12月18日「神の子となる資格」
聖書:ヨハネ福音書1:6~14
説教者:深谷春男牧師
このクリスマスの時期はニューヨークのロックフェラー財団のビルの前には高さ21メートルのクリスマスツリーがそびえ、その輝かしい電飾に人々は喜び「メリー・クリスマス!」と陽気に挨拶するそうです。でも、クリスマス時期を過ぎると、また元に戻り、寂しくなってしまいます。「本当のクリスマスは、わたしたちの心に、主イエス様がお生まれになることで、その喜びと輝きは永遠に続く」と、アパルーム誌に書いてありました。
【聖書箇所の概略】
先週は「命、光、勝利」という説教をさせて頂きました。今日は、バプテスマのヨハネから、主イエスを迎える備えを学びます。
今日の箇所を詳細に分けるとこうなります。
6―8節 バプテスマのヨハネについて。
彼は光ではなく光の証言者。
9―13節 主イエスについて。彼は光そのもの。
①真の光、
②世に来られた方、
③先在の方、
④ この世を造られた方
⑤世に認められなかった方、
⑥ 世に拒絶された方、
⑦ 信じた人に神の子となる資格を与える方。
ある方はこの箇所(1:1-18)の構造を次のように説明しています。
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1-5 |
言は神であり、命であり、光である。 |
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6-8 |
ヨハネの証言:言とは神である。 |
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9-11 |
言は光として来られたが、人間は受け入れない。 |
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12-13 |
言を受け入れ信じる者に神の子の資格付与される |
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14 |
言の到来。この言を受け入れた人がいた。 |
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15 |
ヨハネの証言:キリストの先在。 |
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16-18 |
言の受肉。人間との関係。神との関係。 |
このように見ますと、このロゴス賛歌の中心は12,13節となり、このロゴスを信じる者の報い、祝福、神の子となる特権が記されると見ることができます。これもまた深い内容を教えていると思います。
【メッセージのポイント】
1)6 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 (6-7節)
⇒ バプテスマのヨハネについての記事!
6―8節はヨハネについて記されています。ここで言われているのはバプテスマのヨハネです。でも、なぜ突然ヨハネが出てくるのでしょう。ヨハネによる福音書はエペソの町で書かれたとされますが、当時のエペソはバプテスマのヨハネの弟子達がいたことが知られています(使徒19:3)。バプテスマのヨハネは主イエスより半年ほど年上でした。彼の力強い預言とその栄光は「女の産んだ者のうち、バプテスマのヨハネより大いなる者はない」とまで言われました。多くの人々はヨハネに期待をかけ、彼こそ、預言された救い主ではないかと考えたほどでした。しかし聖書は言います。彼は光ではありませんでした。どんなに偉大な働きをしたとしても、光りそのものでない限り、その働きには時代的な限界があります。そのことをはっきりさせるために、わざわざ彼は光ではなく光を証しするために遣わされた者と挿入されたのだと考えられます。彼は光ではありません。しかし、彼の証言があって、光なる主が明瞭に立証されたということは大事なことです。現代にまで主イエスとその福音が伝えられたのは、その時代その時代で証言する者があったからです。ヨハネ福音書は主イエスが光であることとその光を証しする者が語られているのです。わたしどもも主の証し人として歩みたいものです。
2)8 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
⇒ 証しの人生、「使徒的人生を生きる!」 (8節)
このことはとても大事なことであろうと思います。わたしどもは光ではありません。光について証しをするのだと言います。バプテスマのヨハネは偉大な人格者でしたが、光そのものではありません。彼は光について証しするというたいへん偉大な任務を持って、地上生涯を歩まれました。それは証し人の人生です。キリストの使徒たちも証し人として歩みました。それは救い主である主イエスの光を証しする任務を負うた人生、「使徒的人生」です。
新宿西教会でとても有名な先生が創立記念か何かの説教をされたことがありました。わたしは昔、月報か何かで読みました。その先生は、クリスチャンは「バプテスマのヨハネの指」なのだと語られました。バプテスマのヨハネの指は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」を指し示しております。バプテスマのヨハネの指が美しいか美しくないかではなくて、その指の存在価値は、主イエスを指し示しているかどうかにかかっていると語られておられ、とても印象深い説教でした。
2007年の週報に松田幾雄先生のお葬儀のことを書きました。
「我が家と我は主に仕えん。 ヨシュア24:15(文語)
1月17日、日本キリスト伝道会の前実行委員長の松田幾雄師が召された。77歳であった。実行委員会から委託を受けて、山口市まで出かけてお葬式に列席した。お葬式の中で遺族18人が讃美を捧げた。その中で10代後半のお孫さんが、おじいちゃんの信仰をしっかり継承して、献身の歩みをしたいと証しをした。司式された岩間牧師も松田師のお婿さん。ロマ8:28から説教された。わたしもキリスト伝道会から弔辞を述べさせていただいた。広島の植竹利侑先生も松田先生と一緒の神学生時代のことなどを語られ、時々、皆さんの中から笑いも起こった。数人の方々が、松田先生の生涯を語り、主イエスとの出会い、救いの確信、献身の生涯を証しされた。最後に三女の岩間牧師夫人が親族を代表して挨拶をされた。「父の真実に主に仕えた信仰生涯を思い起こし、わたしたちも主イエスの愛に答えて歩みます。そして日本のリバイバルのために祈ってゆきます」。主イエス様に献げきった人の人生は、最後が最も赤々と輝くと思った。松田先生また会う日まで!(教会週報の「明日を開く命の言」から)
松田幾雄先生に続く、使徒的人生を歩む人を主は期待しておられます。
3)9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 (9節―11節)
⇒ すべての人を照らすまことの光を拒絶してはいけない!
