新宿西教会主日礼拝説教「イエスキリストが癒やしてくださる」使徒行伝9:32~43深谷美歌子牧師

説教「イエスキリストが癒やしてくださる」

聖書:使徒行伝9:32~43

説教者:深谷美歌子牧師 

 本日は新宿西教会の総会が予定されています。使徒行伝に戻って聞いてまいりますが、初代教会の姿を教えられながら、私たちの教会も本来の姿に近づかせていただきましょう。

 本日のテキストのすぐ前まで、サウロの回心と、その後の働きが記されていました。サウロの働きの締めくくりは、こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。9:31でした。今まで、ガリラヤから何の良きものが出ようかと、いがみ合っていた人々、ユダヤ人はサマリヤ人が汚れたと忌み嫌っていた仲の人々が、イエス様の命を頂いて一つなるキリストの体なる教会が誕生し、平安が訪れたのでした。

 使徒行伝は、ルカによって、福音が異邦人社会に及んでいった記録が書かれています。そして、今日の個所には、ペテロを通して、宣教がどのように進んで行ったか、具体的な記事が記されています。ここから学びましょう。

 【聖書箇所の概説】

32-35節 ペテロがルダに巡回し、アイネヤを癒し、人々が主に帰依した。

36-42節 ペテロがドルカスを生き返せ、多くの人々が主を信じた。

43節   ペテロは皮なめしシモンの家に滞在した。

【メッセージのポイント】

1) イエスキリストを指し示すペテロ

32ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。 33 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。 34 ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。 32-34節

 ペテロは、先日、深谷牧師が礼拝で取り次いでくださったとき、イエス様から3度「私を愛するか」と問いかけられ、裏切ってしまったので、悲しい思いで「あなたを愛していることはあなたがご存知です」と答えました。その時イエス様はやさしく「わたしの羊を飼いなさい」と語られました。

ペンテコステに聖霊が来てくださって以来、ペテロはイエス様がメシヤであることの証人として、大胆に語ってきました。エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。15 ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。8:14、15と、エルサレムから遣わされて、福音を伝えたことが書かれています。今日の個所でもペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。とあります。ここは、ピリポによって伝道されて、8:40では、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。たぶんこの時に信じた人々がこのアゾトにもいたのでしょう。

ここではペテロは、巡回伝道者のように教会を回って信仰の導きをしています。まさにイエス様から「わたしの羊を飼いなさい」と語られたことを実行していたのですね。31節には「聖霊にはげまされて歩み」とありますが、ペテロも聖霊様に励まされつつ、ここまで来たのでしょう。

すると8年間も中風を患っているアイネヤに出会いました。聖霊に示されたのでしょう。「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。と命じると、アイネヤは直ちに起き上がりました。このでき事は、福音書でイエス様が中風の人を連れてきた人々の信仰を見て、「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。12 すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行った。マルコ 2:11、12とよく似ています。ただあの時はメシヤであるイエス様の、罪を赦す権威ある働きでした。今日の個所は、ペテロは主を指し示す証人として、しかし、聖霊の導きによって中風の癒しという奇跡を行うことができたのでした。

先週、仁井田先生が家に寄ってくださいました。先生は親からの虐待でほとんど学校にも行かず、中学を出て働きに田端?に出てきました。教会に深谷が連れていってイエス様を信じました。信じると牧師になると決めて、ねじ込んで神学校に入れていただき、卒業して開拓伝道をしました。今では教会会計年1200万?位で、今年、英語のできる牧師を招き、英語礼拝もできる体制で出発したそうです。そして聖書学校の理事長になられたそうです。「お父さんが理事長?教団も人材が無いんだねー」とお子さんが言ったそうですが、「そうだね」と答えたそうです。肩を張らない素直な姿を教えられました。先生は無から教会を建てあげましたが、幸子先生のお母さんが病気の時、祈ったら癒されてしまったそうです。信仰を待たれて、土地と建物を提供してくださり、まずこの家で礼拝を捧げました。今の土地が与えられて「ウエンディーチャペル」を建てました。賜物はどれほどか知りませんが、神様を信じ、従ってきた結果です。今は絵を描いて、欲しい方に差し上げています。技術的にはどうか知りませんが、心に響く絵です。深谷にも「絵を描け、時間をあげる事が愛だ」と盛んにけしかけて行きました。

