新宿西教会主日礼拝説教「シェマー・イスラエル」申命記6:1~15深谷春男牧師

説教「シェマー・イスラエル」

聖書:申命記6:1~19

説教者:深谷春男牧師 

クリスチャンになると言うことは、「人生に革命を起こすこと」と言っていいでしょうか。天地創造の神様を信じ、罪と死の支配の中を歩んできたものが、主イエス様を信じ、その十字架の贖いによって、今までの罪をすべて赦され、神の子となって生まれ変わる。それはまさに新しい人生。喜びと感謝の人生。「復活の人生!」と言うべきものです。ハレルヤ。

この9日に、わたしたちは主イエスの復活祭を祝い、主イエスが死を砕いてよみがえられたことを学びました。そして、9日のイースターの礼拝では「あなたはこれを信じますか?」という御言葉を聞き、「主よ信じます。あなたこそ来るべきキリスト、神の子です!」とマルタと共に答えました。

先週16日は、「あなたはわたしを愛しますか?」との主イエスの質問に、ペテロと共に「主よ。わたしは、あなたを愛します!」と答えました。

そして今日は、「シェマー」というこの有名な聖書箇所から、「どのように神を愛するか」について学びたいと思います。

今日は申命記を皆さんと共に学びます。もしも、旧約聖書の最も大いなる人、モーセが、現代に生き返って東京ドームで説教をするとしたら人々は黒山のように押し寄せてくるであろうと思います。どんなに高い入場料であっても人々は殺到することでしょう。実は、申命記は「モーセの説教集」なのです。ここにはモーセの3つの説教が収められています。

第一「神のわざ」  1ー  4章

第二「神の規範」  5ー28章

第三「神の契約」29ー30章

説教の語られた背景はこうでした。

イスラエルの民は400年のエジプトでの奴隷生活からを脱出してから40年間、シナイ半島の荒野をさまよいました。ようやく約束の地、パレスチナに入る寸前で、モーセは民に説教をしました。その主題は「勝利に満ちた人生」でした。40年間、不信仰のゆえに荒野で惨めな敗北を繰り返したイスラエルの民に、新しい地に入って神の民として歩む霊的な水準を示したのが申命記です。そのような意味では、申命記は「勝利の指標」でありまた「革命の書」でもあります。ヨシア王の宗教改革(前622年)はこの書を読み、悔い改め、実践したことによって起こりました。申命記は今も生きています。これを信仰をもって読むなら、あなたの人生に勝利と革命が起きるのです。

【聖書箇所の概説】 

 今日の聖書箇所(特に4-5節)は「シェマー」と呼ばれ、イスラエルの歴史の中では、最も大切な信仰告白として、繰り返し、告白され、唱えられ、祈られてきました。わたしたちクリスチャンは「主の祈り」大切にします。礼拝で、公の祈り会で、あるいはわたしたちの臨終の床でこの主の教えられた祈りをささげます。ちょうどそれと同じく、あるいはそれ以上にユダヤ人は「シェマー」を大切にしました。彼らは「シェマー」(イスラエルよ、聞け!」のヘブル語)と共に生まれ、育ち、死ぬ、と言われました。彼らは起きるにも寝るにも神の民として御言を聞いて生きたのでした。ここには聖書の信仰の本質が凝縮されています。

 

【メッセージのポイント】 

1)4 イスラエルよ、聞け。われわれの神、主は唯一の主である。(4節)

⇒ 聞け、イスラエル。我らの神、主は唯一の主!

それならばモーセの語る勝利の生涯とは一体どのようなものなのでしょうか。この箇所は、申命記の心臓部であると言って間違いありません。主イエスも、聖書の中心はここ、すなわち「シェマー」と呼ばれる部分と「隣人愛」(レビ19:18)であると答えています(マタイ22:36-40)。

4節は直訳しますと「主、われわれの神、主、ひとつ」という言葉です。「ひとつ(エハト)」という言葉をどのように見るかによってここの内容に多少の変化が生じてきます。しかし、言おうとしていることははっきりしています。「主こそ神、ほかに神なし」(4:35、39) ということです。当時の偶像礼拝の海のような世界にあって、彼らは主のみを神とし、その証しに生きたのでした。「神はただお一人、主である」と語ることは、大変勇気のいることであり、妥協を許さない、毅然たる信仰の姿勢を示しています。わたしどももこの信仰の伝統に生きたいと思います。もちろん、必要以上に他宗教に対して敵対的になれと言うのではありませんが、神の民として召されたものとして節操を守るということは大切なこと。いわば結婚関係に比べうる性質のものです。結婚した者にとって配偶者と他の異性とは違うのです。  

