説教「ナルドの香油を注ぐ」マタイ26:6~13 深谷春男牧師

2021年3月14日(日)新宿西教会創立66周年記念主日礼拝
聖書箇所:マタイ26:6~13
説教者:深谷春男牧師

 今日は献堂66周年記念礼拝です。創立50周年記念誌。「福音の火をかかげて」によりますと、1955年3月13日午後、新装なった会堂で、内外から教職信徒約80名の列席のもと「教会設立式」と「岡田實牧師就任式」とが東京教区総会議長の島村亀鶴牧師の司式で執り行われた。それから66年になります。多くの方々の愛と祈りと御労苦によって、新宿西教会は導かれてきました。今は、教会歴では受難週。40日間を主イエスの御受難を偲ぶ時として歩みたいと思います。今年は3月28日が棕櫚の聖日、受難週の始まり。4月2日が主イエスの十字架の聖金曜日、4日がイースター(復活祭)です。

【 聖書箇所の概略 】    マタイによる福音書の受難週のはじめの記述は「ナルドの香油の物語」です。主イエスが殺されそうになっている悲しみのその週のはじめに、一人の女性が極めて高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って主イエスに近寄り、食事の席についておられる主イエスの頭に香油を注ぎかけたのでした。マタイの26、27,28、章を新共同訳聖書の項目で全体を見てみますと以下の通りです。

イエスを殺す計略 (26章1‐5 節) 

ベタニアで香油を注がれる (6‐13節)

ユダ、裏切りを企てる( 14‐16節) 

過ぎ越しの食事をする (17‐25節)

   主の晩餐  ( 26‐30節)     

ペトロの離反を予告する(31‐35節)

   ゲッセマネで祈る( 36‐46節)  

 裏切られ、逮捕される(47-56節)

 最高法院で裁判を受ける(57-68節)

 ペトロ、イエスを知らないと言う(69-75節)

 ピラトに引き渡される(27章1-2節)

 ユダ、自殺する(3-10節)

 ピラトから尋問される(11-14節)

 死刑の判決を受ける(15-26節)

 兵士から侮辱を受ける(27-31節)

 十字架につけられる(32-44節)

 イエスの死(45-56節)

 墓に葬られる(57-61節)

 番兵、墓を見張る(62-66節)

 復活する(28章1-10節)

【メッセージのポイント】     

1)6 さて、イエスがベタニヤで、重い皮膚病人シモンの家におられたとき、

 7 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。(6,7節)

  ⇒  受難週の間中、香り続けるナルドの香油!        

   ここに、一人の女性のした行為が記されます。彼女は「食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた」のでした。

 主イエスが十字架に架けられる直前の出来事です。このできごとは、主イエスを殺そうとする宗教的指導者と主を裏切ろうとする弟子達との間に囲まれた、いわば荒野に咲いた一輪の美しい花のようです。ある方は「主イエスのご生涯の終幕は憎悪、裏切り、陰謀、悲劇の連続であっただけに、この話は暗さを増す闇の中で光のオアシスのように輝く」と表現しています。

 この女性はどのような人なのかは分かりません。ルカ福音書の同じような記事では「罪の女」と記されています。自分の過去に傷や、痛みを持っていた人なのでしょうか。彼女は主イエスが、自分のために十字架で身代りになって死なれることを直感したのでしょう。自分の持ち物を全部売りはらってナルドの香油を求め、主イエスの頭に注いだのです。ナルドの香油は大変高価なもので、弟子達の言葉によればそれは300デナリにも売れたといいます。300デナリとは普通の労働者の1年分の給料にあたります。彼女はしかも、立派な入れ物であった石膏の壺まで割って、中の香油を、全部注いだのでした。すべてを主イエスに注いだのです。教会はこの「ナルドの香油」の香りがする所です。

 息子が牧師をしていて、ここからメッセージをしてくれたことがありました。

 その時に、「このナルドの香油の出来事が、その信仰の香いっぱいに部屋に香った以上に、主イエスの葬りの用意として準備された。最後の晩餐の時も、ゲッセマネの時も十字架にかかられた時も、復活する時まで、受難週の間中、香り続けました。」と語るのを聞いて、受難の出来事と、主イエス様への信仰と愛がこの物語に、込められ、世の終わりまで、語り告げられると思いました。

2)8 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。9 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。10 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。(8‐11節)

      ⇒  主イエスにこそ、「良いこと、美しい事」を注げ!

