11月13日「しもべは聞きます。主よ、お話しください」
聖書:サムエル記上3:1~9
説教者:深谷春男牧師
今日は、「成長感謝礼拝」という恵みの礼拝の時です。日本では江戸時代から「七・五・三のお祝い」がありました。11月15日に神社でお祝いをし、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんを招いたりするのが一般的だったそうです。教会では、この日を家族全員で、また教会のお父さんやお母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんから祝福を頂く日として、「成長感謝礼拝」と定めました。感謝します。
さて、有名な18世紀のイギリスの画家、ジョシュア・レイノルズの描いた「幼いサムエル」という絵があります。白い着物を身につけた子供が、神様を見上げて祈っている絵です。この絵は思い出があります。中学生の時の教室にこの絵が飾ってあったのでした。御坊さんでもあった教頭先生が「この教室は何となくキリスト教の匂いがするな・・」と言われたのを思い起こします。18歳で教会に通い始めた時、この絵を見つけて、「ああ、これはサムエルを描いたものだったのだ!」と分かったのでした。「僕は聞きます。主よ、お話し下さい!」は、聖書の示す真の子供の姿であることを教えられます。
【Ⅰサムエル3章の概略】
サムエルは、イスラエルの中興の祖と呼ばれます。今日の3章はサムエルの物語です。イスラエルの歴史の非常に大切な時代、紀元前1000年の頃、イスラエルの民はぺリシテ人に支配されており、苦しい日々を過しておりました。聖所があったシロという町には大祭司エリが住んでおり、彼が当時のイスラエルを導いておりました。ハンナという若いお母さんは子供がありません。彼女の切なる祈りによって、かわいいサムエルが授かりました。彼女は、その誓い通りにその子供を神様に捧げ、大祭司エリのもとに預けられました。彼はそこで霊的に成長します。神はサムエルにご自身をあらわし、サムエルに神の言葉を与えます。それは、祭司エリへの厳しい審きでした。彼の息子たちが罪を犯しているのに、父である彼はそれを戒めることが出来なかったからだと主は語られました。サムエルはやがて神の言葉を語る預言者として、人々に信頼され、イスラエル民族全体の霊的なリーダーとなりました。今日の3章17節には「言葉(ダーバール)」が5回も使用されています。また、本章では、「呼ぶ(カーラー)」が11回、「サムエル」が10回使用されています。神様は、わたしどもの名を、親しく呼んで下さり、神の言葉を通して、わたしたちの人生をも、民族をも祝福へと導かれる御方であることが語られています。
【内容区分】
3:1ー 5 第1回目の少年サムエルへの神の呼び掛け
6ー 9 第2回目と3回目の少年サムエルへの神の呼び掛け
10ー14 サムエルの応答と神の顕現、エリの家への審判預言
15ー18 サムエル、エリに審判預言を告げる
19ー21 サムエルの成長と預言者としての台頭
【メッセージのポイント】
1)1 わらべサムエルは、エリの前で、主に仕えていた。そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。2 さてエリは、しだいに目がかすんで、見ることができなくなり、そのとき自分のへやで寝ていた。3 神のともしびはまだ消えず、サムエルが神の箱のある主の神殿に寝ていた時、(1-3節)。
⇒ 不信仰の時代・・サムエルの如くあれ!
