新宿西平和主日礼拝説教「委ねられた神の言葉」ローマ信徒への手紙3:1~8   深谷春男牧師

8月7日(日)主日礼拝説教「委ねられた神の言葉」

聖書箇所:ローマ信徒への手紙3:1~8 ロマ連講⑰

説教者:深谷春男牧師

  今日は平和主日です。先日、北支区祈り会で、奨励の先生が結論として、語られました。「世界がどのように混乱しても神の言葉こそわたしたちの希望、キリストこそわたしたちの平和です。」 アーメン 

【今日の聖書:ロマ3章の概略と構造】

今日からロマ書の学びも第3章に入ります。3章の構造は以下の通り、3部分に分割できます。

Ⅰ.1- 8節  神の真実と人間の罪の対立。

2章で述べたことへの異議への答。ディアトリベー(問答形式)を使用し、パウロが、自ら問い、自ら答えている。

Ⅱ.9-20節  義人はいない、一人もいない。

  10-12節 人間の本性における腐敗性

  13-14節 人間の言語における腐敗性   

  15-18節 人間の行為における腐敗性  

  19-20節 律法は罪の自覚を生じさせるだけで、人を義とはしない。

Ⅲ.21-31節 神の救いの出現!「キリストを信じる信仰が救い」

との宣言。「義人は信仰によって生きる」の解説。聖書の中心!    

 

【更に、今日取り上げる箇所は3章の中の1~8節です】

1- 8節  神の真実と人間の罪について。

これらの質問はいずれもソフィスト的な詭弁です。その前提に義や真実を量的に考え、人間の行為で神の救いが左右されるとしています。

問1、ユダヤ人の優れている点は何か?    (1節)

  答 神の言葉が委ねられていることである。  (2節)

問2、人間の不誠実で神は契約を無効とされるか?  (3節)

  答 あらゆる人が偽っても、神は裏切らない。(4節)

問3、人間の不義が神の義を明らかにするなら神の怒りは不義か(5節)

答 否。神は義である。神の正しさは公理であって揺るがない。(6節)

問4、私の偽りによって神の栄光が明らかとなるなら、

なぜ、私は罰せられるのか?(7節)

答 そのような詭弁を弄する者が罰せられるのは当然。 (8節)

 

【メッセージのポイント】

1)1 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。

2 それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。 (1-2節)

⇒ ユダヤ人の優れた点!「神の言葉」が委ねられた事。

パウロは前章の終わりのユダヤ人と割礼の問題をうけて、ユダヤ人をコテンパンにやっつけました。彼は、ユダヤ人から男反論を予想して、急に、ユダヤ人の優れている点を語り始めました。当時のディアトリベーと言う問答形式の議論の仕方を用いて、自ら質問し、答を述べています。パウロは、ユダヤ人の優れている点は何か。「それはあらゆる面からいろいろ指摘できます」と言っています。パウロも自分がユダヤ人であり、この優位性についてはいろんなことを言いたかったようです。「まず第一に」と言って、「彼らは神の言葉をゆだねられた」ことです、と語りました。神の言葉すなわち、「旧約聖書」が与えられ、神様が世界救済の計画をまず、ユダヤ人を選び、それから全ての人々へと言う計画を持っていたことを語ります。ここでは、第二以降がありませんが、9章4節以下にユダヤ人の救済史における重要性を列挙しています。

そこでは「4 彼らは②イスラエルの民です。③神の子としての身分、④栄光、⑤契約、⑥律法、⑦礼拝、⑧約束は彼らのものです。5 ⑨先祖たちも彼らのものであり、⑩肉によればキリストも彼らから出られたのです」と、矢継ぎ早に、神の民イスラエルの優位性を語りました。

しかし、「まず第一に!」と強調されて、「神の言葉が委ねられた」事の大切さを語ります。パウロの心の中には神の言葉(!)が神の民に委ねられたこととして、最重要な内容を指摘しました。これは素晴しい告白!「神の言葉」=「神の救いの計画」をしっかり悟るべきです。

最近は祈祷会で詩篇119篇などを読むと恵みの深さに圧倒されます。

 

2)3 すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。      (3-4節)

⇒ 神は真実な方である!

