新宿西教会主日礼拝説教「サウロ変身」使徒行伝9:19b~25 深谷美歌子牧師

説教「サウロ変身」

聖書:使徒行伝9:19b~25

説教者:深谷美歌子牧師 

 前回までのあらすじ。
 頭から福音を拒絶し、クリスチャンを撲滅しようとしていたパリサイ人サウロが、ダマスコ途上で光に照らされて、目が見えなくなり、ダマスコ市内へと手を引かれて入り、三日間食べることも飲むこともしませんでした。この間、パウロは十字架に死んだ人間と信じていたイエス様は今、弟子達が話していた通り生きておられた。「わたしをなぜ迫害するか」と語りかけられたことは、自分がしてきたことは、神からのメシヤを拒否し、その弟子達を死に至らせた取り返しのつかない罪を犯したことと思い返していました。「なすべきことが告げられる」と語られたが、どうすればよいのだろう?

 そこで、パウロは心から祈りました。たぶんそれまでも、心からの祈りはあったと思いますが、これほどにその人格をかけて神様に向かう祈りはしたことがなかったのではないでしょうか? そのとき、ちょうど神さまからアナニヤが遣わされ、手を置いて祈ると、「サウロの目から、うろこのようなものが落ち」ました。肉眼も見えるようになりましたが、霊の目が開かれたのでした。

そのあと、サウロがどうしたかを本日は見てまいります。

【聖書箇所の概説】

19-20節 サウロは弟子達と数日間過ごし、イエスは神の子と説き始めた。

21-22節 話を聞いた人々は非常に驚いたが、ますます論証し言い伏せた。

23ー25節 日数が経ち、パウロ殺害という情報を受け、弟子達が逃したこと。

 

【メッセージのポイント】

1)サウロ変身、イエスは神の子と宣べ始めた。

19 また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、20 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。  19,20節 

 サウロは肉眼と霊の目が開かれて、食事をとり、元気を取り戻しました。取り戻したと言うのですから、元に戻ったことですが、しかしここで取り戻した元気は体のことで、彼自身の内側は、全く変わっていました。まさに180度の転換でした。今までクリスチャンを迫害していましたが今や迫害される側に立って、しかも「イエスこそ神の子である」と説き始めたのでした。

 これは、普通の常識では、できないことです。まだきっとクリスチャンを捕縛する許可証も持っていたに違いありません。クリスチャン達は、殺害の息も荒く乗り込んで来るおおかみのように思っていたに違いありません。クリスチャンにとっても、待っていたユダヤ人達にとっても、信じ難いことでした。凡人なら、人前に恥ずかしくてできないと思うことでしょう。

しかもただちに「イエスは神の子」と宣べ始めたとあります。

*ここで、ちょっとお伝えします。「ただちに」とありますが、パウロ自身のこの時の経験を語っている、ガラテヤ1:16,17には、 異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、 また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。とあります。、御子が啓示されたすぐ後にアラビアーその当時すぐお隣にあったナバタイ国であったろうと思われます。そして、ガラ 1:18 その後三年たってから、エルサレムに上ったとあります。

 イエス様に出会ってから、その事の裏付けを、ガマリエルの門下生として学んでいた旧約のメシヤと符合するのかと、祈りつつ確かめた日があったにちがいありません。聖書に精通していたサウロが、確信を得て「イエスは神の子」と宣べ伝える確信をもちました。

 そしてダマスコに戻って伝道したのでしょう。この伝道期間も含めて三年後、エルサレムに上ったのでしょう。

 

2)ますます力がくわわり

21 これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。22 しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。  21、22節

 伝道を始めたサウロを見たユダヤ人たちの驚きがすぐに記されています。これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、・・・ではなかったか」何も知らないユダヤ人たちは最初、大喜びで会堂に迎え入れたに違いありません。ところが、聞いていると全く逆のことを言っているのです。「黙れ、黙れ」と言ったかもしれません。でも黙るどころかこのイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せたのでした。この論証すると言う言葉は、「結びつける」「組み合わせる」という言葉から来ているそうですが、旧約聖書から確かに預言されたメシヤであったと「論証」されて、その中から弟子になる人も起こされました。

 この時の様子が書かれていますが、メシヤを見出した喜びを伝えたくてうずうずしている様子が伝わります。

 サウロは今後、迫害が起こると予想されたかもしれませんが「ますます力がくわわった」のでした。このことをうきうきして宣べ伝えている。と表現した方がいます。私達もいただいた命を、うきうきと宣べ伝えさせていただきたいものです。