  この時、弟子たちはこの女性のした事を見て憤慨し、「なんのためにこんなむだ使いをするのか」と言いました。彼らには主イエスに注ぐ香油が「むだ使い」に見えたのです。一瞬に300万円も消えてしまえばわたしどもも「もったいない」と思うことでしょう。しかし、ヨハネの記事を見ると特に怒ったのはイスカリオテのユダであったと記しています。彼はこの直後に主イエスを僅か銀30枚で売ってしまいます。他の弟子達も主イエスを裏切ります。

 彼らが「無駄使い」と憤慨した事を、主イエスはやさしく「良いこと」をしてくれたと言われました。マルコ福音書の方では「できる限りのことをしたのだ」と表現しています。「良いこと」は、英語やドイツ語では「美しいこと」と言う訳が多くあります。もともとのギリシャ語では kalos という言葉で、良いことと言う意味と美しいことという意味もあります。人生において最も「良い」こと「美しいこと」とはどういうことでしょうか?今日の聖書は、主イエスの頭に香油を注ぐその愛の行為であると語るのです。

 以前、絵鳩アツヱ先生がホーリネス誌に「わたしが洗礼を受けた頃」という文章の中で、母教会の西下落合キリスト教会の由来について書いておられました。戦後まもなく全海龍という青年が中国から日本に密航して来ました。彼は第二次世界大戦で日本軍に肉親を皆殺しにされ、その仕返しにやってきたのでした。しかし、彼は日本で主イエス・キリストに出会い救いを体験したのです。彼は、今度は日本人を赦し、愛するために伝道に立ち上がったのです。そして、西落合キリスト教会が立ち上がり、絵鳩アツヱ先生もそこで主イエスにお会いしました。生々しい証しに驚きました。

 最も良いこと、美しいことは、主イエスにすべてを注ぐことなのです。

3)12 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。13 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。 

     ⇒  神のナルドの透かし彫り!               (12,13節)                                      

 12節には、この女性の香油を注いだ記事は、主イエスの「葬りの準備」であったと語っています。弟子たちには主イエスの十字架に向かう姿は良くわからなかったようです。でも、この女性は鋭い感覚で、主イエスが殺されること、自分の罪のために命を捨てようとしておられることを悟って、「葬りの用意」をしたのです。自分のすべてを注いでその業をなしたのです。

 さて、このできごとには実は「透かし彫り」のように隠されている中心主題

があります。それは「神のナルド」という主題です。神ご自身が、わたしどもに、ナルドの香油が注がれたのです。それは300デナリどころではない、全宇宙よりも高価な神のひとり子主イエスの血潮です。彼はわれらの罪の代価として最後の血潮の一滴まで注ぎだされました。主の心臓から血と水が流れだしたと言うのは心臓の破裂を意味すると言います。石膏の壺どころか心臓までも砕かれた主イエス。何の価値もない罪人であるわたしどものために「おしげもなく」注がれたその血潮!この「神のナルド」こそが、聖書の語る福音なのです。 

 2005年に聖ヶ丘教会の献堂式に出席しました。説教をされた教団議長の山北宣久師は、お話の中で、「ヒサ・ホール」の由来を話されました。一人の女性、ヒサ姉が自分の生涯の感謝として彼女のナルドを注いだのでした。たいそうな金額であったとのことですが、それに励まされて会堂建築の御業が力強く進んだと言うことでした。このヒサ姉もそうですが、主イエスの福音が語られるところではナルドの香油の物語が必ず起こることを教えられた次第でした。

 守部さんの証しでも、多くの兄弟姉妹のナルドの香油の物語が語られることでしょう。それは主イエスにすべてを注ぐ最も美しい信仰者の姿。中国の全兄弟にしろ、聖ヶ丘教会のヒサ姉にしろ、岡田先生ご夫妻、有馬先生ご夫妻、澤崎先生ご夫妻、杉本先生ご夫妻、代々の教会員の兄弟姉妹。オアメリカのポール・シード神学生、そして、ミネソタの婦人会の方々のナルドが注がれて、今の新宿西教会が立っているのです。人々のナルドとその背後に透かし彫りとなって示される「神のナルド」。献堂記念にわたしたちはそれを心に刻みたい。

【 祈り 】  天の父なる御神。献堂66周年記念礼拝を感謝します。多くの方々の祈りと愛に支えられて、新宿西教会の現在があります。この記念の礼拝に、「ナルドの香油」の物語を共に読みました。受難節の只中にありますが、人間の罪と愚かさの渦巻く受難週の暗黒の中に、光のオアシス、「ナルドの香油」の香しい世界。わたしどもが貧しいナルドの献げものを注ぐ前に、あなたは、愚かなわたしどもの罪と死の代価として、尊い子羊イエスの御宝血を、十字架の上に流してくださいました。何をもってしても、感謝することのできない身代わりの代価、神のナルド。主よ、わたしどもの霊の目を開き、あなた御自身の贖いの業をしっかりと見る者としてください。新宿西教会も、これからの67年、68年、・・100年と御再臨に至るまで、「ナルドの香りの教会」として導き続けてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。