新宿西教会主日礼拝説教「大変な喜びかた」使徒行伝8:1~8 深谷美歌子牧師

6月26日(日)主日礼拝説教「大変な喜びかた」

聖書箇所:使徒行伝8:1~8 

説教者:深谷美歌子牧師

 本日は、ホーリネス弾圧80周年記念の日です。深谷牧師が、一週間早い弾圧を覚えるメッセージで、弾圧下にあった先生方の、試練をも越えた、喜びに満ちた姿を伝えていただきました。午後は守部さんの「初夏の文化講演会」で、明治の経済界を担っていた、二人の人物の素晴らしい生き方に聞き、皆様が本当に満たされた時でした。

 人が喜びに満たされる時とは、どのような時でしょう。「お金で薬は買えるかもしれないが、健康は買えない。お金で快楽は買えるかお知れないが 愛の喜びは買えない」とある先生の自作のトラクトにありました。

 本日の聖書には「大変な喜びかたであった」と書かれています。何が起こって、この喜びが来たのでしょう?見てまいりましょう。

 前回はステパノが、「イエス様がメシヤであったのに認めずに殺した」。と指摘した時、パリサイ人、律法学者達は、ステパノを石打ちの刑で殺したことを見ました。しかし、ステパノの目はイエス様を見、輝いて眠りについたのでした。その続きをみてまいりましょう。

 

本日の聖書箇所

1-3節 サウロは迫害をはじめ、信仰深い人々はステパノを葬った。

4節  散らされた人々はみ言葉を宣べ伝えた。

5-8節 ピリポのサマリヤ伝道。み言葉に聞き御業が起こり、喜びが起った。

 

【メッセージのポイント】

  • 迫害者サウロと信仰深い人々の姿

1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。

2 信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。

3 ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。        1-3節

 ステファノの死は、人々の中に、いくつかの行動を引き起こしました。

一つは。これによって迫害が一気に起こりました。その急先鋒になったのがサウロでした。彼はバリバリのパリサイ人で、律法の一点一画をずらすことなく守って生きて来ました。その律法よれば、木にかけられたものは呪われた者でした。イエス様が十字架にかけられたのは、自分を神の子と言ったためでした。どんなに人々を癒し、生まれつきの身体の不自由な人を直したとしても、人間が自分を神としたら、それは許されることではありませんでした。ローマの皇帝が神として自分を拝め、と命令を出したとしても、ユダヤ人は拝みませんでした。そんな彼らから見たら、イエス様はガリラヤ出身の一介の大工のせがれで、空から雲に乗って降りてきたわけでもない、ただの人間でした。正義感に燃えて、サウロはこの教えを撲滅させなければと奮い立ったのでした。

一方、ステパノの死を見ていた、信仰深い人々はステパノを葬りました。この信仰深い人々が誰であるかは二通りの見解があります。残っていた使徒たちと考える見方。もう一つは、2:5に さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、とあるこの信仰深いユダヤ人と同じことばが使われているので、ステパノの輝いた姿と、語った言葉に心動かされたユダヤ人で、処刑には反対であった人々、との見方です。いずれにしても、本来の律法では、罪人として処刑された者も、葬ることを命じていましたが、当時の決まりではしてはいけないことになっていました。しかし、信仰深いユダヤ人たちは処刑されたステパノをきちんと葬ったのでした。

そして、この時のステパノの姿は、迫害者で、後に伝道者となった、サウロの心にも、焼き付いていました。後に『主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。20 また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです』。22:20節と彼の口が証言しています。ステパノの死は、多くの人々の心に主の証人として輝き、働きかけました。彼の死は多くの実を結びました。

 

2)散らされた人々は御言を宣べ伝えた

さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。   4節

使徒以外のクリスチャンの人々は、迫害を避けて散らされて行きました。使徒たちは、エルサレムに残りました。教会の中心を守る信仰もあったでしょうが、彼らは皆ユダヤ人でした。しかも、神殿での礼拝を守っていましたから、(美しの門で、足の不自由な人に出会いました)迫害の対象にはならなかったのかもしれません。当時は自覚的にもユダヤ教を否定したとは思っていなかったでしょう。異邦人が神様の救いの対象であることが、本当によくわかってきたのは、ペテロがコルネリオの家に招かれた時でした。異邦人にイエス様の福音を語った時、聖霊が下ったのを経験した時でした。