先週も語りましたが、主イエスは「言(ロゴス)」であり、「命」であり、「光」なるお方です。この光なるお方が、世を造られた方でした。しかし、この世は主イエスを拒みました。「世は彼を認めなかった」「民は(言を)受け入れなかった」と繰り返されています。人々は本来、王として迎えるべき主イエスを、王とは認めませんでした。そして主を拒んだのです。それは、主イエスを拒み、侮辱し、殺してしまった、あの十字架の出来事を指し示しています。創造のはじめの時には、「良かった」「良かった」「はなはだ良かった」とたたえられたこの世界が、人間の罪によって、混乱が、闇が、死が入り込んでしまったのです。
9節で、主イエスの本性が描かれています。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」と。しかし、まことの光がこころを照らすのが面白くなくて、人々は暗闇を愛し、光を憎んで、主イエスを拒んだのです。神様は何と悲しかったことでしょう。しかし、皆さん、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えた」とあります。数年前に当教会で、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロルの演劇を見ました。この公演は、2019年2月3日、突然天に召された西田正兄が主催していたキリスト教伝道劇団新宿新生館の兄弟姉妹の公演で、長い時間をかけて準備し、熱のこもったすばらしものでした。
ロンドンの町の、霧の濃いクリスマス・イブの晩の出来事を印象深く、表現していました。クリスマスの劇としては多分、一番有名な作品ではないでしょうか?お金持ちで、けちで、人を人とも思わない嫌われ者のスクルージが主人公で、彼が事務所で見る夢の出来事が物語の内容でした。
わたしは特に、スクルージが天使に導かれて見た幻が、「スクルージの、過去、現在、未来の姿」であったことが印象的でした。
過去は、とてもみじめな少年時代。クリスマス・イブの家庭の楽しい最高の時なのに、家は貧しく、両親がけんかしていて、家に帰れず一人ぼっちでうずくまっている少年の自分。やさしい妹が慰めてくれた。それから青年の時。クリスマスイブの夜、皆で楽しいダンス。ああ、そこに結婚相手になったかわいい女性。彼女が元気で、笑っている。彼はその世界に吸い込まれていった。ああ、素晴らしい青春の思い出・・・。
現在は。お金の亡者になり、金ぴかの衣装は着けているけれども、皆に嫌われて、自分自身も生きるのが嫌になっている寂しい、孤独な老人。
そして最後は未来。ここは天使ではなく、昔、仕事の同僚だったマーレイが死後の世界から、彼を連れてゆく。行き着いたところは墓場。寒い、人気のないくらい墓場。そこに市の職員が二人で、孤独な老人の死骸を埋葬して帰ってゆく。見るとそれは自分の死骸、自分の墓だった。スクルージは寒さとみじめさと恐れで、そこでさめざめと泣く。
目が覚めると、それは夢だった。彼は、自分の罪深い生活を悔い改めて、神に立ち帰り、クリスマスの恵みに与ることとなったのでした。
彼を受けいれた者、その名を信じた人々に神の子となる力を与えた!
【祈祷】主よ、わたしどもは破れの多く罪深い者です。しかし、このクリスマス。主イエスを信じ、受け入れます。どうぞ、神の子として下さり、内側に光を持つものとして下さい。聖霊の助けにより、燃えて輝く、主の証し人、ヨハネのように、人々に証しする者として下さい。御名によって、アーメン
