2021年最終主日礼拝説教「星を求める」マタイ2:1~12 深谷美歌子牧師

2021年12月26日(日)2021年最終主日礼拝説教
聖書箇所:マタイによる福音書2:1~12                        
説教者:深谷美歌子牧師

今年最後の礼拝になりました。守りと導きを神様に感謝しつつ兄弟姉妹にも。

本日の聖書箇所は、よく顕現日と言われて、異邦人の東方の博士たちに、神の子が、公にされた日として、カトリックでは、1月6日と決まっているそうです。

今日の個所を見ますと、生まれてすぐの事ではないことが解ります。それで、クリスマス礼拝は先週でしたが、一週間置いたこの週に、これを学ぶのはふさわしいと思い、このテキストを選ばせていただきました。

現代に生きる私たちも、このテキストが伝えているメッセージを聞き取らせていただけますように。

【聖書箇所の概観】

1‐2節 イエス様がベツレヘムに生まれ、博士が拝むために尋ねて来たこと。

3‐6節 ヘロデは不安を感じ、律法学者らを集め生まれた場所を尋ねたこと。

7- 8節 ヘロデ王は「見つかったら私も拝する」と博士らを送り出したこと。

9-11節 博士達が出かけると、星が現れて、幼子のいる場所に導き、幼子に会い、宝物を捧げたこと。 

12節   夢でヘロデの所に帰るなとのみ告げで、別な道で帰ったこと。

 

1)待望の星を見つけ、求めた。 

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

 2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」 1、2節

真の王であるイエス様の誕生を、星が現れて知ったと記されています。そして博士達は、この方を拝すことを求めて旅立ち、出会いました。

ところで、この博士たちは、日頃、何をして生活していたのでしょう。新共同訳では占星術の学者と訳されていまして、この方たちの生活を伺わせます。マギ(魔術師)とも呼ばれて、ユダヤ人の祭司にあたる働きをしていたと考えられています。彼らは星を見続けて、この場合はこうしなさいとか、庶民に、占って導くようなことをしていたと思われます。自分の生活の為であったかもしれない星を研究し続けていたと考えられます。

ところで、私達は日頃、何を求めて生活しているでしょうか?多くの人々が求めているものは、一言でいえば家内安全、無病息災でしょう。信仰者でもこのようなことを求めることが主になっていることはないでしょうか?

この博士たちは、いつものように、星を見ていて、突然、見たことの無い星が昇るのを見ました。当時は世界的な王が生まれるときは、そのような星が出るとは言い伝えられていたようです。彼らは旧約聖書の民数記24:17にあるバラムの預言「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く」。との御言葉を、ユダヤから捕囚で引いて来られた人々から、伝え聞いて知っていたかもしれません。あるいは、異常な星が現れてから、文献を調べた結果、ユダヤ人の傑出した王が誕生するときは星が現れるということを発見したかもしれません。彼らは今までにない、歴史が覆るようなことが起こったと感じたに相違ありません。その方に会うことを求めて旅立ったのでした。

 絵で見る博士たちは美しい装いで、しゃんとしていますね。しかし、調べたところではバビロン辺りからパレスチナまで千キロもの旅をするということは、当時は命がけであったようです。乗り物と言ったら、ラクダくらいですし、飲み物、食べ物も、豊富ではありません。砂の海と言われる砂漠の砂嵐や、強盗に襲われることもありました。ヘロデが時期を尋ねて、2歳以下の子を殺したことを見ても出発から2年はかかったのでしょう。しかし、彼らは歴史上、またとない王の誕生に、ぜひお目にかかりたいと願いました

学者達は御子イエス様を「拝みに来ました」と言っています。これは人間が神様に対してする「礼拝」です。神の前に全く自己を投げ出して、世界と自分の生涯を導く方を拝し、その方に従おうとする姿です。

 目前の生活の必要、財産や、能力の求め、病気の癒しを超えて、本当に人を生かしてくださる方を、博士のように求めたく願います。

 

2)ヘロデか、民衆か、律法学者か

3 ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。4 そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。5 彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、

6 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、8 彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。        3-8節

ヘロデと民衆はどうしたでしょうか?言葉では「わたしも行って拝もう」と

言っていますが、3節では「不安を感じた。エルサレムの人々も皆、同様であった」とあります。彼らは、ユダヤ人の王が生まれたと聞いたとき、喜ぶどころか、不安を抱いています。何を恐れたのでしょうか?彼らは自分の身分や生活が脅かされると思ったのです。

