新宿西教会オープンチャーチ主日礼拝説教「最善と最愛が追ってくる」詩篇23篇 深谷春男牧師

10月2日「最善と最愛が追ってくる」

聖書:詩篇23篇

説教者:深谷春男牧師 

  「人生は出会いできまる」とは、ユダヤの哲学者マルチン・ブーバーの言葉です。人生の一番大きな出来事は、人格と人格との出会いです。お母さんと出会い、お父さんと出会い、兄弟や姉妹、学校で生活するようになるとクラスメイトや恩師との出会い、また社会生活の中では、仕事の上司との出会い同僚との出会い、また配偶者との出会いなどを経験します。そしてやがて、救い主と出会い、天地の創造者なる絶対的人格者なるお方に出会うのです。教会は、そして礼拝は、これらの人格との出会いを経験する「人生劇場!」なのです。 

【今日の聖書の概説】

今日の聖書箇所は 詩篇23篇です。この詩は不思議な力を持った詩で、わたしの愛唱詩篇ですという人は実に多くいらっしゃいます。わたしも聖書中で最も好きな個所でもあります。  この詩はスポルジョンが「詩篇の真珠」と呼んでいますが、実に信仰生活というアコヤ貝の中で結晶した真珠のような深い味わいのある詩です。神様への信仰を、羊が羊飼いに信頼し、羊飼いが羊を愛して、丁寧に導くさまと、荒野で敵に追われてある天幕に逃げ込んだら、その主人が敵の前に宴を設けて、正賓としてわたしを迎えてくれた様子とにたとえて、歌っています。神様に信頼して歩む、その守りと喜びの詩篇です。

 

【メッセージのポイント】

1)、主はわが牧者 われ乏しきことなし  (1節)

⇒乏しきことのない人生。

この世界を創造し、支配しておられる全能の神が、わたしの牧者(羊飼い)であるので、わたしには乏しいことがないと言うのです。この一語は聖書の信仰をよく言い表しています。クリスチャン生涯は「乏しきことのない人生!」であるというのです。

 羊飼いと羊の信頼関係等と言っても、現代日本に生きるわたしどもに取ってはあまりピンときません。犬や猫を飼った経験をお持ちの方は、動物の主人を慕う気持ちがお分かりになると思います。しかし、羊と羊飼いの関係は、犬や猫の比ではないようです。実際に、オーストラリアで羊飼いの経験をして、それから牧師になったフィリップ・ケラーという方が「羊飼いの見た詩23篇」という本を書かれました。その本によると、羊は体重の70%以上が水でできており、とても弱い動物だそうです。羊は極度に近眼で、また、方向音痴だそうです。また、なかなか神経質でお互いの人間関係(羊関係?)が大変で、腹ばいになっているような絵を時々見かけますが、あのようなことはほとんどないそうです。

わたしが28歳で牧師になった時、ある50代の役員さんが「虫歯が痛いのを感謝した」という感動的な証しをしました。虫歯が痛いのは本当に参ってしまいますが、神さまがわたしたちの身体を維持するために神経を与え、その警告を与えてくださるのだと感謝できるというのです。虫歯が痛いのを感謝とは、信仰の達人ですね。その後、わたしも虫歯で痛んだ時、役員に負けないよう感謝しました。でもすぐには治りませんでしたが・・・。

感謝のない不平不満の中に、人生は、茨ばかりの畑のようです。でも、心を主に向けて、主の福音の中に行きはじめる時、人は変わります。人生の勝利は神への信頼と従順にあります。「主はわが牧者。われ乏しきことなし!」

 

2)たとい、死の陰の谷を歩むとも災いを恐れません。

    あなたがわたしと共におられるからです。(4節)

  ⇒「恐れることのない人生」

「死の陰の谷」とは、何という恐ろしい言葉でしょうか?死の可能性がほのめかされる状態、死の冷たい陰がサーっとわたしどもの人生によぎることがあるのです。肉体的にも、精神的にも、そのような極限状態を通ることがわたしどもの生涯にはあるのです。一体、このような時にわたしどもは、何に、最終的な拠り所を得ることができるのでしょうか?

ガンの告知を受けて手術された方々がたくさんおられると思います。また、ご高齢になられれば、肉体の健康は少しづつ損なわれてゆきます。かつてある御夫人は、手術台に載って、手術室に入った時に、神様の深い恵みの御手に支えられ、不思議な平安の中に手術を終えることができたと証しされました。「一体、あの時の平安はどこから来るのでしょうか。本当に不思議です」と手術後に証しされました。わたしどもの生涯は、実に「主の臨在」の守りの中に歩み行く生涯なのです。神が共におられる時、わたしどもは様々な恐れから解放されるのです。

洗礼を受けた日、1969年12月21日。クリスマス祝会で最年長の白石万亀子姉が『たといわれ、死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ、汝、われとともにいませばなり』…」と暗唱してくださったのです。わたしはそれを聞いて、この聖句を一生の聖句としようと思いました。クリスマス祝会を終えて、桜台駅から自分のアパートに帰るまで、わたしは、うれしくてうれしくて、心の喜びを押さえ切れませんでした。町を歩きながら、賛美したり、横に歩いたり、後ろ向きになったり、飛び跳ねたりして帰って行ったのです。夜風がわたしの首に巻き付いて来るような解放の喜びでした。

