新宿西教会主日礼拝説教「主はわが光、わが救い!」ーホーリネス弾圧80周年ー 詩篇27:1~6 深谷春男牧師

6月19日(日)主日礼拝説教「主はわが光、わが救い!」ーホーリネス弾圧80年ー

聖書箇所:詩篇27:1~6 

説教者:深谷春男牧師

 今日は父の日です。母の日は5月第2日曜日ですが、父の日は6月第3日曜日。お父さんに感謝を表わす日とすることができるなら、すばらしいですね。

 また、80年前、1942年(昭和17)6月26日の早朝、旧ホーリネス教会系(日本基督教団第六部=聖教会と第九部=きよめ教会、他)の主だった教会に特高刑事が押し入り、治安維持法違反容疑による一斉検挙がおこなわれました。

1942年6月26日 第一次検挙  96名  9月10日 満州等の外地

1943年4月7日 第二次検挙 等 38名 総数134名 起訴75名  

昭和18年4月8日の日本基督教団第六部への「宗教結社禁止令」が通告された際の理由は、一、神宮に対する不敬 二、天皇に対する不敬  三、国体変革を企図せる罪となっています。

 わたしどもの先輩方はこれらの不当な検挙、拘束、投獄、拷問等によって辛酸を味わいました。獄死者・小山宗祐師、菅野鋭(とし)師、斉藤保太郎師、辻啓蔵師、小出朋治師(獄中死亡順)、5名。竹入高師、池田長十郎師、佐野明治師 (出獄後に死亡) 3名 

 先生方は、主イエスへの信仰の忠誠を全うし、厳しい霊の戦いを戦い抜きました。菅野鋭(とし)師は、詩篇27篇で慰めを与えられたと書いていましたので、そこを一緒にお読みします。

【今日の聖書箇所の解説と概略】

 詩篇27篇は以下のように、二つの詩の合成であると言われます。

1ー 6節 熱烈な信頼の歌

7ー14節 神の助けを求める嘆きの歌

 共に深い霊的な教訓を湛えており、激しい敵の圧迫の中で、神様に祈り、苦闘をしながらも、信仰の告白をし、勝利を確信して詩を閉じています。

1)1ー3節 熱き神信頼のゆえに幾百万の敵をも恐れないとの告白。

2) 4節  詩人の一つの願い。主の家に宿り、主の麗しさを尋ね極める事。

3)5、6節 災いの日に主は幕屋に隠しやがて勝利を与えられる。 

 

【メッセージのポイント】

1) ダビデの歌。

主はわたしの光、わたしの救だ、

わたしはだれを恐れよう。

主はわたしの命のとりでだ。

わたしはだれをおじ恐れよう。  (1節)

⇒ 主はわが光、わが救い、わが命の砦!

 敵の力に囲まれて、神様こそわたしの光、救い、砦だと歌っています。信仰を持つということは心の中に主をお迎えすることです。それは真っ暗な部屋に光をともすようなものです。ろうそくのかすかな光が静かにまわりを照らし、全てが良く見えるようになることです。真っ暗闇の恐怖からわたしどもは主イエスを心にお迎えする時に、平安と救いを体験するのです。「主はわが光」とはそのような経験です。人生には洪水のような、津波のような試練が押し寄せる時があります。敵であるサタンがわたしどもを取り囲み、恐れと混乱へと陥れることがあるのです。そのような時に「主はわたしどもの命の砦」となるのです。主が光、主が救い、主を砦とするときわれらには恐れがなくなるのです。

「主はわたしの光」という言葉は、旧約ではここだけです。新約聖書ではヨハネ1:4,3:19,12:46等で使用されています。

オックスフォード大学の標語「Dominus illuminatio mea」はこの1節のラテン語訳だといわれます。暗黒の世にあって主こそ唯一の光であるとの決意の中に、この大学は建てられました。

山崎鷲夫師編集の「戦時下ホーリネス弾圧の証言」には多くの方々の投獄の体験が記されています。中でも淀橋教会の小原鈴子先生の証しはすばらしいものです。御主人の小原十三司師が投獄されて、70日目にようやく面会が許され、面会室であった時の証しをご紹介させていただきます。

「留守になりましてからちょうど70日目に調べ室で面会が許されました。主人のおりました留置所は昼もすすけた高窓から薄暗い電灯が陰気な光を投げており、いきれ臭い耐え難い臭気が流れ出ています。時には三畳間に一六人も詰め込まれ、横にもなれないという所、その所に40日も居続けた主人を見るのですから、どんな疲れた姿であろうかと一種の恐れをもっておりましたが、一目見ました時、一切の杞憂は拭い去られ、「神共にいます」山から下りてきたモーセの顔の輝きを想像するものが漂っておりました。……略……」。

激しい試練の中にも、主の臨在のある所は常に不動の信仰があり、勝利に満ちているのです。主が「あなたの光、あなたの救い、あなたの砦」なのです。小原先生の朝、夕の祈りは、つぎの二つにまとめられると言われます。

朝「今日もまたいたくまされる御心がなされることをわれは信ずる」

夕「今日もまたいたくまされる御心がなされしことをわれは信ずる」    

 

2)わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、

襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、

彼らはつまずき倒れるであろう。

3 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、

わたしの心は恐れない。

たといいくさが起って、わたしを攻めても、

なおわたしはみずから頼むところがある。(2,3節)

⇒ 憎しみと敵意を越えて!