ヘロデ王はエドム出身で、正当なイスラエルの血筋ではありませんでした。ですから、預言されていた王が生まれたと聞くと、自分の地位が危うくなると恐れたのでした。彼は猜疑心が強く、自分の2人の子供さえ、王位を守るために殺した人でした。その証拠に、この後博士たちが逃げたと解ると、星の現れた時期を聞いていた日から数えて、2歳以下の子供を皆殺しにしたのでした。  

「エルサレムの人々も皆、同様であった」とは、この残忍なヘロデがどんな態度に出るかが恐れとなって、預言された王を迎えるより、目前の生活の不安に陥ったのでした。

極めつけは、祭司長や律法学者達です。彼らは、キリストがどこで生まれるのか、すぐ答えられたのでした。一般の人でも知られていたことだったことがヨハネ 7:41の会話でわかります。 ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。 42 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。とありそれほど知れ渡っていたことだったのです。にもかかわらず、その方が生まれたと聞いても確かめに行く気配もありません。彼らも今の生活から立ち上がろうとしなかったのです。

今も、世界に、全ての人を生かす道が開かれているにも関わらず、自分の今の生活がおびやかされるのでは、と恐れて、イエス様に会おうとしない人々があります。ここを調べていて、わたしたちの内にもこの面を持つものがある、と書いている方がありました。イエス様が来られたことも知っている。十字架の救いの道が開かれたことも知っている。しかし真剣に神に出会い、ひれ伏して救い主を求めようとしないので知ることができないというのです。

 

3)喜びにあふれ、他の道をあゆみ始める  

9 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。

10 彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。

11 そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

12 そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

博士たちは生まれた所を教えられると、さっそく出発しました。すると東の国

で見た星が現れ、動き始めて幼子の場所にまで導きました。彼らは、非常な「喜びにあふれた」と記されています。この方は確かにこの世界を導いて下さる方であると心からわかったのです。この出来事は、具体的にはどうだったのか、色々説があります。この頃、土星と木星が接近して異常な光を放ったとか、エルサレムからベツレヘムまでは、一本道だから空にある星が動くように見えた

とかです。確かなことは、博士たちはイエス様の住んでいた家にすぐに導かれ、そこでイエス様に出会ったということです。しかも、この幼子が、約束の「王」であると解ったのでした。それで、王に捧げる最高の贈り物を捧げました。

この後、夢でヘロデの所に帰るなと告げられて、来た時とは別な道を通って帰りました。このことは、この世の権力の王をも恐れない、真に導く方に導かれて生き始めた象徴的できごとでした。

わたしたちはどこからきてどこに行くのか分からない者です。「わたしは輝く明けの明星である」とは主イエス様のことです。昔、金星は航海する人に自分のいる位置を教えました。もしも、道に迷ったり、嵐の中で難破し、絶望状況の中で、金星をみつけることができたら、それはどんなにか喜びだったでしょう!

カーナビは、目的地に行く一番早い道を導いてくれます。もし人生の迷い道から、正しい道を示してくれるものがあったら、どんなにか安心することでしょう。車のナビゲーターが、何億もある車をちゃんと導く以上に、正確にやさしく導く星があります。それがイエスさまです。今自分が走っているところがどこか解らなくても、必ず一番良い道を導いて下さると信頼して、恐れず主に信頼して歩みましょう。「従って歩みたいです、導いてください。」と祈ればいいのです。

毎週の礼拝で、主に出会い、礼拝を捧げ、御言葉による導きと、励まし、軌道修正をいただいて歩みましょう。早天で、皆様と毎日集い、御言葉をいただいき、祈って立ち上がるのは、導きと力をいただくときです。インマヌエル(共にいる)の主を仰ぎ、喜びに輝いて歩めますように。

その人に最も相応しい導きを与えてくださるのが、イエス様です。世界は、この主に生かされ、輝いて生きた人々によって、イエス様の光を反射し、導かれて、この星を見つけるものが起こされてきました。

手足がほとんどないブイチチさん、星野富弘さん、瞬きの詩人水野源三さん、世界の財産王カーネギー、バッハ、ベートーベン、その他数え切れません。私にとっての星の反射は、父母でした。その父は、最初に導かれた教会で、輝いて讃美する会衆にひかれました。豊かな賜物を与えられた人も、人間的に見てそうでないと思える人も、最も有益な生涯を生きることができます。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」一テサ5:16-18とはこの星を見つけた人ができる生き方です。

【祈り】

父なる神様。今日はクリスマスの星を見つけた博士と、それを教えられながらも、目前の生活を守ることに心を奪われ、「世界の真の王、救い主」を見いだし得なかった人々のことを学ばせていただきました。万難を排しても価値ある礼拝を捧げ、導きに従う喜びの生涯を歩ませてください。主のみ名によって祈ります。