新宿西教会講壇交換礼拝説教「福音の真理」ガラテヤ5:2~15 五日市教会牧師  細田隆先生

7月17日(日)主日礼拝説教「福音の真理」

聖書箇所:ガラテヤ5:2~15

説教者:細田隆牧師(五日市教会)

 このガラテヤの信徒への手紙は、使徒パウロが小アジアのガラテヤ地方の諸教会に宛てた手紙です。主イエス・キリストが生まれる200年と少し前、ヨーロッパの中程の地域から、ケルト系民族の人々が、小アジアのガラテヤ地方に移住して来ました。ギリシャ語でガラテヤ人と言われたこの人々は、ラテン語でケルト人と呼ばれる人々と同じです。しかし、使徒パウロが基を築いたガラテヤの諸教会の人々が、民族的にケルト系の人々であったかはわかりません。しかし、この小アジアのガラテヤ地方には、たくさんのケルト系の住民がいたことは確かです。

 当時の小アジアから、ギリシャ、そしてイタリアの半島にかけて、そしてもちろん、ユダヤの国のあるパレスチナも、ローマ帝国が支配した地域であり、その帝国に属する地域でした。ローマ帝国の都、ローマのあるイタリア半島では、ラテン語も使われていましたが、当時の地中海世界のローマ帝国領土内では、主にギリシャ語が共通語として用いられていました。パウロは小アジアの国際的な都市、タルソス出身のユダヤ人であり、ギリシャ語の能力に優れていたことが、彼の宣教にとってとても大きな効果をもたらしました。主イエス・キリストの福音はユダヤ民族のためだけのものでなく、当時の世界の全ての民に伝えるべきものだと、主イエスの弟子たちは意識していましたが、イエス様の直弟子たちは主にユダヤのあるパレスチナ地方に留まって宣教しているのが現状でした。しかし、パウロは生粋のユダヤ人でありながらも、ユダヤの国を超えて、ギリシャ・ローマ世界ヘとイエス・キリストの福音をたずさえ、宣教の旅に出かけたのです。

 

パウロの生涯で、4度にわたって行われた宣教の旅は、ローマ帝国の都ローマへと向かった旅が、その最後のものとなりました。伝承によると、皇帝ネロの大迫害の時にパウロは殉教したと伝えられています。使徒パウロの生涯は、彼自身がキリストの教会の迫害者だった、ユダヤ教徒時代に劇的な回心を経験し、一転して、キリストの福音の宣教者となるという、神様の御手に導かれた生涯でした。彼の生涯はまさに異邦世界の人々への福音宣教に捧げられた生涯だったのです。

 パウロが宣教旅行に出かける前に、エルサレムで世界最初にできたキリスト教会、エルサレム教会で、イエス様の直弟子たちやパウロなどの福音宣教者たちが集まって、教会の会議が開かれました。最も発言力のある人々は、イエス様に信頼されていた、あの3人の弟子、ペテロ、ヨハネ、ヤコブでした。この会議において、ユダヤ人でキリスト者になった者たちは、今後もユダヤ人の慣習を尊重することが確認されましたが、ユダヤ人ではない異邦世界の人々がキリスト者になった場合には、その人々は、ユダヤ人の律法や慣習を強要されるべきでないという事が神様の御心と判断されました。この決定には、ペテロ、ヨハネ、ヤコブも心から同意しました。そして、この3人は異邦人に向けて宣教して行くパウロに、右手を差し出し、握手を交わすことで、パウロに対する一致と援助を約束したのです。キリストの教会は、世界で最初の初代教会の時から、異邦人クリスチャンの自由を認めていました。パウロは確かな自由の福音を胸に抱いて、異邦世界に向けて旅立つことが出来たのです。