2)タビタが生き返った

36 ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。37 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。38 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。39 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。

 40 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。 41 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。6-41節          

 ペテロは次にヨッパに導かれます。ドルカスという忠実な女弟子が死んだからです。ヨッパはルダから15キロくらいの所にある港町のようです。アイネヤの出来事も伝わる距離です。ドルカスの知り合いはドルカスが死んだとき、ペテロを招きました。もしかして奇跡が起こるかもしれないとの期待があったかと思われます。

ペテロは招かれて直ちにヨッパに来ました。そこで見せられたのは、ドルカスを慕う人々でした。彼らは泣いていました。ドルカスが作った下着や上着を見せました。この見せるという表現は、自ら見せるという表現で、「今着ているこの服もです!」と言った見せ方のようです。ある方はドルカスは洋服を作るだけのちいさな賜物だったと言います。家族がいる様子が無いから、自らもやもめだったのではないかと推測されています。しかし、自分の生活だけを生きていたのでなく、その賜物を精一杯兄弟姉妹を愛するために使っていた、彼らにとっては、かけがえのない存在でした。

 イエス様も死人を生き返らせたことがありました。ラザロが死んで、泣いているマリヤやマルタ、人々を見た時、イエス様も涙を流されました。死が入ってきた人間の悲しみを知ってくださったのでした。そして十字架と復活で死をうちやぶってくださったのでした。

ペテロも泣いている人々に心動かされました。そして、今ペテロに期待されていたのは、やがての復活ではなく、現在の生き還りでした。

ペテロはヤイロの娘が死んだときも主と共におらせていただき、生き還らせたときそこにいました。その時のように、皆を部屋から出しました。

 そしてイエス様と違うところは、ひざまずいて祈ったことです。人間は神様に祈って神様に御業をしていただくのです。「イエスキリストがあなたを癒す」この信仰が必要です。少女の生き返りの時「タリタ クミ」「少女よ、起きなさい」と呼びかけたイエス様と、一言違いの「タビタ クミ」「タビタよ、起きなさい」と呼びかけ彼女は起き上がりました。ペテロが動揺している様子はありませんね。聖霊様に導かれて確信があったのでしょう!

 

3)多くの人々が主を信じた。

35 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。42 このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。43 ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した  35、42、43節                 

ペテロの働きによって、ルダ、サロンの人々も、ヨッパの人々も主を信じました。この時行われた奇跡が、ペテロの力でないことがはっきり指し示されていたのは確かです。ペテロ自身が「イエスキリストがあなたを癒してくださるのだ」とはっきり伝えたからです。

さて奇跡が起きれば人が救われるでしょうか?奇跡を求める信仰は、それを得てしまえば終わるというのが多くの場合です。 

誠志会病院のチャプレンの、高木康俊先生が、病人は祈って癒されると、もう必要がなくなって教会にはほとんど来ない、と語られました。

神様の業としての奇跡は素晴らしいです。けれど、もっと大事なことは、その後、教会で愛し合う神の国、教会が建ち上がっていくことです。

アイネヤは、自分の床を取り上げました。ある訳では「食事を整えなさい」というのもありますが、自分の分を果たす人になったのでしょう。

ドルカスが生かされた時、お互いがまた分け合う愛、に生かされる教会を建て上げていったことでしょう。

このあと、ペテロは皮なめしシモンの家に滞在します。当時は皮なめしは卑しい職業でした。相手が皮なめしになったら、離婚してもよい、とまでいわれた職業でした。しかしペテロは、シモンの家に滞在しました。どんな人も主に結びついた兄弟として、愛し受け入れている姿を知らされます。

先週のコイノニアで、司会の守部さんが、ある中国の伝道者が日本に来られた時のことを話してくださいました。「日本ではどうして伝道が進まないのでしょう」という質問に、暫くして「それはクリスチャンに愛が無いからです」と語られたそうです。痛い言葉でしたが、なるほどと思いました。伝道はイエス様の愛、聖霊に満たされることが必須ですね。求めましょう!

 

祈り 父なる神様、弱かったペテロが、聖霊様と共に歩み「わたしの羊を飼いなさい」との主のご委託に答える働きをさせていただきました。私達も聖霊様により頼みます。主の愛を満たして主の証人とし、救われる人々が次々起こされる教会としてください。主の御名によって。アーメン。