主日礼拝説教「神に聞く生き方」使徒行伝10:1~16 深谷美歌子牧師

説教  「神に聞く生き方」

聖書   使徒行伝10:1~16

説教者  深谷 美歌子牧師  

 本日の礼拝は、深谷牧師が大和カルバリーチャペルの御用に招かれて、わたくしが新宿西の礼拝メッセージをさせていただくことになりました。大和市の大川従道先生とは、40年来の同労者です。深谷牧師が29歳ぐらいの時、「青年宣教大会」と銘打って若い牧師をピックアップし、「なかよし会」という名で祈祷会や交わりを持って、伝道のビジョンを掲げ、毎年「青年宣教大会」を御殿場で開いてきました。昨年サキソフォンコンサートをして下さった岸義紘先生もその仲間です。80歳を迎えて、青年とは普通言わない年齢ですが、それぞれの導きに従って歩んでこられ、今も導きに従って歩んでいます。大和カルバリー教会は、日本でも有数の大教会に成長しました。岸先生や、中野雄一郎先生は「どこでも誰でも献身を」と掲げて「JTJ神学校」を建て上げました。多くの献身者がユニークな伝道をしています。

 深谷牧師は教会成長の学びや、超教派の活動、協力伝道の働き、ホーリネス信仰に身を投じてきました。それぞれが導きに従って生きてきました。今、新宿歌舞伎町という、若者、将来のある彼らが集まる所に遣わされています。神様が何を望んでおられるのか聞き取りたいと願っています。

 本日のテキストは、異邦人伝道が開始された歴史的出来事の記事です。聞いてまいりましょう。

テキストの概観】

1-4節 絶えず祈っていたコルネリオに、神に覚えられていると天使が語られた。

5-8節 皮なめしシモンの客となっているペテロを招きなさいと神が言われた。

9-16節 ペテロに、神が清めた(異邦人)を受け入れるように導かれた。

【メッセージのポイント】

1)絶えず神に祈りをしていた。

 1 さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、2 信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。 3 ある日の午後三時ごろ、神の使が彼のところにきて、「コルネリオよ」と呼ぶのを、幻ではっきり見た。4 彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか」と言った。すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。

9 翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈をするため屋上にのぼった。時は昼の十二時ごろであった。 2-4、9節

 今日のテキストは。コルネリオという異邦人に、神様が働きかけた記事です。使徒行伝はこの異邦人の救いが起こされた記事に2章分を使っています。このでき事がどんなに今後の教会の進展に重大な出来事であったかを現しています。

 そしてコルネリオがどんな人であったかを紹介しています。この人はすでに真の神を信じ、祈っている人でした。この時はまだ、イエス様の救いは知らされていませんでしたが、唯一の神様を認め従っていました。ローマの百人隊長でしたから、生活に困るとかは無かったでしょう。しかし人間は神様を知り、生き方を導かれてこそ、本当に生きるのだとここを学んで知らされました。

 確かにこの世界を造られ、導かれる方があることは喜びですね。赤羽に川辺カネさんと言う方がいましたが、「ほんとに神様がいるなら教えてください」と夜空を仰いで祈っていたそうです。戦後になって、焼け跡に天幕が張られ、天幕伝道がそこで開催されました。そこに導かれて、「神様がおられた!」と喜び溢れたそうです。コルネリオも神様を認めこの方の前に祈っていました。

 神様が御業を行われるとき、確かに神様の主権によってですが、祈りが御業が起こる「導火線」となることを、聖書はよく記しています。

 コルネリオは絶えず祈りをしていた。とはどのような祈りだったでしょう?一日の10分の1、2時間24分は祈るといい、と勧められる方があります。祈りだけにその時間をさくのは大変ですね。島先生が「祈りだけに専心していなくても絶えず祈っていることですから」と言われてそうかと思いました。いろいろな出来事が起こった時は、「祈りましょう」と問題を神様に向けて祈って委ねるのも絶えずと言えるでしょう。