 しかし、ある期間が過ぎた時、パウロが基を築いた、ガラテヤ地方の諸教会に、思いがけない事態が発生しました。イエス様の直弟子たちやパウロとも関係のないところから、ユダヤ人の熱狂的な律法主義者たちが、ガラテヤの諸教会に侵入してきたのです。彼らは割礼を受けて、律法を守らなければ救われないと教えて、異邦人のクリスチャンたちを動揺させ、健全だった教会の基を大きく揺るがしたのです。パウロは心からの愛情と共に自由の福音を伝えた、ガラテヤの諸教会を揺るがそうとする偽の宣教者たちに激しく憤り、同時にこの愛するガラテヤの信仰の兄弟姉妹を、何とかキリストの福音に留まらせたいとの願いを込めて、この「ガラテヤの信徒への手紙」をしたためたのでした。結果的にパウロの願いが勝利し、異端思想は退いて行きました。

 パウロのこの手紙は、全体を通して、主イエスの真実の福音に留まるように勧め、この福音をもたらした、パウロへの信頼を持ち続けてほしいと言う思いに満ち、そのことの証明も試みています。人間を救いうるものは、主イエスの十字架の死と復活による救いの御業のみであり、それは「人が心から主イエスへの信仰を受け入れる事によってなされる」と、パウロは確固たる確信と共に語り、その救いには、神様は決して律法の行いを条件として求めてはおられないと教えているのです。このことは、明らかなキリスト教の福音の真理です。この真理は、パウロもイエス様の直弟子たちも、キリストの教会全体が共有し、イエス様がお示しになられた真理です。そしてわたしたちのプロテスタント教会を生み出した16世紀ヨーロッパの宗教改革も、この真理への原点回帰と言える運動だったのです。

 主イエスは、ご自分が十字架に付いて行くという事、そのことが、人類救済の救いの御業であるという聖なる認識に立ち、救い主としての使命を果たされたのです。そして、物分かりの鈍い弟子たちも、ペンテコステの日に降った聖霊の助けによって、この真理を悟り、この真理に立脚して、福音を宣教したのです。キリストの十字架と復活こそ、キリストの信仰の中核であり、そこに教会は立っていなくてはならないのです。キリストの救いへと招かれた全ての人は、神様から、この真理のもとに導かれるのです。キリストの教会は2千年間、この真理がもたらす自由に留まり、わたしたちもここから外に落ちてはいけないのです。

 パウロは懸命に、ガラテヤの信徒の人々が、この自由を失わないようにと語りかけ、同時に彼の福音への激情が爆発しているのがこの手紙と言えます。しかし、この真理と自由こそ、本当にわたしたちにとって大事なのです。

わたしたちは、悔い改めても、自分が道徳的になり切れないことに、がっかりして、自己嫌悪に陥ったり、自分は本当のクリスチャンではないのではとさえ疑うのです。しかし、わたしたちを救ってくださったのは、イエス様であり、わたしたちの道徳的努力ではないという事を、見失ってはいけないのです。しかし忘れてならないことは、この福音の真理は、わたしたちが律法の要求するような、道徳的な正しさを無視して、好き勝手な事に生きることを促すためにあるのではないということです。罪と死から救われたわたしたちは、今度は、神とキリストへの信仰と、神とキリストと隣人への愛に生きるようになるのです。人を決して束縛しない、自由な愛によってなされるキリスト者の人生の歩みは、必然的に、健やかで、清い、愛に溢れたものになって行くのです。しかし、ある人は、自分は聖人とはかけ離れているし、時には、愛にも良心にも背く人間だと思うかもしれません。しかし、自分は愛の人ではないと悲しむ人こそ、真実の愛の近くにいるのです。その人の傍らには、その人を慈しむようなまなざしで包み込む、主イエスがおられるのです。真実の愛は、それが救いの条件ではなくても、キリストの恵みの内にある人から、自然に引き出されて行くのです。それが、その人のすぐ近くにいつもいてくださる、主イエスの恵みです。パウロもそうでしたが、キリストの壮絶な十字架の死と復活を通して、神の愛を知った者は、神の霊の不思議な後押しを受けて、愛の生涯へと促されて行くのです。その愛に満ちた主イエス御自身の生涯のかたちは、わたしたち一人ひとりの生涯といつしか必ず、重なり合って行くのです。わたしたちはそのことを信じてよいのです。