個人の生涯にもさまざまな「死の影の谷」を通る体験がありますが、人類の歴史の中でも、「死の陰の谷」を通った体験を持たれる方がたくさんおられます。第二次大戦のナチスの支配下にあったヨーロッパの人々の信仰の戦いの日々などはその一つでしょう。コリー・テン・ブーム女史の「主のための放浪者」は素晴らしい証しです。彼女はオランダの時計商の娘でした。彼女のうちはユダヤ人をかくまったと言うことだけで、家族全員が強制収容所に送られました。彼女も家畜列車に乗せられて、収容所へと送られたのです。彼女は家畜列車にぎゅうぎゅう詰めにされ、地獄のような世界におりました。おトイレに行くこともできませんでした。それに、これから行くところはナチスの管理する強制収容所です。彼女は列車の中で密かに縫い込んだ新約聖書を手にしてお祈りをしました。「主よ、このような厳しい現実の中にわたしは今います。しかもこれから行くところは恐ろしい強制収容所です。」でも、祈りの中で、輝く主の臨在を感じて、その列車の中が平安で満ちたというのです。彼女はこのように書いています。「深い平安の中で、わたしは信仰の確信に満ち、たとい、本物の地獄であっても、主と共にいるなら、恐れずに行くことができる!」と確信していた、と。

面白い論文があります。この詩には不思議なレトリックが隠されているというのです。ユダヤの言葉で主を意味するYHWHの「聖四文字」(テトラグラマトン)は「10+5+6+5=26」という意味になります。ユダヤには数字がないので文字が数字にもなるのです。この詩のちょうど真ん中は「キーアッター・イマデイ」(げに汝共にいます)という言葉で、主の臨在を意味するといいます。さらに詳しく見ると、原語では前半が26文字、後半が26文字となります。この詩はYHWHという言葉が後ろにも前にも真中にも満ちています。

何はともあれ、この詩の中心に「主の臨在」があり、それはわたしどもの平安の源なのです。主に従う人生は「恐れることのない」人生なのです。

 

3)、恵みと慈しみがいつもわたしを追う。(6節)。

「迷うことのない人生」

ここにある「恵み」はトーブ、「慈しみ」はヘセドという言葉が使用されています。直訳すれば「神の最善と最愛」。この二つが、わたしどもの生涯を追ってくるのです。ちょうど、道に迷った羊を二匹のシェパードが追ってきて、もとの道に戻してくれるように。なんという幸い。しかも追ってくるのは意地悪な「懲らしめ」や「裁き」でなく、「最善」と「最愛」なのです。

1989年、2月9日。この日、わたしは家庭集会に急いでおりました。いつもの車を運転しながらも、小さな路地をも気ぜわしく通過しようとしていました。ところが、狭い道から年配の女性がわたしの車の前に、自転車で飛び出してきたのです。わたしは急いで急ブレーキを掛けました。ところが間に合いませんでした。「こつん」と車に自転車があたった感触があったのです。わたしは急いで、運転席から外に出ました。そしたら、その女性が「痛い!痛い!」と叫んでいるのです。彼女の足はわたしの車の前輪の下になっており、外からでも彼女の足の骨が折れているのが分かりました。彼女の足を取り出しているうちに救急車と警察が来ました。彼女は病院へ、わたしは警察に連れて行かれました。わたしは「もう、牧師を止めなければいけないか」と思うほどに思い込んでいました。教会で家内に話しますと、近くにいた青年が、「すべてのことあい働いて益となるって、先生はいつも語っていましたよ」と言う。「牧師の気持ちも知らないで・・」と思っていました。わたしと家内は毎日、彼女の入院先を訪問しました。最初のころは、果物やお花などを持って行きましたが、時には、教会の伝道新聞なども持って行くときもありました。数ヶ月して彼女が退院した時に、彼女は、まず教会に挨拶に来られました。その時、彼女と話をしていて、「明日、野外礼拝と言うのがありますが、ご一緒に出席しませんか?」と聞きましたら、「ええ、それじゃ、参加させていただきます」というのです。それから、とても親しくなり、毎週礼拝に出席するようになり、なんと、二ヶ月後に洗礼を受けたのです!洗礼を受けた後に、先の青年が言いました。「先生、うまいことやったね!またやって下さい!」「

でも、わたしはこの体験から、いつも失敗した時にはへりくだって、主に祈ることを学びました。主の「最善と最愛」が追ってくるのです。もちろん、それからはハンドルを握る時は、必ず、祈りますが・・。

 

愛する兄弟姉妹。主にある人生は何という恵みに満ちたものでしょうか?主にある人生は「乏しいことのない人生」「恐れることのない人生」「迷うことのない人生」なのです。主は十字架と復活の信仰においてこれらの人生を与えて下さり、聖霊による勝利の人生を約束して下さっているのです。主は、最善と最愛をもって、わたしどもを追って来てくださるのです。ハレルヤ!

 

【祈り】主よ、教会のオープンチャーチ月間が始りました。今、天国に繋がる扉が開かれています。「乏しいことのない人生」「恐れることのない人生」「迷うことのない人生」を、臨在の主が共に歩み、導いて下さいますように。御前にある御一人御一人を祝福し、すばらしい勝利の中を歩めるようによろしくお願いします。イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。