。それは「パウロの手紙の一つの頂点、おそらくは最高の頂点」と評されます。今日の聖書箇所は、キリストはわたしたちの平和であって、ユダヤ人と異邦人とをひとつにして、キリストの体なる教会を建て上げることを語ります。そしてこの教会のことを「神の家族」と呼んでいるのです。                                             

11-13節 異邦人キリスト者 キリストの血によって近いものとなった

14-16節  キリストはわたしたちの平和                         

17-18節  キリストはユダヤ人と異邦人を一つにする              

19-22節  異邦人クリスチャンも神の家族として教会に招かれている

  今日は「母の日」。「神の家族」に焦点を絞り、御言葉を学びましょう。

 

【メッセージのポイント】

1)11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。(11~13節)

⇒ わたしたちは神なく望みのない異邦人だった。           

改めてこの2章を読んでみますと、1節から10節は「わたしたち個人の過去、現在、未来が語られています。11節から22節は、民族的な有り様の「過去、現在、未来」が語られているような思いが致します。1節から10節では、わたし自身の過去は罪と罪過で死んでいた者だった。しかし、主の贖いによってその恵みによって救われ、未来は、良き業をする者として期待されている姿が描かれています、11節から22節では、救われる前のエペソの人々に語られています。その過去は、無割礼の者と言われ、神御自身を知らず、キリストも知らず、イスラエルの国籍もなく、神の祝福の契約にも縁がなく、神なく、望みなく、さまよう存在だった。しかし、今や、あなた方は、イエス・キリストの十字架の贖いを受け、罪を悔い改めて、神の民となった。と告白されています。

改めて考えてみますと、人間の歴史は、民族と民族の争いがあり、それぞれの民族は、近ければ近いほど、民族同士の争いや憎しみをもって生きてきたと思います。国と国の争いである戦争、まさに今年、2月24日にロシアの軍事侵攻によって、ウクライナの紛争が起こりました。明日の9日のロシアのナチスに対する戦勝記念日に、ウクライナ制圧を勝利宣言の時として利用しようとしていると言われます。日本もお隣の韓国や北朝鮮、中国等の2000年間を振り変えれば、直視できないような悲惨な出来事の繰り返しでした。当時の地中海地方の代表的な町、アジア地方の一番大きな町であったエペソに住む人々に主の恵みを語ります。

わたしは19歳で主イエスを信じてクリスチャンになりました。クリスチャンになるまえ、絵描きを目指してたが、当時のデッサンの裏側に、「人生は空しい・・」と言う風な言葉があり、救われる前に自分を思い起こす時がありました。主イエスの救いを体験する前の精神的な状況を思い出します。

聖歌総合版463番にありますように「神なく望みなくさまよいし我も~、救われて 主をほむる 身とは せられたり~♫・・・」

イエス・キリストにあって、キリストの血によって、神に近い者とされた。

今、考えてみると、「心の平安!」。これを求めていたのだと思います。

 

2)14 キリストはわたしたちの平和であって二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(14-16節) 

 ⇒ キリストは平和。二つのものを一つにする。    

ここ14節で聖書は宣言します。「実にキリストはわたしたちの平和であります!」。新共同訳聖書では「実に、キリストがわたしたちの平和である」と訳されています。「実に!」と言う言葉は大変に印象に残る言葉です。これは特別な強調がなされていると思います。主イエスはわたしたちの平和です。平安です。心の安定です。日本語に訳されている「平和」とは、へブル語の「シャローム」でもギリシャ語の「エーレーネー」でも、日本語の「平安」と「平和」の両方の意味合いを持つ言葉です。

実は、次に語られるように「異邦人クリスチャン」と「ユダヤ人クリスチャン」の平和と一致の基(もとい)なのだと語られてゆきます。この聖書箇所の背景を見ると、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンの間の意識の違い、さまざまな理解の違いが教会に緊張をもたらしていたことが察しられます。旧約聖書の背景を持つユダヤ人は、長い神の民としての伝統とアブラハムの子孫としての選民意識、1000年以上にわたる律法を中心とした歩みの中で培われたものは、独特の深さと広さを持っていました。また、異邦人のクリスチャンは主イエスの十字架の贖いを信じて新しい生涯に入りました。それぞれの民族の伝統や長い間はぐくまれた文化はみな違うものです。それらの違いはお互いに違和感を生み、対立感情、差別を生み、時には敵意を生み出します。ここでは「敵意」が2回記されています。