 わたしの母も、子供の時近所の家の教会の子供集会に行っていました。クリスマスなどは、本教会に合流していたようです。その頃は、教会は献金するから、働くようになったら教会に行こうと思っていたそうです。東京に出て来てから、通勤の途中にある教会に行き、牧師夫人から「美味しいものも、絵で見たり、聞いたりするだけでは解らないでしょ。食べてみてわかる。それは、信じることです」と教えらえて信じました。罪赦された喜びで家族に次々福音を伝えました。べたべたとみ言葉を貼って力を頂いたようです。いつのことか子供の時行った教会に行き、なぜか先生の名前を思い出して言ったら、その先生がその時いたとか?どんなに喜ばれたでしょう。

 

3)彼の弟子たちが助けた

23 相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。24 ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。 9:25 そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。23-25節

 こうしてパウロは、迫害する者から迫害される者になりました。イエス様をパリサイ人らが、十字架につけたように、今度はサウロを殺そうと計られました。

論証で負けて、暴力に訴えたと表現された先生がいます。夫婦喧嘩で言い負かされて暴力に訴える夫に似ているというのです。なるほどと思います。

 今、ロシアがウクライナを攻撃しています。一部の人々が、ロシアに応援を依頼したかもしれませんが、国境は、国際法で決められています。力ずくで奪うものではありませんね。

 しかし、神様は逃れの道を備えられました。サウロの伝道によってイエスキリストを受け入れ、聖霊を受けた弟子達がパウロを守りました。古い城壁の町ダマスコの城壁は、馬車が通れるほどの広さがあったそうです。この壁に沿って建てられていた家から、城壁に上り、篭に載って吊り降ろされたと推測されます。このかごは、イエス様がパンを群衆に配り、残ったパンを集めた時の大きな篭だということです。エレベーターのようですね。そしてこのことをしてくれたのは、彼の弟子と書いてありますから、ダマスコで、パウロの論証によって、信じた人々でした。

 今、信じられないで、敵対している人々にも、きちんと旧約から解き起こし、約束されたメシヤであったことを、伝えてまいりましょう。偏見無く聞き取ろうとしている人であったら、救いに与るでしょう。

 

 姉の結婚相手の西海静雄牧師のことを、お証しさせていただきます。

 彼は、県立高校の事務室で働いていました。そこに、若い女の子がやはり仕事で働いていたそうです。その彼女が、教会に導かれ、イエス様を信じました。それで、しきりに伝道したのです。いくら反対しても絶対にやめようとしません。とうとうこれは教会に行って、牧師から変えなければ目を覚まさないと思って、教会に出かけて行きました。当時山梨の石和教会の牧師は、石川守正先生でした。意気込んで訪ねて来た西海静雄さんを、おおらかに迎え、懇ろに相手をしてくれました。通ううちにイエス様を信じ、礼を受けました。ミイラ取りがミイラになったようなでできごとでした。変身でした。 

 やるとなったら徹底するタイプで、献身し東京聖書学校に入学しました。

 そこでも、ずばずばことをする方で、今でも著書がありますが、渡辺善太先生の正典論にいたく感激し、お手紙を書いて、「この手紙を書いたのはだれだ」と聖書学校に来られたそうです。伝道牧会に出てもユニークで、桜ケ丘教会に赴任し、教会を建てなければならないので祈ってください。と依頼しました。当時の淀橋教会の小原十三司先生が、「献金するよ」と約束すると、次の日「先生約束献金を受け取りに来ました」と出かけて来た。皆アッと驚くようなことをする方でした。姉と結婚し、桜ケ丘で伝道していました。が、結婚一週間で、甲州街道が拡張され、借りて礼拝していた部屋が切り取られてしまいました。切りとられた所を板でおおって、そこで礼拝しました。姉は居るところがなくて、妊娠したので母教会の喬木教会に寄留し、先生は信徒が貸してくれた部屋で寝泊まりし、礼拝は切り取られた所でしたそうです。やがて新築マンションの一階の二部屋分を教会が買い取り、会堂にしました。やがて、牧師館や、分級室(教育館)として上のマンションを買い取りました。そこまでで、西海師夫妻は、聖書学校の舎監に召されました。吉川では、アドバルーンを上げて、特伝の宣伝をしたり、運動会をしたりと、とにかくユニークな伝道者でした。骨髄性畏敬性症候群という病気で亡くなりましたが、闘病の間に本を3冊書かれました。結婚式に来たお友達が「こいつは鳩を捕まえて食べちゃったりするようなやつでした。」と挨拶で言いましたが、私が知った時は静かでしたが、お茶目で、子供たちがなついていました。召された時は高校生になっていましたが、大泣きでした。

祈り 

 神様、サウロはイエス様に出会い、聖霊に満たされてバプテスマを受け、生まれ変わりました。新しい命への変身でした。その命は、迫害もありましたが、命を懸けて悔いない。喜びの命でした。私も召された所で喜んで伝えます。聖霊様によって次々生まれ変わる弟子が起こされますように。

 わたしたちの救い主。イエスキリストの名によって祈ります。アーメン!