ここの描写は、敵が群れをなして詩人をなぶり者にしようと襲ってくる様子です。「わたしの肉を食い尽くそうとする」(新共同訳)。持ち物や、権利を奪うのみか、肉体まで食い尽くそうとしているのです。

 ユダヤ人迫害の歴史はわたしどもに信仰の力を教えます。特にアウシュビッツでの600万人虐殺のできごとは、この詩人の出会っている状況を想像するのに役立ちます。彼らはあらゆる人権を剥脱し、さらに命をも奪って、その髪の毛でドイツ海軍のロープを作り、その脂肪で石鹸を作り、その皮膚で手袋を作ったと言われます。フランクル教授「夜と霧」の著者が日本で講演をしたときに、講演後にあるクリスチャンが「どうしてそのような苦しみを耐えられたのか」尋ねると「それはもちろん、主イエスが共にいてくださるとの信仰のゆえです」と答えたと読んだことがあります。

 憎しみと敵意を越える、神の愛、聖霊の愛が必要なのです。

 

3)4 わたしは一つの事を主に願った、

わたしはそれを求める。

わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、

主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。(4節)

⇒ 一つの願い。主の家に宿る!

神の救いと恵みを体験して「わたしの究極的な願いは一つ」と告白します。その願いとは「主の家に宿ること」でした。いつでも主と共に歩み、主を仰ぎ望んで魂に喜びを得、その宮で主の麗しさを尋ね極めること、「主の臨在と共に歩む生涯!」。この一つ。ここに信仰者の深い霊性が表現されています。

この4節は赤羽教会の初代の牧師。高山慶喜先生が献身を決意されたときの聖句です。高山牧師は優等生でまじめな倹約家でした。30才までに当時のお金で1万円(現在では約1億円位)貯蓄。でも体調を崩して、人生に失望し、故郷の山梨で救いを受け、献身に導かれました。昨年、召された細谷武英先生も、米国の青年伝道の先生もこの聖句が献身の聖句だったそうです。愛する兄弟姉妹!この聖句を握って、献身の歩みをする方、おられませんか?

4)5 それは主が悩みの日に、

その仮屋のうちにわたしを潜ませ、

その幕屋の奥にわたしを隠し、

岩の上にわたしを高く置かれるからである。(5節)

⇒ 礼拝にて神の御顔を仰げ!

 わたしどもにも「悩みの日」があります。その時は仮庵にひそみ、幕屋の奥深くに主は隠してくださると歌われております。「仮庵」や「幕屋」とは、礼拝の建物をさしています。主の礼拝の奥深くに隠れるのです。この詩篇では、8節9節で「御顔を求めよ」三回も記されています。礼拝はまさに、主の御顔を求め、深い人格的な関係の中に導かれてゆくのです。インマヌエルの主の臨在を切望する事です。ハレルヤ!

 

5)14 主を待ち望め、

強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。

 ⇒ 雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め!

  この聖句が菅野鋭(とし)先生の、獄中における慰めの句であったとのことです。この聖句の書かれた奥様のはがきを聖書に挟んでおかれました。菅野鋭先生は、投獄中、喀血して、殉教の死を遂げられました。美歌子先生のお父様の湯澤実先生は、横浜ホーリネス教会の献身者でした。 以前、ホーリネスの群の委員長をされた原田謙先生が、聖会で、よく証しをされました。原田先生が小学生の時に、お父様の原田要蔵先生が、満州で投獄され、お母様が女手一つで6人の子供を育てました。「栄光の主を見上げよ!」、「のちの日の栄光を見よ!」と子どもたちに語ったとのことです。厳しい戦いをつづけた先輩方にならい、「主はわが光!」、「主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ」との主の言葉に従って、雄々しき信仰の歩みを全うしましょう。ハレルヤ

【 祈 り 】 

 主よ、今日は詩篇27篇を読むことが許され感謝します。わたしどもの生涯は、あなたの血潮で贖い取られた生涯です。主が光です。主が救いです。主が砦です。どんなに苦難や迫害があっても、先輩方の歩みにならって、日々、主の臨在の中を歩ませ、あなたと共に歩むことを地上唯一の願いとし、「御顔の光」を求め続ける勝利の生涯とならせてください。わたしたちの光、わたしたちの救い、わたしたちの命の砦なる、主イエスの御名によって祈ります。アーメン