新宿西教会主日礼拝説教「地上では旅人であり寄留者」ヘブル11:13,14 深谷春男牧師

説教「地上では旅人であり寄留者」

聖書:ヘブル11:13,14

説教者:深谷春男牧師 

 今日は、2023年7月2日です。この間、新しい年、2023年を迎えたと思ったら、もう、この年も半年間を過ぎたことになりました。でも、今年は、ここ数年と違って、コロナ災禍の驚くべき3年間を超えて、ほっとした感じがしているようなところがありますね。今年の5月からは、コロナの災禍表も5類に移って、マスクも自己判断に委ねられるようになりました。暑い夏の到来で、マスクなしに戸外を歩くことなどが許され、少し、開放感がありますが、ニュースなどを聞きますと、ここ、コロナ感染の数も、一時期より増えており、ちらほらと、コロナ陽性になりました・・・などの報告もあり、まだ、気をゆるめ過ぎるのは、早いとも言われていますし、「すでに第9波に入っている」等の言葉を聞きます。気をつけながら、夏の到来へと進みたいと思います。

【今日の聖書箇所の概略】

 今日は、今年の初めからヘブル書の導きを与えられ、今年度の教会の標語聖句もヘブル12:2が与えられております。原点に返りつつ、与えられた夏以降のプログラムへと進みたく思います。週報でも記されているように、夏のプログラムも、超教派の、夏の大会、聖会等が、コロナ前のように戻ってきていると感じております。健康に気をつけながら主の御業を期待して参りましょう。

 3月の末で、ヘブル書11章の学びが、ストップしていますので、今日は、久しぶりに、ヘブル書11章の、「信仰者列伝」であり、「偉大な信仰者の肖像画の掛かったギャラリー(画廊)」(FBマイヤー)と言われるところを共に読んで見たいと思います。信仰の基本を確認しましょう。

1節 信仰とは何か。御言葉を握る手、御言葉の完成図を見る目。

2節 昔の信仰者は、この信仰のゆえに賞賛をされた。

3節 この世界の現象は、背後に神の意志によることを知るべき。

4節 アベル(優れた礼拝:自分の罪と贖いを理解、神と和解し感謝する)

5節 エノク(臨在信仰:365年の生涯神と共に歩み死を越え命に生きる)

6節  信仰がなくては、神に喜ばれる事はできない。

7節 ノア(家族を救うため箱舟を造り、信仰による義を受け継ぐ者となる)

8節 アブラハム(召命を受けると御言葉に従い、行く先を知らず出発した)

9節  〃(信仰により約束の地に宿りイサクヤコブと共にテントに住まう)

10節 〃(揺るがぬ土台の上に建てられた都を待望。天国を見つめる目!)

11節 サラ(信仰によってサラもまた・・。約束された方は真実と信じた)

12節 アブラハムとサラ夫妻(老いぼれた100歳の夫と90歳の妻に子供が)

13節 アブラハム(地上では旅人であり、寄留者として、国籍を天におく)

14節 アブラハム(天にある、ふるさと、天国の証し人として生きる)

 【メッセージのポイント】

1)13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、(13節)

  ⇒ 「信仰を抱いて地上生涯を歩み終える者」であれ!

 信仰者の真の価値はその人の最後に、即ち、死の姿にあらわれるのかもしれません。ここでヘブル書の著者は信仰者とは「信仰を抱いて死んだ」人たちだったと語ります。彼らはその死に臨んでも「はるかにそれを見て喜びの声をあげ・・」。輝く瞳で天を見つめつつ天駆ける信仰者の姿をわれらは見ます。

 永遠の神様を父として信じた者の心の中は、永遠の命の世界まで広がってゆくのですね。信仰の世界は深いです。

 最近、教会に外国の姉妹に、「あの~お名前はなんと言われるのですか?」と聞いたら、『喜びを持っている』という聖書箇所からの、両親が付けてくれました。「え?それはどこの聖書ですか?」「ロマ書5章11節です。」「ああ、ロマ5章ですか?ロマ書5章は信仰義認の結果与えられる10個ぐらいの祝福が列挙されているところですね。」と言って、聖書のロマ5:11を開きました。そしたらメモ書きがありました。十字架の贖いを信じる者には、信仰義認の恵みが与えられ、やってくる祝福は次の12個です」と書いてありました。

ここは、聖書の中でも、『信仰』についての最高の説明ですね。『信仰』とは主イエスの贖いのことであり、次の12項目の祝福がともなう。

  • キリストの贖いによる神との平和。
  • 霊的な恩寵の充ち満てる恵みの世界。
  • 神の子として受ける栄光。
  • 苦難をも甘受する喜び。
  • 苦難が生み出す忍耐力。
  • 忍耐の性質が生み出す練達。
  • 練達が生み出す希望。
  • わたしたちの内に授けられる聖霊。
  • 弱く愚かなわたしたちに注がれる神の愛。
  • 終末時の神の怒りから救助。
  • キリストの贖いによる神との和睦。
  • キリストによって神を喜び誇る。

ハレルヤでした。彼女の名前は12番目から取られたそうです。

新約聖書の「信仰」は、結論から言えば主イエスの「十字架、復活、聖霊の内住、再臨」と表現することができます。恵みの一週間を祈ります。

2)13 そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(13節)。

  ⇒ この世では「旅人・寄留者」として生きよ!

 信仰者は神の国に国籍を持つ者たちのことです。「われらの国籍は天にある」(ピリピ3:20)とパウロは語りましたが、ここには信仰に生きる者の姿が深くするどく描かれます。「旅人・寄留者」として生きよ、と勧められています。(新共同訳では「よそ者」、「仮住まい」と訳してあります)。これは、ローマの帝国内にいた、地上に市民権を持たないで生きる者たちのことです。この言葉の意味するところは、「この地上は、わたしたちクリスチャンにとっては、永遠の住まいではない」と言うことです。わたしたちが外国旅行をする時には、本国は日本国であり、アメリカや韓国に旅行したときには、「旅人」であり、仕事や何かで、数年、滞在する時には「仮住まいの者」と言う事になりますね。

昔の、ユダヤのことわざに、「人生は橋である。そこは通らなければならないが、そこに家をたててはならない」。と言うのがあると聞いたことがあります。

 うちの娘が高校生の頃に、ユースバイブルキャンプで横山義孝先生からメッセージを受けました。主の証し人として生きるのが本業、この世の仕事はアルバイト・・・。

3)14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。(14節)  

⇒ 天のふるさとを熱望せよ!

 信仰者は父なる神と代々の聖徒たちの住まう「天国」を故郷とします。地上の故郷は言いがたいなつかしさと愛着のこもった世界です。しかし、信仰者は「出てきた土地」のことを考えているのではありません。「更にまさった故郷天の故郷を熱望する」のです。ここに神に喜ばれる信仰者の姿を見ることができます。(11節b)

 日本の童謡で有名な「ふるさと」という歌があります。あれは、クリスチャンの鳥取県生まれの岡野貞一(1878~1941)さんが、作曲されたものです。彼は日本基督教団鳥取教会で洗礼を受け、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入学、卒業され、母校で助教授、教授となり、また、東京に住まいの時には、約40年にわたり、本郷中央教会のオルガニストでした。調べたら、わたしの高校時代の白河高校の校歌「西秀麗の那須の峰」も岡野さんの作曲でした。童謡には、クリスチャンの方々が作られたものが結構ありますね。

 永遠のふるさとを目指して歩む生涯を考えると、広島キリスト教会の植竹利侑先生を思い起こします。先生が、特別集会でこのように語られました。「わたしは飛行機で東京までやってきました。時々こう思うのです。この飛行機がもしも事故にあったら大変。でもその時、伝道のチャンスが与えられるかも知れない。多くの乗客の中で、わたしだけが助かったなら、皆さん、わたしはクリスチャンで、愚かなものですが、神様に助けて頂きました。人間の生涯には何が起こるか分かりません。天国に行く、そなえをしましょうね。」あるいは、事故で、生涯を終えるなら、人生の最後、あの子供の時に、一日中遊んで元気に夕餉を待つお父さん、お母さんのもとに帰った時のように『天のお父様!ただいま!帰って参りました!』と挨拶したいですね。十字架に罪を全部赦して頂いて、聖霊様に内住して頂く生涯は、死ぬのを恐れない者となります。喜んで、なつかしい天のふるさとを目指して、地上の生涯を立派に終わって「ハレルヤ!今、帰りました!」と元気に天のお父様に感謝しましょう。」 

 ある牧師先生のところへJTJの神学生がお見舞いに行きました。先生は5回もガンの手術をしているので、きっと、弱っておられるだろうと思い、先生を励まそうと病院に行ったそうです。そしたら先生は、身体は弱っても霊的に恵まれていて、「今の霊的状態を表現すると、ま、ドアを開ければパラダイス!!ってところだね!」。かえって、お見舞いの神学生が恵まれて帰ってきたそうです。

  主イエスの十字架で罪赦され、神の子どもとなったわたしたちには、天には、愛する方々のいるふるさと、『天国への凱旋!』が待っているのですね。

 東京聖書学校の教師をしておられた菊地先生が、ある卒業式で祝辞を述べられました。それは「彼岸は此岸の力である」という米国の神学者テリッヒの言葉として伝えてくださいました。わたしたちのこの地上の生涯は、地上では旅人、寄留者として、自分の指定走路を走るキリストの証し人でありたいです。

【 祈 り 】   天の父よ。この7月最初の主日礼拝。信仰の父、アブラハムの生涯を示してくださり感謝します。どうぞアブラハムに習って、この地上を去るときまで、主を信じ通し、輝いて礼拝を捧げる忠実な証し人として導いてください。そして、また、この世では旅人であり寄留者として生き、天国にふるさとを持つ者として歩ませてください。天国への希望が、この地上の生きる力であり、豊かな支えであることを、今日、7月から始まる、2023年の後半の歩みに力を与えてください。全世界にあなたの祝福と恵みが注がれますように。未来を切り開く力、命の力に満ちて歩めますように。わたしたちの救い主、愛する主イエスの御名によって祈ります。アーメン。