 それと共に、午後3時の祈り(コルネリオ)3節、12時頃(ペテロ)9節、と決まった時間に祈っていたことが聖書からも解ります。教会では祈祷会が木曜日に持たれています。み言葉の後のお分かちが深く教えられます。毎朝6時の早天祈祷会もみ言葉を聴き取るすばらしい時です。ご飯ごとの祈り。隔週の金曜日の半徹祈祷会などもあります。私達は流されやすい者です。決まった時間を取るということを習慣付けることは、絶えず祈っているとも言えるでしょう。それらは神のみ前に届いて覚えられています。家族の為の祈りも毎朝必ずしています。46年の祈りの中で、母兄弟が次々と救われました。

 コルネリオが3時の祈りをしていた時に、神様のメッセージが臨みました。 ペテロも12時の祈りをしていた時に、神が清めたもののことが告げられました。神様が語られるのは、神様を認め祈っている者に です。

2)ぺテロを招きなさい。 

  5 ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。6 この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」。7 このお告げをした御使が立ち去ったのち、コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、 8 いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した。   5-9節

 祈っている時、天使が現れて、「ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。皮なめし職人シモンの家に客になっている」と告げました。当時の「皮なめし職人」はさげすまれた職業でした。ペテロもそこに客になっていますが、ローマの市民の百卒長が、皮なめし職人のところに、使いを出すというのは、普通は考えられないことだったでしょう。しかし、このときの行動にためらいは少しも感じません。信心深い兵士を選び、全てのことを話して、送り出しています。

 御業が起こされるために、祈り、聞き、聞き取ったことを実行したことが今日の記事で解ります。コルネリオはこれまでも神様を敬い、神の民であるユダヤ人に、神に仕える思いで数々の施しをしていた。これは教会への献金のようなものだと、ここを説明されている方があります。信仰と共に行動が伴っていた方でした。

 ペテロは、コルネリオの全く知らない人でした。ペテロをなぜ招いたか11:14 にこの人は、あなたとあなたの全家族とが救われる言葉を語って下さるであろう』とあります。まことの唯一の神様を信じてはいましたが、イエス様のもたらされた救いのことは知らなかったのでした。けれど、真実に神様を信じ、従っていたコルネリオを神様が、異邦人教会の初穂としてまず救いに入れられたのでした。

彼は救いのために、知らされた通りペテロを招き、救いが起こりました。聞き取ったことに従う時、御業が拝されます。アブラハム以来。

 

3)神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」

 10 彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。11 すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。

14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。16 こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた    10-16節

 一方、神様は、ペテロにも備えをされました。

 当時の敬虔なユダヤ人は、ローマの支配下にあっても、神の民としての誇りと忠誠心をもって、異邦人の生活に馴染もうとはしませんでした。初代教会のころは、イエス様の弟子達もその生き方を守っていました。

 祈るために屋上にのぼったペテロが夢心地になった時、天から四隅をつるされた布のような入れ物が地上に降りてきて、10:12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。のでした。レビ記11章に禁止されている、食べてはいけないものがはいっていました。神様が言われた事かもしれませんが、清くない動物を食べるとか、異邦人と交わる、まして、異邦人の家に入るとか、一緒に食事をするなどということは、クリスチャンになったペテロでさえ、それまで考えられない事でした。11章3節で「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行き、一緒に食事をした」と非難されています。ペテロもこの人たちと同じ信仰にそれまで立っていました。ですから、「食べなさい」と言われても「とんでもない!」と思えたことだったでしょう。けれど、このできごとは3度もあったのでした。このあとコルネリオの使いが到着します。その時ペテロは今の布に入れられた動物の意味を悟ったのでした。

 「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。これはイエス様の弟子であったペテロでさえ考えおよばなかった、異邦人の救いを神様が計画されていたことでした。そう言えばスカルの井戸でのサマリヤの女もイエス様は救いを与えました。とペテロは思い出したことでしょう。

 今も神はすべての人が救われて真理を悟るに至ることを望んでおられます。コルネリオ一人の救いのために、神様はペテロを備えられました。コルネリオがその導きに従った時、これから開かれる全世界宣教のために用いられたのでした。ペテロも従って用いられました。

 宣教の不振が教会を覆っているように言われます。一人の従順がその後の大きな御業に繋がりました。神様の導きを聴き従い用いられましょう。

 祈り  神様、常に神様に祈り、神様の導きに素直に心を開き、従って、コルネリオはイエス様の救いを家族で受け、異邦人教会の基になりました。汚れた者としていた異邦人に救いが及び、今私達にも及びました。愛する家族同胞の救いを与えてください。御名によって祈ります。アーメン