パウロの論争は、ユダヤ人が神の言葉を与えられて、神の救いの歴史の計画で重要であったと語った後に、急に、ユダヤ人の不誠実の問題に焦点が変化してゆきます。ユダヤ人の中にも不誠実な者がいる。その不誠実によって神の契約は無となるのか?人間の側に多くの不誠実なもの不真実なものがおれば、神の真実は無となるのだろうか、という質問です。これに対しては、パウロは「断じてそうではない!(メー ゲノイト!)」と強い否定をしています。この言葉は新約聖書で15回用いられ、そのうちの14回はパウロが用いています。パウロにとって「神の誠実が無とされる」というような言葉は耐えられなかったのでしょう。彼はすぐに「人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです」と語りました。

「冗談ではない。たとえ、世界中の人間が嘘つきであっても、神だけはつねに真実なお方である」(柳生直行訳)。

パウロにとっては神に対する尊敬と恐れの伴わない言葉は語ることができなかったのでしょう。

 以前ヨブ記でも、「ヨブは神をのろって死になさい」(2:9)と言う妻の言葉が、へブル語の原文では「神を祝福して死になさい」と書いてあるのを見て不思議に思ったので、先生に聞いたら、先生は「ユダヤ人は、ジョークでも『神をのろう』などという言葉を発することができないのだ」と語られたのを思い起こします。

 時々、冗談で「悔い改め」を「食い改め」と引っ掛けていうことがありますが、「悔い改め」と言うような大切な言葉はあまり冗談で茶化すのは良くないと思います。

 

3)、5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。6 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。7 しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。8 むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。 (5-8節)

 悔い改めの大切さ!

  ここには、当時の詭弁が語られています。

問3、人間の不義が神の義を明らかにするなら神の怒りは不義?(5節)

答 否。神は義である。神の正しさは公理であって揺るがない。(6節)

問4、私の偽りによって、神の真実が一層明らかにされ栄光となるなら、なぜ、私は罰せられるか?             (7節)

答 そのような詭弁を弄する者が罰せられるのは当然である。(8節)   もしも、いい加減な人間がいるからこそ、真実な人間がわかる。わたしの不義があるからこそ、神の義はあらわになる。わたしの不義は、そのような意味で神の義を明瞭にしているのだ。不義を裁く神の怒りの裁きは不義ではないか?さらに、わたしの罪や偽りがあるから、神の真実と栄光の輝きがはっきりするのだ。だから、わたしの罪は罰せられるべきではないのではないか?と言う質問です。そして、クリスチャンやパウロの教えはこのようなことを教えているという誹謗中傷がありますが、これらはまったく成り立たない、とパウロは語っているのです。

 このような詭弁は何を意味しているかと言うと、ユダヤ人の罪は、ひたすら、自分には罪はないと主張し、イエス・キリストの救いを受け入れないところにあると語っているのです。いつでもああでもない、こうでもないといって自分の罪を認めず、主イエスの「十字架の罪の赦しの福音」、「贖い」を受け入れようとしない愚かさを指摘しているのです。

わたしどもは、神の救済の歴史の中で、ユダヤ人が神様に選ばれ、神の言葉である聖書が与えられたことの重要さに、霊の目が開かれます。それによって「神の救いの歴史」を深く理解すると共に、自分自身の罪深さを悟のです。「神・罪・救い・信仰」はっきりと理解するのです。

 「神の言葉=聖書」は、罪と死の支配の中に歩み続けた人類が、主イエスの十字架と復活により「救いの人生」に生きる「神の救いの計画」を指し示すのです。以下のような主題が語られます。

【旧約聖書】天地創造 ― 人間の創造 - 堕罪 - 原歴史 – 神の民の形成 - 出エジプト - 契約と律法の授与 - 荒野放浪 - 王国の成立 - バビロン捕囚(選民失格) - 帰還 - 回復とユダヤ教の成立(律法中心の宗教国家)・・苦難の僕の贖罪(イザヤ53章)と「新しい契約」(エレミヤ31:31)・・・・

【新約聖書】救い主の誕生・受肉 - キリストの十字架・復活 – 聖霊の降臨 ― 教会の設立 - 世界宣教 - 再臨 - 新天新地

  この旧約、新約聖書の示す主題は明白なのです。中心は、主イエス様の十字架の「罪の贖い」です。ロマ3:21~26なのだと語ります。この救いの歴史、神の言葉を、ユダヤ人は優れた点はたくさんあるが、その第一として与えられたのですね。ハレルヤ

 

【祈祷】 父なる御神よ。礼拝において聖書の御言葉、特にその中心と言われるロマ書を学び得たことを感謝します。神の民であったユダヤ人の優れている点は何か?と言う学びでした。パウロは「神の言葉が委ねられたこと」を挙げました。神の言葉=聖書が委ねられたことは大変なこと。旧約聖書の主題、新約聖書の主題。主イエスの十字架と復活の信仰により、救いの民として歩ませて下さい。御名によって祈ります。アーメン