新宿西教会オープンチャーチ第5主日礼拝説教「目からうろこが」使徒行伝9:10~19 深谷美歌子牧師

10月30日「目からうろこが」

聖書:使徒行伝9:10~19

説教者:深谷美歌子牧師 

 前回は、頭から福音を拒絶し、撲滅しようとしていたパリサイ人サウロが、光に照らされて目が見えなくなり、ダマスコに手を引かれて入り、三日間食べることも飲むこともしなかったことを見てまいりました。

 この間、パウロは十字架に死んだ人間と信じていたイエス様は今,弟子達が話していた通り生きておられて、「わたしをなぜ迫害するか」と語りかけられた。このことは、自分がしてきたことは,神からのメシヤを拒否し、その弟子達を死に至らせた取り返しのつかない罪を犯したことでした。どうすればよいのか?なすべきことが告げられると語られたが、どうすればよいのだろう。悶々とした時間だったでしょう。

その後のことを今日は見てまいりましょう。

【聖書箇所の概説】

10-16節 アナニヤにサウロを導くようにと主が臨まれたこと。

17節  アナニヤがサウロを訪問した時のできごと。

18ー19a節 サウロの目が見えるようになり、バプテスマを受けた。

【メッセージのポイント】

1)アナニヤが用いられた。

さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。11 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。12 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。13 アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。14 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。15 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。16 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。10-16節 

 この10-17節の中に、アナニヤの名前が5回も出てきます。けれども、ここ以外ではこの時のことをパウロが再度語っている22:12以外では一度も出て

きません。アナニヤは主の導きに対して「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。14 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。と、サウロを恐れているともとれる言葉を語っています。ごく普通の人と感じられます。けれども本日の聖書箇所では主役です。彼は、22:12によれば律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人という紹介です。彼は特別な教育を受けたとか、地位があったとかは書いてありません。忠実に神様に仕え、人々を公平に愛してユダヤ人全体の信頼を得ていた人でした。

この前の個所で、サウロに、なすべきことが告げられると教えられたことを通して、私達クリスチャンには、神様の期待があることを教えられました。今、アナニヤにもそのなすべきことが告げられたのでした。平凡でも、忠実な信仰者が、やがて世界の歴史を変えるほどの、宣教に最も用いられる器の導き手として用いられました。アナニヤは主の言葉に聞き従いました。

 東神大教授小友聡先生の証しを聞いたことがあります。先生は東北の小さな教会で洗礼を受けました。やがて東北大学、東神大、ドイツ留学を経て、東神大教授になられました。神学で生きようと思っていたが、先生を導いた牧師が、自分は牧師になってあまり救われる人が起こされなかった。しかし、小友先生が救われ、牧師になってくれたことが生涯の喜びである。と語った言葉を聞いた時、やはり牧師をしようと、教授もしていますが、牧師もしています。協会共同訳聖書翻訳にも携わられて、大きな働きをされています。 

 一人の人が主の召命に応えて献身し、牧師となって一生を奉げて、見えるところ大きな働きは無かったかもしれません。しかし、忠実に主に仕えた一生から日本のキリスト教会に貢献する働き手が起こされました。

アナニヤも一生に一度だったかもしれませんが、大舞台で用いられたのかもしれません。でもその後もきっと忠実に神様に仕え続けたことでしょう。

私達も、毎日主の言葉に耳を傾け、忠実に従い続けましょう。

2)見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、

17 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。17節

 アナニヤは、丁寧に語りかけられて立ち上がりました。ダマスコに住んでいましたから、「真すぐ」という名の路地と言われてすぐ解かったのでしょう。当時でも古い町だったそうですが、今もダマスカスの名で残っていて、「真すぐ」という名の通りがあります。この事実を知って、ますますサウロの経験が事実だったことを教えられます。祈っていたサウロに手を置いて「見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、イエス様がつかわしました」。と語りました。

イエス様の生涯の目的は、①十字架による人類の罪の贖いの道を完成する。

それと、十字架、復活、召天によって、②「聖霊を送るから、祈って待っていなさい。ただ聖霊があなた方に降る時あなた方は力を受けて、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまでわたしの証人になる」この目的でした。