2)5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。(5節)

 ⇒ 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、主を愛せ!       信仰とはここでは、「主を愛すること(アハブ)である」と語られます。しかも「お付き合い程度に愛しましょう」というのではありません。「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして」主を愛することだと語っています。旧約学者の関根正雄は「全心全霊をもって(全身ではない)」と訳しています。聖書の信仰は近所付き合い程度のものではなく、全人格をもって、主に応答することを意味しています。

パトリックミラーは、ユダヤ教の解説者マックプライドの理解を参考にしながら以下のように解説しています。

「心」―     二心のない忠誠心、善悪に関する感情。

「魂、命」- 殉教、ないし死に至るまでの献身。

「力」 -    神への奉仕に捧げられる品物、富、財産。

これはカルヴァンの主張と同じだと言います。ここには「全き献身」が語られていると言うのです。「魂を尽くして神を愛せよとは、いわば神の愛のためには生命を惜しんではならないと言うに等しい。心ないし思いを尽くして神を愛するとは、例示して言えば、他の一切のことよりも神を優先することである。・・最後に力を尽くして神を愛するとは、全身全霊、すべての持ち物を用いて神を愛することである・・・・」(カルヴァンの説教)。信仰とは絶対者への全人格的な応答なのです。そのような意味で、信仰はやはり「命がけでする主イエスへの応答」なのです。あの十字架にかかって生命まで捨てて、わたしどもを愛されるあの「命がけの神の愛への命がけの応答」なのです。自分の全存在をかけなければ、勝利の信仰にはなりません。聖書の信仰は片手間にはできません。申命記の中ではじめて出てくる「主を愛する」と言う言葉は、わたしどもに、人生が何であるかを語っています。人生で最も大切な戒めは、「あなたの神、すなわち、創造主であり、救い主である主」を愛することです。しかも、徹底的に愛することです。

 昔、東京神学大学の佐藤敏夫先生は、「日本伝道の幻を語る会」の主題講演で、「ウェスレー主義の再考」という話をされました。非常に幅の広い神学者であった佐藤先生は、世界中を見回して、ウェスレー主義、信仰によって罪赦されたと言うだけでとどまらず、全生涯を主に捧げつくす「聖化」の信仰が、今日、求められていると語られました。以前、クリスチャン新聞に、関口家ご一家が、軽井沢に集まった記事が掲載されました。親族91人が集まった。現在、40人がクリスチャン。1951年に関口陽子さんが洗礼を受け、そこから福音が関口家に入り、大家族となったと言う証しでありました。3)6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。   (6-9節)

⇒ イスラエルよ、生活のなかで聞け!(シェマー) 

さらにここにはどのように聞いて行くべきかが書いてあります。「きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない」。 御言葉は礼拝で一度聞いて終わりというのではありません。いつも、生活の中で聞くのです。いや、御言によって生活するのです。神様を心から愛し従う。徹底的な「神第一の信仰」がここにはあります。  

イスラエルの民は実際、このとおりに実行しました。彼らは「シェマー」をマッチ箱の位の小さな箱(ヒラクテリ)に入れて「手に付けてしるしと し目の間において覚え」としました。心臓に近い左の腕に七回革紐をまき付け、また目の間に置くようにとの勧めの具体的なあらわれとして、「天狗」のつける額の飾りのようなヒラクテリを額に付けて今もお祈りしています。また門に付けておくメズザなるものもあります。勝利の人生は偶像礼拝をやめ、主を命がけ愛して歩むことです。生活を通して主を愛することです。

 

【 祈り 】 天の父なる御神。わたしどもは、今日は申命記6章の「シェマー」を学びました。どうぞ贖われた者、神の子として頂いたものとしてあなたのみを礼拝して歩めますように。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたを愛せますように。日々の生活の中で、あなたを畏れ、あなたを愛して、神中心の生活が整えられ、特に家庭の中に信仰と愛がはぐくまれますように、導いてください。地震の災害にあっている人々、ロシアに侵略されて苦しんでいるウクライナ方々や、ミャンマーの方々をも守ってください。わたしたちの新宿西教会の兄弟姉妹のこの一週間、あなたの臨在の中を、御言葉を握りつつ、歩めますように。主の御名によって祈ります。アーメン!