二つのもの、それぞれに違いを持つ二つのグループ、それぞれが特性や誇りを持つもの同志、それらの違いが、時として「敵意と言う隔ての中垣」を形成してしまいます。しかし、ここには、主イエスの十字架の福音はそれらの二つのものを一つにするのだと語られています。16節では「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」と宣言されています。

 

3)19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。 (19-20節)

⇒ 全世界は、異邦人もユダヤ人も、キリストにある神の家族、愛の家族! さて、ここでは、異邦人である、エペソの人達も、長い間、律法によって導かれたユダヤ人も、つまり、全人類が神の家族、愛の共同体となるというのです。ここに神の救いの計画が実現します。わたしたちにとっては、一番大きな祈りの課題は、全人類が神の家族となることなのです。自分の身近な家族親族が救われることでしょう。

異教国日本にいるわたしたちにとって、家族の救い!これは最大の問題の一つです。肉親の家族が、真の神を信じ、主イエスの十字架の贖いを信じ、霊的な、神の家族、深い愛と信頼で結ばれた、本当の家族となるのです。

キリスト兄弟団の毛戸健治先生のお証しを紹介します。

奈良の桜井に住む「愛さん」はある時に毛戸牧師に尋ねました。「先生、御言葉に例外はありますか?」 牧師は一瞬たじろいだが「姉妹、ないと私は信じますが?」「実は先生、わたしの家族はわたしが毎日祈っていても聞いてくれないんです!使徒行伝16:31の聖句は我家は例外なのではないでしょうか?」。「姉妹ね、祈り続けなさい。目が黒いうちか白くなってからかは分からないが、祈りは聞かれますよ」。「目が黒いうちか・・?目が白くなってからか・・・・?なるほど。解りました。先生、信じながら、祈り続けます。」それからしばらくして、ある親族の結婚式の花嫁入場の直前、愛さんは倒れてしまった。帯をきつく巻きすぎたというのです。彼女はそのまま病院に運ばれましたが、召されてしまいました。翌日は前夜式。その時に、毛戸先生が説教で愛さんの祈りに触れると家族は泣き出して、前夜式は伝道会のようになりました。ご主人と子供さん方はこのときに主イエスを受け入れ、救われたそうです。愛さんの、愛の祈りは聞かれました。

家族の救い!これは日本宣教の最大の課題の一つです。

ある教会でこの話をしたら、すごい信仰を持っている御夫人がおりました。「世界中の人が救われても、うちの主人だけは無理でしょう・・・」。

ある韓国の女性はご主人の救いのために早天祈祷会でいつも祈りました。でも救われません。彼女はついにご主人の靴を持って早天祈祷会で祈ったそうです。「主よ、主人の靴だけ持って来ました。本人もいつか来れますように!」。ある朝、主人は靴がないので、不思議に思って奥様をあとをつけていったら彼女が自分のため涙を流して祈っているのに感動し、「ほら、靴の本体が来たよ」と言い、救いを受けたというのです。皆さん、来週からはご主人の靴をもって礼拝に来ましょう!! 皆さん、御言葉は成就します。

わたしの愛唱聖句は次の三つで、早天祈祷会でも良く祈ります。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます」使16:31

「わが家と我は主に仕えん」ヨシュア24:15     

「千代に至る祝福」出エジプト20:6

家庭が危機に瀕しています。でも、教会は神の家族です。平和の主の十字架のもと、平和の福音の中へと招かれているのです。ハレルヤ!

 

【祈り】 天のお父様。今日は母の日を感謝します。今は「神の家族」の一員とされていますことをもったいなく思います。かつては神なく望みなく彷徨う者でした。でも、「キリストの平和」ヘと導いて下さり、主の十字架の血潮によってあなたと和解し、まことの平安を得ました。周りの人々との和解へと導いて下さい。生活慣習の違いや対立感情を超えて、私どもを平和の器、神の家族としてください。平和の主イエスの御名によって。アーメン