サムエルの時代はまれに見る不信仰の時代でした。ここはサムエルの生きた時代の霊的な状態の描写から始まります。「そのころ、主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。」と記されています。また、祭司エリは年老いて、目がかすんで見えなくなっていました。「神のともしびはまだ消えず」(3節)という表現は夜明け前の一番暗黒が増す時刻を示しています。時はまさに、夜明け前の、一番、暗黒の濃くなる時のようでした。少年サムエルは、祭司エリに仕え、神の箱の安置されている主の神殿で寝起きしていたのでした。
現代はある意味で、サムエルの時代と同じ、不信仰と暗黒の時代です。特に異教国日本の霊的状態は混乱し、その結果としての倫理的な腐敗は、毎日のニュースで見る通りです。自然環境の破壊から起こる地球温暖化の影響で起こる様々な自然災害に驚きを覚えます。このような時代、まさにサムエルのように、神の神殿で深く祈る神の器が待望されています。
また、現在社会の方向は、映像文化、世俗文化の洪水の中にあります。ゲームやビデオの世界にかすめ取られ、霊的な信仰の世界は後ろに退くような世界です。神の細き声に耳を傾け、ひとりであっても、忠実に神に従う主の僕でありたく思います。
2)9 そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。(9節)
⇒「しもべは聞きます。主よ、お話しください!」
ここには大変興味ある内容が記されています。神がサムエルを呼ばれました。幼いサムエルはエリ先生が呼ばれたのだと思って、エリのもとに走って行きました。このようなことが3回もありました。先生のエリも、これは主が呼ばれたのだと悟り、御言葉の聞き方を教えました。『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい、と。この信仰の言葉をサムエルが主なる神に向かって語った時に、主の預言の言葉が、サムエルのもとに関を切った激しい流れのように押し寄せてきました。これは、わたしどもに大切なことを教えています。
『しもべは聞きます。主よ、お話しください』
この短い祈りの言葉こそ、「人生の鍵」であります。この言葉によって、神の預言の貯水池が開き、そこから神の真理の言葉が、奔流となってほとばしったのでした。
今日もわたしどもはこの礼拝へと招かれています。これはすばらしいことです。命の水の貯水池の前に招かれているのです。童サムエルのような真実の心で、自分を「僕」として従順の姿を取り、あなたの御声に聞いています。「どうぞお語り下さい」と祈るとき、全ての問題は解けてゆくのです。
『しもべは聞きます。主よ、お話しください』
この一語に未来を開いて行く「人生の鍵」が語られます。それゆえに礼拝や聖会等で主のみ前に立つときには、いつもこの言葉に秘められた主への従順の姿勢、僕の聴従の姿勢を思い起こしましょう。実際に声に出して「僕聞く、主よ、語り給え!」と今日からお祈りしてみて下さい。神の言葉が、驚くべき祝福の世界が、わたしどもの人生に光として差し込むのです。
3)14 それゆえ、わたしはエリの家に誓う。エリの家の悪は、
犠牲や供え物をもってしても、永久にあがなわれないであろう」。(14節)。
⇒ 神ご自身の犠牲によるあがないの業を仰げ!
ここには恐ろしい裁きの預言があります。祭司は、神と人との間を「とりもつ」のがその大切な使命であり、勤めなのです。それな
のにその祭司その人が神に背き罪を犯した場合、仲介者がいなくなるというのです。こうしてエリの家は厳しい審きに会うことになりました。人間の破れを理解し、神のみ前に立って、とりなし、仲介に立ってくれる人がなければ、これは恐ろしいことになってしまいます。大祭司エリは、厳しい裁きを受けることになるのです。
しかし、新約の恵みの中に生きているわたしどもは幸いです。人間の破れ(=罪)と死の現実を、神の裁きの前に立って執り成して下さる御方を知っているからです。そうです。神の御子、主イエスご自身が、永遠の大祭司として十字架の上にあがないの業を全うしてくださいました。この永遠の仲介者によって、わたしどもは赦しを受け、神の子としての回復を経験することが出来るのです。
【祈祷】
主よ、しもべサムエルの姿を学ばせて頂きました。クリスチャン生涯は「臨在と御言葉にサンドイッチされた生涯」です。あなたの前に静まり、その臨在の前に、御言葉を頂いて、一日一日を、豊かな祝福の中に歩む者としてください。「しもべは聞きます。主よ、お語りください」と祈りつつ、また、何よりも御言葉の中心である、神ご自身の贖いの御業、十字架の贖いの業を証しするあなたの僕として整えて下さい。教会に与えられている幼い子どもたち、わたしたちの家族の宝である幼い子どもたちに、主よ、すばらしい霊的な祝福を注ぎ続けてください。主の御名によって祈ります。アーメン