迫害が起った時、ある方が、彼らは、信じた時に、私有財産を教会に捧げていたので、身軽にどこにでも行くことができたと言っています。あるいはそうかもしれません。でももしそうだとしたら、着の身着のままで、生活の心配はなかったのでしょうか?そのような心配をしている様子はみじんも見えませんね。散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。と書かれているだけです。イエス様も弟子達を宣教に遣わす時、財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。10 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。 11 どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。マタ 10:9-11と語られました。この神様への信頼が散らされていった人々にもあって、思い煩わずそのようにまもられたのかもしれません。

 そして、彼らは喜びに溢れて黙っていられなくて、伝えたことでしょう。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。二テモ4:2とテモテにパウロが勧めていますが、彼らが義務でしたとは見えません。

中国の兄弟姉妹も伝道して、当局につかまって何日か拘束され、帰されたら、またマスクと一緒にトラクトを配ったと知りました。

 瀬尾弘志先生は91歳の牧師先生ですが、お手紙を頂きました。「19歳になったつもりで今年も出発した。19歳の時、救われた喜びのあまり農協のそばで、路傍伝道して献身を決意した。」と、お便りにありました。救われた喜びがあふれて19歳の瀬尾青年が、叫んでいる伝える姿が見えるようでした。

 

3)ピリポの話しに耳を傾け、大変な喜びが起った。

 

5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。7 汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。8 それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。   5-8節

 5節からは、ピリポの働が書かれています。サマリヤの町に下って行ったと書かれています。1章8節で、 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。とイエス様が語られましたが、迫害を通して図らずもサマリヤに福音が伝えられることになりました。

 ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲であったことは、お聞きになっていると思います。ユダヤ人はイスラエルがバビロン捕囚になった時、サマリヤに異邦人が送り込まれ、その人々と結婚したので、汚れた、として忌み嫌った仲だったのでした。しかし、イエス様は、かつてサマリヤの井戸辺で、女の人を救ったことがありました。神様の思いは、すべての人が救を受ける事でした。

 そして、今、迫害の中で、福音が伝えられたのでした。

 彼らに身の危険の恐れはなかったのでしょうか?そのような気配はみじんも見られませんね。これは彼らがそうせよ、と言われたからしているとは思われません。彼らは聖霊に満たされて、喜びのあまり語ったのでしょう。そして、み言葉が聞いている人々の心を捕えました。イエス様がされたように、汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。という出来事が起こりました。マタイによる福音書を聖研祈祷会で学んでいますが、イエス様は、病や、悪霊につかれた人々が連れてこられた時、すべてお癒し下さいました。罪の赦しこそ最大の癒しですが、それに添えて、人々の困難をはらわたが千切れるほどに思いやってくださる神様の愛がその事をしてくださったのでした。この恵は大変な喜びを人々にもたらしました。

 これこそ、お金でも、権力者でももたらすことのできない喜びでした。→アフリカのタンザニアの宣教報告に、悪霊が出て行ったり、足がグニャグニャだった子の母親が祈りを依頼して癒された記事が載っていました。今でも神様はこのように働かれます。私も小さな業ですが毎日御業を拝しています。

 わたしの赤羽伝道時代、元お坊さんをしていた、ホームレスの方が、教会に入ってきました。それから祈祷会、礼拝、ジョイフルナイトと集うようになりました。

 彼はそれほど秀才とは見えませんでしたが、喜びにあふれていました。日曜日の来るのが待ち遠しくて、帰る時は涙がにじむこともありました。神様と兄弟姉妹の交わりが喜びでした。「今日は仏教とキリスト教の違いを話しますからジョイフルナイトに来て下さい」と証しされたことがありました。詳しい内容は忘れましたが、生ける神様に出会った喜びで生きていました。

 この命を私達も頂いています。聖霊様を常に心の王座に迎え、喜びあふれて教会から遣わされて、家族に、職場に福音の御言葉を語らせていただきましょう。ステパノは、主を見上げ続けました。現実に思い煩いが来る時もありましょう、主のくださった赦しと、今も必要に答えてくださる主を見上げて、常に喜び、絶えず祈り、全てのこと感謝しましょう!   ハレルヤ!

祈り

 神様、世界は本当の喜びを求めています。迫害でも、戦争でも、コロナでも奪うことのできない喜びを、聖霊様によって満たし続けて下さい。遣わされているところで、この福音を伝えさせてください。主の御名によって。アーメン