サウロは自分が神に忠実だと思ってしてきたことが、全く逆で神に敵対し反逆していたことだったと知って、愕然としていました。いったいどうしたらいいのか見えない中で祈っていると、幻で「アナニヤという人が入って来て手を置き見えるようにしてくれる」、のを見たのでした。

そのアナニヤが語ったのが、見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、遣わされた。でした。サウロがまず必要としていたのは、「聖霊に満たされる」ことでした。

 これは今日のクリスチャンにも必要不可欠のことです。ヨハ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。と語られています。これからどうしたらよいのか解らなくなっていたサウロに聖霊がきてくださったのでした。

 

3)うろこのようなものが落ちて。バプテスマを受けた。

18 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、19 また食事をとって元気を取りもどした。   18-19節

 アナニヤが手を置くと、聖霊がサウロに降りました。聖霊に満たされた時、「サウロの目から、うろこのようなものが落ち」ました。肉眼も見えるようになりましたが、全てを見通すことができるようになったのでした。

前回も森山諭先生が聖霊に満たされた時のことをお話ししました。「光が入った」経験でした。聖書全体が見通せるようになったと語られています。

 今、サウロも、イエス様こそ神様から遣わされた約束の救い主で、神様が、人となってこの世界に来てくださっていたのだ。しかも聖なる神様の前に、人間の罪の身代わりとなって十字架について下さったのだ、と言うことがはっきり解りました。サウロの取り返しのつかない罪も、イエス様の十字架を仰げば赦され、永遠の命が与えられる救いであることを悟りました。

 ユダヤ人は見える世界で君臨する王国をもたらしてくれるメシヤ、救い主 を待ち望んでいましたが、神様の計画は全人類の救い、永遠の神の国への招きであったことを悟りました。

 このことが悟られると、すぐにイエスの名によるバプテスマを受けました。はっきりとキリストのものとされたときでした。オーナーが変ったできごとでした。この後のサウロは命を懸けてこの命を伝える人になりました。

小友先生を導いた牧師も、生涯かけてイエス様を伝え続けました。わたしの娘が夏期キャンプに行った時、「横山義孝先生が『クリスチャンの本業は伝道、仕事は副業!』って言ってた」と報告していました。そのつもりで生きていることと思います。

本日は永眠者記念礼拝でもあります。田原周一さんの恵まれた証しを感謝いたします。確かに田原勝太郎さんは、洗礼後、いつもニコニコ喜んでおられました。愛する奥様が召されて、十分なことをしてやれなかったと、責める思いがあったように見えました。でも、罪の赦しと永遠の命をいただいた時、本当に解放されていました。でも死に急ぐのではなく、オリンピックには、ボランティアとして登録したいと、英語の勉強をしておられました。

信仰を持つ前から、木彫りが得意で、目を見張るような数々の木彫りの作品を残されました。今も教会のあちこちに置かれています。見るたびに、天国に凱旋された勝太郎さんを覚えて感謝です。

本日は遺影が沢山飾られています。懐かしい皆さんに会えるのは楽しみですね。天国では心を通わせる交わりでしょう。

先週は深谷牧師が毛戸健二先生の教会員のお話をしてくれました。み言葉に例外があるか?と尋ねられて、「ないとおもいますが」と答えると、「うちの家族はどんなに祈って誘っても教会に来てくれません」「姉妹、祈りが聞かれるのは、目が白いうちとは限りませんよ」。こんな会話の後、結婚式があって、着物の帯を締めすぎ、倒れてそのまま召されてしまいました。お葬儀で姉妹とこんな話をしたと説教の中で語ると、ご主人が泣きだし、家族がみんな泣いて、伝道集会の様になって、家族が救われた。目が白くなってからでした。というものでした。でも、天国でお会いして喜びにあふれることでしょう。

いま遺影で飾られている方々のご家族がイエス様の命を頂けますように。

今生かされている私達も、祈り続け、チャンスがある毎に精一杯伝えて、目からうろこが落ちるご遺族が起こされますように。祈り続けましょう!

祈り

神様、サウロはどう生きたらいいか見えなくなりました。アナニヤをお用いくださったように私達もあなたの期待に応えさせてください。愛する親族、友人知人が、いつか主の命に入れられますように。御名によって、アーメン