新宿西教会木曜聖研祈祷会説教「バビロン川のほとりで」詩篇137篇 深谷春男牧師

9月22日「バビロン川のほとりで」

聖書:詩篇137篇

説教者:深谷春男牧師             

 戦後も77年を迎えました。毎年、終戦のころにはTVなどで、終戦後の映像などが放映されます。それを見ると、中国や南方などの外地から帰ってきた人々が見た、焼け野原の東京、荒廃した祖国の姿などが描き出されます。呆然と立ち尽くす人々の姿、戦争で受けた傷と復興のための暗中模索の日々。多くの方々の命がけの労苦の中に、戦後の日本の復興があり、現在の日本があるのだと改めて思います。多くの方々の労苦、特にシベリヤに捕囚となっていった方々の極寒の地での労苦の姿などを見ると、日本の先達達の御労苦を忘れてはいけないと思います。 

【今日の聖書箇所の概略】

今日ご一緒に読みます詩篇137篇は、同じような敗戦と捕虜生活、そして祖国復興の祈りと戦争の深い傷跡をわれらは見ることができます。この詩は、バビロンから帰還した音楽関係のレビ人の作ではないかと推測されます。紀元前586年、バビロン軍の怒濤のような軍隊の力に飲み込まれて、南ユダの首都エルサレムは崩壊し、ユダヤ人の精神的な支えであった神殿も無残に破壊されてしまい、国のリーダーは殺害され、生き残った者たちもバビロンや、様々なところに連行され、奴隷のようになって、難民の生活をせざるを得ませんでした。そして、時は過ぎて、538年、バビロンは崩壊し、ペルシャのクロス王の時代になって、かしこいクロス王の勅令で、イスラエルは故国に帰る事が許されました。詩篇126篇などには、クロスの勅令で、故郷に帰ることができるというニュースを聞いたときには「夢を見ているような思い、笑いと喜びで満たされた」と歌われております。そして、故国エルサレムに帰ってゆきました。もちろん帰れない方々もたくさんいたのであろうと思います。しかし、実際に帰ってみると、エルサレムの荒廃の現実を見て、茫然とせざるを得ませんでした。神殿もがれきの山となったまま、あのエルサレム崩壊の時のバビロン軍の恐ろしい虐殺や暴行の時代を思い出して、ちいさな子供まで、殺されていった時代を嘆き、破壊者であり、殺人者であった、バビロン軍への報復を主に願っったという強烈な詩篇です。

 

【メッセージのポイント】

1)1 われらは

バビロンの川のほとりにすわり、

シオンを思い出して涙を流した。

2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。

3 われらをとりこにした者が、

われらに歌を求めたからである。

われらを苦しめる者が楽しみにしようと、

「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

4 われらは外国にあって、

どうして主の歌をうたえようか。(1ー4節)

⇒ 囚われの地での悲しみ   

 この詩は、まずバビロンに捕われれて行った人々の捕囚の地での悲しみの出来事の回顧から始まっています。「バビロンの流れ」は複数形が用いられています。そのほとりに座り、シオン(エルサレムの神殿があった丘の名)を思って、わたしたちは涙を流した」と回想しています。

たてごとは柳の木にかけられました。わたしたちをとりこにした者が『シオンの歌』(礼拝の賛美歌)をを歌えと言ったからだ」と告白されています。今でいえば、捕虜になった難民生活者の中に、オーケストラのバイオリン奏者がいて、厳しい労働の後か、食事後のような時に、一曲、弾いてくれと言われて、とても弾く気になれないと、バイオリンを木の枝のところに置いてしまった、という状況を考えることが出来るのではないだろうか。

この詩人にとって、自分たちを虜にし、愛する同胞を殺した敵国の支配者たちへの憎しみ。また、神様に従うことをせず、繰り返し、主の預言者を拒み続けた自分たちの罪のゆえに今、虜となっているみじめな現実。

