新宿西教会主日礼拝説教「大宣教命令」マタイ28:16~20 深谷春男牧師

説教「大宣教命令」

聖書:マタイ28:16~20

説教者:深谷春男牧師 

今日は「復活節第七主日礼拝」です。今年は4月9日にイースター礼拝でした。そして5月18日(木)が主イエスの召天日。主イエスがオリブ山から、弟子たちに見守られつつ召天した日でした。弟子たちは、召天の日からペンテコステまでの10日間、ひたすら祈り、約束の聖霊を受けます。来週の5月28日(日)がペンテコステです。ですから、18日から28日は、120名の弟子たちが、エルサレムの2階座敷で聖霊なる神様を待望して祈った、10日間の祈りの時です。今日は、復活の主イエスから使命を受けて、出て行った弟子たちの原点、「大宣教命令」を共に読んで、教会の使命を再確認する時といたしましょう。

聖書箇所の概略

さて、この聖書箇所は、11人の弟子が、復活された主イエスが行くように命じられた山に登ったところから始められます。彼らは主イエスに出会い、そこでひれ伏しました。しかし疑う人もいたと記されています。そこで主イエスは、彼らに近寄ってきて、次の3つのことを言われました。

 

第1は、復活の主の「最高権威の宣言」です(18節)。

第2は、復活の主の「至上命令」です(19-20a節)。

第3は、復活の主の「絶対平安の約束」です(20b節)。   

 

ここは実に、マタイ福音書の締めくくりとしてふさわしい、すばらしい内容の込められた箇所です。ここからわたしどもの歩むべき道を学んでみましょう。

 

【メッセージのポイント】

 1)18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。   (18節)

  ⇒ 一切の権威を授かった主イエスを信じよう。

 第1は、復活の主の権威主張です。

マタイ福音書では、山に登るということがたくさん出てきます。主イエスはマタイ5章で「山上の説教」を語られました。山に登ってデカポリスの病人を癒し、4千人を養いました(15章)。霊的な変貌が起こったのも、まさに「山上の変貌」だったのです。いつも山の上で栄光を表された主イエスは、復活の後もその後自身の栄光を山上で表されました。

 ユダヤ人は、厳密な意味での宇宙や世界を表す言葉がありません。彼らはそれを「天と地」と両極端の対句で表しました。「善と悪を知る実」「出ずるいるとを守る」等の表現があります。「天と地」の一切の権威を授けられたとは、そういう意味で、全被造物を意味する言葉です。主イエスは全被造物の上にあって全ての権威を与えられた存在となりました。

ピリピ2章6-11節にも同じような聖句があります。「6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」

 

2)19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。(19-20a節)

⇒ すべての民をわたしの弟子にしなさい !

さて、今日の主題の第2は、復活の主の命令です(19-20a節)。

主イエス様は、復活された後に、お弟子たちお命じになられました。19-20節の聖句は『大宣教命令』と言われる、非常に大事なものです。

この部分には動詞が4つ出てきます。

「行きなさい」、       「弟子にしなさい」、

「洗礼を授けなさい」、   「教えなさい」 の4つです。 

でも、厳密な意味では、主動詞は1つで、あとの4つは分詞形で表現されています。その主動詞とは『弟子にしなさい』と言う言葉です。一番の中心の命令は、「弟子にしなさい」という言葉です。ですから、もうすこし厳密に訳すと「全ての民を弟子にしなさい。出て行きつつ、バプテスマを施しつつ、教えつつ」となります。クリスチャンの生き方は、このところから見ると、自分が主の弟子となり、造りかえられ、他者を主の弟子と造りかえてゆく生涯であるということになります。

 数年前、Torch という集会に出ました。月曜日の夜に文京区シビックホールに1400人が集まりました。大変、熱のこもった集会で、ライトDeナイトなどが参加。最後にメッセンジャーがすばらしいメッセージをしました。その話の中で会衆にチャレンジをしました。「あなたはキリストのファンです?それとも弟子ですか?」。

 わたしはそれを聞いて1980年代の、「青年宣教大会」を思い出しました。あのころわたしも30代でした。会場は御殿場東山荘。あそこで守部さんや岸義紘先生、大川従道先生、田中信生先生、多胡元喜さんなどと出会い、多い時には1000人近くの青年たちが、集まった集会でした。そこで語られた宣教大会のメッセージも「主の弟子となれ!」というメッセージでした。

 

それならいったい「弟子」とはどのような人なのでしょうか?

主の弟子① 洗礼を受けて、主イエスにしっかりとつく人

彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、(19節b)と言われています。主の弟子になることのひとつは「父と子と聖霊の名によって洗礼を受ける」ことです。バプテスマを施しつつ弟子とせよと命じられています。厳密に訳せば「父と子と聖霊の名の中へと(into)バプテスマせよ」となっています。これは式としてのバプテスマはもちろんのことですが、更には、主イエス様の恵みに満たされ、その恵みの中に漬けられて、キリストの命を生きる人のことです。愛する兄弟姉妹。ご自分が洗礼を受けたときのことを思い起こしてください。わたしも自分の洗礼を受けた時は、19歳の時でした。今でも思い起こせば、人生の最善の時!でした。「生きるはキリスト、死ぬるは益なり」。キリストの恵みに生きる喜びの生涯のことです。ハレルヤ

 

主の弟子② 聖書をよく学び、教えることのできる人。

 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。(20a節)と語られています。主の弟子の特徴の第2は「主イエスから良く教えられ、良く学び、また、他者に教えることのできる人」のことです。動物の世界や人間の世界でも、成人になった印のひとつは子供を生むことの出来ることではないでしょうか。クリスチャンも同じで、真のクリスチャンは自分が救われたのをはっきりと理解し、まわりの友人や家族に伝え、その伝えられた者が更に、他者に伝えるという方法です。現在多くの教会ではこれらの「弟子となる学び」を整えて、成熟したクリスチャンとして聖書を霊的に黙想しながら歩む手助けをしています。復活の主は成熟したクリスチャンを求めておられるのです。

 

主の弟子③ 積極的に、伝道に出てゆく人。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(19節a)、とあります。ここでは、更に主は、出て行きつつ弟子にしなさいと語られています。ここに積極的な生き方をするクリスチャンの人生観がありま す。弟子達はじっとしていないで外に伝道に出てゆきました。教会の歴史はこの宣教の歴史です。

 

3) 見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(20b節)

  ⇒ 見よ!わたしは共にいる、再臨の朝まで!

 さて、今日の第3は、復活の主の約束についてです(20b節)。

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と語ってくださっています。「見よ!」があるのです。主の弟子として、世界宣教の大きなビジョンを前にすると、わたしどもは世界の大きさと自分自身の小ささに萎縮して出てゆけないのです。主はそのようなわたしどもに注意を促すかのように、「見なさい」とご自分を指し示しております。主イエスの臨在こそ、わたしどもの支えであり、助けなのです。

特に、マタイによる福音書は、その第1章23節に、主イエスの名前が「インマヌエル」と呼ばれると説明があり、神御自身が来て、地上の生涯を歩んでくださったことをから始まりました。マタイ福音書のほぼ中央の18章19,20節でも、「主が共にいてくださる」こと、「二人三人が一緒にいるところにはわたしも共にいる」との約束があり、この福音書の、最後の部分、28章20節でも「見よ、わたしはあなたがたと共にいる」と主は語られます。

臨在の主を仰ぐ生涯!試練の時も、悲しみの時も、不安の時も、あるいはこの世のことに絶望する時も、この地上を去って御国に行く時にも、臨在の主を仰ぐのです。栄光の主を「仰瞻」するのです。「わが臨在汝と共に行くべし!」(出エジプト33:14)。これが勝利の中に歩む秘訣です。ハレルヤ

 

【 祈 り 】  わたしたちの救い主、教会の頭にして、天と地の一切の権威を受けた主イエスキリストの父なる御神よ。この朝もわたしどもを御前に引いてくださり、恵みの礼拝を心から感謝します。今日は、マタイ福音書の最後の部分、復活の主イエスの全世界への恵みの御言葉、「大宣教命令」を共に学びました。今、復活された主から恵みをいただきます。どうぞ、霊の目を開いて、復活の主イエスに与えられた権威に目を開くことができますように。また、主の弟子として成長させていただけますように。ここから出て行き、父と子と聖霊の名によってバプテスマを施し、聖書の指し示す真理を学び続ける忠実な弟子としてください。コロナの災禍も終熄に近づくのを感じます。臨在の主イエスをいつも心に留めて歩む恵みのあふるる1年としてください。罪の赦しと永遠の命を与えてくださった愛する主イエスの御名によって祈ります。アーメン