新宿西教会主日礼拝説教「荒野の誘惑」ルカ4:1~13 深谷春男牧師

5月22日(日)主日礼拝説教「荒野の誘惑」ー聖書の示す救いの中心ー

聖書箇所:ルカ福音者4:1~13 

説教者:深谷春男牧師

 人生には様々な誘惑があります。わたしどもも、自分の人生を振り返ると様々な誘惑があったな、と思います。ここまで来れたのも主の恵みがあったからこそだと思います。

しかし、今日学びます主イエスの「荒野の誘惑」はメシヤとしての働きに対するサタンの誘惑でありまして、わたしどもへの誘惑とは少し趣きが異なるところがあります。

  内村鑑三先生の聖書注解には、ロシアの文豪のドストエフスキーのことが記されております。ドストエフスキーは「この『荒野の誘惑』の記事さえあれば、聖書の信仰は、永遠に価値が失われる事がない」とまで語ったそうです。

 ここには確かに、キリスト教の本質が秘められている箇所です。また、ミルトンの「楽園回復」には色魔ベリアルが、荒野の誘惑者になろうとするが、悪の世界の主催者サタンに、おまえでは出来ないと退けられることも記されます。

  サタンは、キリストによる決定的な救済を阻止しようとして、あれこれと問題の本質から目をそらそうと、躍起だったのです。

【今日の聖書箇所の解説】                          

 今日の「荒野の誘惑」の記事はマタイ福音書にもあります。主イエスが洗礼を受けて後、メシヤとして公の活動をされる前に、荒野で40日40夜の断食をされました。そのときに悪魔がやってきて主イエスを誘惑したという記事です。世界を救うために、何をなすべきか?主イエスはここで、メシヤとしての使命と働きに関して、深い祈りと黙想の時をもたれました。ここには主イエスに対するサタンの3つの誘惑があります。

3-  4節    石をパンに変えよ。

5-  8節    サタンを礼拝せよ。富と栄華を与える。

9-13節    神殿の頂きから飛び降りよ。天使が支える。

 主イエスはすべて申命記の言葉で答えます。

【メッセージのポイント】

1)1 さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。

(1-4節)

⇒ パンの誘惑 = 経済的な救済という誘惑。      

 主イエスは荒野で、断食をして祈りつつ、人類救済の祈りをされました。その時、悪魔が現れて、主イエスを誘惑したというのです。悪魔はイエスが神の子であることを否定せず、むしろ「あなたは神の子だから」その力を用い、「この石がパンになるように、命じなさい」(4節)と誘いました。自らの飢えを解決し、飢えている人々を助けるなら、メシヤとしての使命を達成出来るではないかと、味方を装って勧めたのです。

 しかし主イエスは、毅然たる態度でこれを拒絶し、申8:3の言葉をもってそれを退けられました。「人はパンだけで生きるものではない」。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えられました。

 この言葉は、深く現代の人間観の問題点を突いていると思います。経済的な問題の苦悩はいつの時代でも、大きな問題です。すなわち、サタンは「人間は衣食足りて礼節を知る」ものだ。まず、パンの問題を解決するのが、メシヤの使命だよ、と語ったのです。

 ロシア革命の時期に生きたドストエフスキーは、人間の深い「罪の問題」を掘り下げながら、「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」という不朽の名作を書きました。そして、経済の問題を第一に考え、神様を認めない人間世界の根本的な問題をえぐったのでした。マルクスの「共産党宣言」が出たのが1848年でした。世界を救うかに見えた「ユートピア思想」は170年を経て、大きく様変わりを経験しています。この第一の誘惑、メシヤはパンのない悲劇から人間を救うことなのだというのはまず荒野の誘惑の第一でした。

 

2)5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

(5-8節)

 ⇒ この世の富と権力 = 政治的力によるに救済の誘惑。

 第2の誘惑は、地上の権力と繁栄、すなわち富の力で、地上に神の国を打ち立てよという提案です。「だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」とサタンは語りました。「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言うのです。しかし、これに対して「退け、サタン!」と、主は妥協の余地のない拒絶をされました。3度目も申命記の御言葉(6:13)が引用されました。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』。  

 

3)9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。12 イエスは答えて言われた、『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。13 悪魔はあらゆる試みをしつくして一時イエスを離れた。                             (9-13節)

⇒ 神殿の頂上から飛び降りよ= 奇跡的宗教による救済の誘惑。        

 第3の誘惑は、奇跡的な宗教の誘惑です。サタンは詩篇91:11‐12を利用して、巧妙に誘ったのです。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。10 というのは、こう書いてあるからだ」と聖書を指示し、約束されているように、「父なる神は御使いを用いてあなたを守られる。その奇蹟を見れば、あなたがメシヤであることが明らかになるではないか」と。そして、その奇跡的な神の子のしるしの力を持って、人々の信仰を集め、彼らを救えば良いというのです。これは奇跡的宗教による救済の誘惑です。しかし主イエスは、それを退けました。「あなたの神である主を試してはならない」(申命記6:16)と。

  そこで、「13 悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」(13節)とありますが、イエスがこの後、「サタンよ、退け!」と語られた時があります(マタイ16:23)。それは、弟子のペテロが、十字架の苦難の死を否定した時でした。主イエスの選んだ道は、ここではまだ隠されています。

「二人の女性伝道者に学ぶ」

 今日は印象的な二人の女性伝道者の証しを思い出しております。一人は和歌山丸の内教会の牧師だった三枝先生。もう一人は金沢独立教会の影山先生。お二人とも強烈な主の救いの体験を持つ方々です。三枝先生は小松川教会で洗礼を受け、献身。先生のお証しによれば、お父様が愛人を作ってしまい、家庭が崩壊、事業も左前となり、混乱。そのただなかでスタンレージョーンズの伝道集会に出席。やがて聖書の内容がわかり、自分の罪がわかった。父親とその愛人を憎み、眠れない日を過ごしていた自分が、恐ろしい罪人であることがわかって、主イエスの十字架を自分の罪の贖いと信じて救われた。その体験を、御言葉をたどりつつ、語られた。

 また、金沢独立教会の影山先生のお証しは、納骨式から帰る車の中で伺った。熱心なクリスチャン教師、影山儀之助先生を父にもたれる先生は、幼児洗礼を受け、教会にて成長。大学生の時に、60年安保の問題を機に、父親を含む聖公会の、戦時中の在り様を強く批判し、キリスト教に疑いをもたれた。その後、ついに聖書も信じられない状態を状態を陥る。もう、生きる勇気もなくなる中で、主イエスなら救ってくださると思い、マタイ15章のカナンの女の信仰に目が開かれ明確な救いへと導かれた。大学卒業後、北陸学院で教師生活2年の後に献身。岡田先生の献身の証しと共に伺う。不思議な摂理の御業!

共に、「救いは主の十字架の贖いにあり」との体験でした。

 「荒野の誘惑」のメッセージの中心に、サタンが、主イエス様の救いの業の一番中心、「罪の贖(あがな)い」の十字架を、なんとか遂げさせまいと必死だった。しかし、主は、それを深く理解され、人類の救いの出来事を成就された!

【祈祷】主よ、今朝は聖書信仰の中心を学びました。主イエスは、40日間の荒野での祈祷の中で、メシヤとしての救済の道を確信して立ち上がりました。それは「十字架の贖いの道」でした。「人類を救うのは主イエスの十字架のみ!」。主よ、この驚くべき救いの恵みにわたしどもを導き、深い平安と祝福の生涯を歩ませて下さい。御名によって祈ります。アーメン