ああ、わたしたちはどうして神の恩寵を歌った、あのシオンの歌、賛美歌をこの、みじめな捕囚の状態で歌えようか、と嘆いています。囚われの地にある、神の民の悲しみを告白しています。

わたしはこの詩には思い出があります。神学校への入学する前に、一年間教会献身をしました。教会から職業訓練校にも通っていました。罪の力が押し寄せる時もありました。自分の愚かさと弱さのゆえに、主を心から讃美できず、礼拝の中でぽろぽろと涙を流したのを覚えています。                       

 

2) 5 エルサレムよ、

もしわたしがあなたを忘れるならば、

わが右の手を衰えさせてください。

 6 もしわたしがあなたを思い出さないならば、

もしわたしがエルサレムを

わが最高の喜びとしないならば、

わが舌をあごにつかせてください。(5ー6節)

⇒ 燃え上がるエルサレムへの愛        

 5節からは詩人のエルサレムへの熱愛が語られます。バビロンによって滅ぼされた愛するわが都。「わたしがあなた(エルサレム)を忘れることがあったなら、右の手が萎えてもいい!人生の最高の目標をエルサレムの復興としないなら、舌が上あごに張り付くような、どんなひどい呪いにあってもいい!」と呪いをかけて、滅ぼされたエルサレムの復興を誓っています。

 これは非常に強い表現です。「もしも」ということばが3回繰り返されて、「わたしはエルサレム、あなたを忘れない。廃墟となった神の都。あなたを忘れない。絶対に忘れない。エルサレムの復興をわたしの人生の最大の課題にする!もしも、自分の欲望にかまけて神様の都の復興を第一にしないようなことがあったら、わたしの人生はどんなにのろわれてもいい。右の手がなくなってしまったって、食べるものがなくなったってかまいません。

神様、わたしの人生の目的はエルサレムの復興以外ありません!つまらない私利私欲の奴隷にでもなったら、わたしをのろってください!」という熱情のことば、燃え上がるエルサレムへの愛の告白です。この燃え上がる献身の熱情が神の民を支えてきました。

 教会献身の時に、5,6節をポケットに書いて持っていた時がありました。神様を第一に出来ず、惨めな霊的な敗北の中にあってはならない、教会の献身者として「教会のリバイバル」を第一とするのだ!と自分に語りました。

 

3)7 主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、

「これを破壊せよ、これを破壊せよ、

その基までも破壊せよ」と

言ったことを覚えてください。

 8 破壊者であるバビロンの娘よ、

あなたがわれらにしたことを、

あなたに仕返しする人はさいわいである。

 9 あなたのみどりごを取って

岩になげうつ者はさいわいである。(7ー9節)   

⇒ 敵への復讐と呪いを越えて  

7、8節は切実な、詩人の魂からにじみ出るような告白の言葉です。エルサレムの崩壊したあの日に、近くにいたエドム民族の人々はわいわいと物見にやってきて、「ぶっこわせ、ぶっこわせ」(関根訳)とはやしたてた。バビロンの兵隊はわたしたちの赤子をボールのように岩に投げ打って殺した。あの光景は頭から離れない!同じことをされてみよ!彼らに同じ痛みを負わせる者は幸いだ!          

 これは悲しみを体験した率直な気持ちの告白です。

 

もちろんこの様な復習の思いは新約聖書では否定され、主イエスの言葉としてマタイ5:43ではこのように教えられています。

43 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」45 こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

使徒パウロもローマ人への手紙12章19節-21節で次のように教えます。

「17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。19 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。12:20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。21 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。

 

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」   

 

【祈祷】全能の父なる神様。わたしどもの霊の目を開いて、あなたの語る福音に耳を傾けさせて下さい。特に旧約聖書や新約聖書を通して、神様の深い摂理の世界、神様の歴史経綸の世界に理解が及びますように。人間の罪とその悲惨の世界を知り、あなたの恵みと慈しみの計画を知り、その頂点の主イエスの十字架と復活に理解が及びますように。また、天のエルサレムへの熱き愛と献身の思いを整えて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン