新宿西教会主日礼拝説教「ペテロの変身!」使徒行伝2:37~42 深谷春男牧師

説教「ペテロの変身!」

聖書:使徒行伝2:36~42

説教者:深谷春男牧師 

 使徒行伝2章の記事はペンテコステの記事です。すなわち、主イエス様が十字架にかかられてその3日後に復活され、それから、主イエスはご自分の生きていることを示して、40日にわたって弟子たちに現われました。そして天に帰って行かれました。更に弟子たちは主イエスに命じられた通り、10日間、約束の聖霊を待ち望んで、祈りました。やがて、ペンテコステの日(五旬節)に、聖霊は激しく弟子たちに下り、弟子たちは力を受け、悔い改めて洗礼を受けたものはその日だけでも、3千人もあった、と記されています。そして教会の命の流れは始まりました。ペンテコステは教会の誕生日でもあります。そしてその中心になったペテロの変化を中心に今日は見てみたいです。 

メッセージのポイント】

1)36 だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。37 人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。   (36,37節)。 

  ⇒  兄弟たち、わたしたちはどうしたらいいのですか?

「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか?」という言葉はとても大切な言葉です。この言葉から多くの人生に新しい業が始まったからです。求道者の中に主の新しい業が始まるときには、いつでもこの言葉が発せられなければなりません。「わたしたちはどうしたらよいのですか」。

ペンテコステの大きな物音が起こったときに、たくさんの方々が集まりました。洗礼を受けた人が3000人もあったと言うのですから、5千とか1万人ぐらいの方々が集まってきたのではないでしょうか。その人々を前にしてペテロは大胆な説教をしました。しかも、そのメッセージの中心は「主イエスの十字架」でした。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った、と記されています。

 「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか?」という質問は、ペテロをはじめ使徒たちに対する信頼と、語られた内容に対する深い罪意識を読み取る事ができると思います。

  「わたしたちはどうしたらよいのですか?」と彼らは誰に問うたのでしょう。「兄弟たち」にです。ペテロや弟子たちに、教会に、そう問いかけました。そこにクリスチャン信仰の基礎があります。自分が立っていたと思っていた土台が揺れ動き、崩れてゆくように感じるとき、「わたしはいったいどうしたらよいのでしょうか?」とわたしどもは問い始めるのです。ある人はペンテコステに集まった人々のように説教を聴いて自分の罪を知ります。ある人は神の前の自分の罪だらけの現実に目が覚めて、「一体どうしよう!」とあわてるのです。ある人は愛するものの死や病気や事故に直面して、絶対的な永遠者との出会いを経験しはじめるのです。

この言葉は使徒16章のピリピの牢獄でも同じでした。大地震があって囚人が逃げた責任で、自殺しようと慌てふためいた獄吏は、パウロとシラスに「自殺してはいけない!」と止められ、二人の前に進み出て「先生方わたしは何をすべきでしょうか」と問うた事が記されています。わたしどもも今日、主の御前にそう問いましょう。

2)38 すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。39 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」(38,39節)。     

 ⇒  悔い改めて洗礼を受けよ!         (新生の恵み)

 ペテロは人々の質問を受けてはっきりと答えました。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(38節)。これはストレートな言葉です。悔い改めて洗礼を受けること、そして、罪のゆるしを頂いて、聖霊なる神様のご支配の中を歩み始めると言うのです。この38節にキリスト教の信仰生活の中心的な内容が詰まっています。

以前、ある雑誌に、イギリスで伝道している一人の女性、小島美子先生の証しが載ったことがあります。「16歳の夜の出来事」という文章でした。

お父さんから厳しく責められ続けたお母さんが、ある夜、夕食の後についに絶望し、自殺を図ろうとして夜道を出た時のことです。4歳上のお姉さんと、事の重大さを察知して、そっとお母さんについて行きました。しかし、お母さんに慰めの言葉もなく、3人でただとぼとぼと黙って歩くほかありませんでした。3時間ぐらい歩いた頃に雨が降ってきました。行き場に困った彼女達は重い心で雨宿りしました。お姉さんがついに口を開いて「お母さん本当にこれより道はないの?」と聞きました。お母さんは上娘の悲痛な声を聞いて、優しい目で答えました。「それじゃ、家に帰りましょう」。二人の将来を思うと二人を道連れにすることはできなかったようです。その時です。わたしの口から思いがけない言葉が飛び出しました。「教会に行こう!」この自分の言葉に一番驚いたのはこのわたしだった」と記しています。しかし、その時はもう、夜中の二時でした。3人は賭けをしました。一度だけベルを押そう。すると暫くして外国の宣教師が出て来られて「どういたしました」と語りかけてくださって、礼拝堂へと導いてくださり、寝室まで用意してくださいました。そこでなんと一週間、3人は寝泊りして、やがて信仰を持ち、家庭全体が変えられていったというのです。

  使徒16章でもパウロとシラスは答えています。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(16:31)。そして家族全員が洗礼を受けて新しい生涯が始まりました。

3)40 ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。41 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。42 そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。  (40-42節)

⇒ この曲がった時代から救われよ!    (聖化の恵み)

「この曲がった時代から救われよ!」とペテロは大胆に語りました。新共同訳で、「邪悪なこの時代から救われよ。」「洗礼を受けよ。そうすれば賜物として聖霊を受けます」。今までの自己中心性を悔い改め、洗礼の恵みにあずかり、聖霊を受けるのだ。まさにペンテコステは、聖霊による人生の転機です。「キリスト教信仰は、十字架と聖霊です」。BFバックストン師の説教集2の冒頭に、同師の挨拶の文章があります。「聖霊の器」と言われたバックストン師です。宣教師嫌いの内村鑑三が「彼は聖霊の器、人類の花だ」とまで絶賛したと言われます。BFバックストンの生涯のメッセージは「聖霊を受けよ。聖霊の満たしはクリスチャンの人生の戴冠式」と語られたことは有名です。

「十字架の贖いと聖霊の満たし」。これぞ、聖書の根幹メッセージです。

4)12 「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。(4章12節) ⇒ ペテロの人生の一大転換!          (信仰の確信!)

わたしたちは、今日は、一大変身を遂げたペトロの姿を見ました。

4月23日の礼拝で、復活された主イエスにガリラヤ湖畔でお会いしたときのペテロの姿を見ました。朝のお食事の後に、主イエス様がペテロに問いました。「ペテロ、あなたわたしを愛するか(アガパオー)」この時のペテロの答え「主イエスよ、わたしはあなたを愛しています(フィレオー)。2度目に、

「ペテロ、あなたわたしを愛するか(アガパオー)」この時もペテロの答え「主イエスよ、わたしはあなたを愛しています(フィレオー)。

「ペテロ、あなたわたしを愛するか(フィレオ-)」3度目の主イエスの問の時のペテロの答え。「あなたはご存じです。わたしはあなたを愛しています(フィレオー)」。かつて、主イエス様が十字架にかかられる時に、三度も、主を知らないと言ってしまった。ペテロ。自分の愚かさと自己嫌悪で、絶望の中にいたペテロは、主イエス様に、アガペーの愛で愛するかと問われて、主よ、わたしは3度もあなたを拒んだ愚か者。神の真実な愛で、あなたを愛するなど口が裂けても言えません。でも、わたしは、言えません。でも、わたしの主はあなただけです。あなたを、人間のなしうる真実をもって仕えますという答えをしました。

しかし、このペンテコステの後のペテロはもう別人のようになっていました。彼ははっきりと言いました。「悔い改めて、洗礼を受けよ。聖霊を受けるのです。」この曲った、邪悪の時代から救われよ。その日、3000人の方が救われました。そして彼の言葉の結論は使徒4:12です。「この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

 ペテロ!大変身! これは、人間の世界ではなく、神御自身のなせる業でした。コロナを越えて、6月、伝道の時を迎えます。聖霊に満たされた勝利の歩みを確信して歩みましょう。

【祈り】 父なる御神。礼拝の時を感謝します。罪と死の世界に住むわたし達は、聖なるあなたの前に出る時に「一体、何をすべきでしょう?」と問う以外にないものです。「悔い改めて、洗礼を受けなさい」。主よ、あなたの救いの恵みに与らせてください。そして、「聖霊の恵みを受けよ」と語ってくださいました。わたしどもに聖き神の霊を満たして、クリスチャン人生の戴冠式をなして下さい。そして、「この方以外に救いはない!」と大胆に語れるところまで導いて下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン