新宿西教会主日礼拝説教「神の御前にまかり出る」使徒行伝10:17~33 深谷美歌子牧師

 

8月に使徒行伝10章に入らせていただいた時、異邦人コルネリオが救われた記事に2章も使っていて、教会の歴史に、大きな意味のあるでき事だと言うことが分かります、とお伝えしました。

本日の箇所もこの記事が続きます。世界宣教が開始されるに当たっての出来事を見てまいりましょう。

テキストの概観】

17-23節 ペテロが思い巡らしていると使いの者が到着し、出発した。

24-26節 ペテロをコルネリオが拝そうとし「同じ人間」と止めた。

27-33節 大勢の人が、神の前に御言葉を求めてまかり出ていた。

【メッセージのポイント】

  • み心を思い巡らし、導きに従った。

17 ペテロが、いま見た幻はなんの事だろうかと、ひとり思案にくれていると、ちょうどその時、コルネリオから送られた人たちが、シモンの家を尋ね当てて、その門口に立っていた。 18 そして声をかけて、「ペテロと呼ばれるシモンというかたが、こちらにお泊まりではございませんか」と尋ねた。19 ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。 20 さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。 21 そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って言った、「わたしがお尋ねのペテロです。どんなご用でおいでになったのですか」。 22 彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。 23 そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。             17-23節

 ペテロは不思議な幻を3回も見た後で、いったいこのことはどん意味があるのか、17節では「思案にくれていた」、19節では「思いめぐらし」ていたと記されています。きっと神様のご計画があると思いつつも、まだ明らかにならないので、思案にくれ、(汚れた動物を食べよ?しかしきっと意味があるに違いない)と思い巡らしていました。

神様が何か起こされているが、その意味がまだ明らかにされていなかったのでした。ペテロはそれを受け止める心はありましたが、まだ全容は分からなかったのでした。

わたしたちの生活にも「これらのことは神様どんな意味があるのですか」という思いがすることがあります。赤羽で90歳を超えた奥国治先生がメッセージに来てくださったことがありました。 たくさんの子供を残して奥様が召されたとき、「なぜですか?」と祈っていたとき「汝今は分からず後にて知るべし」ヨハネ13:7という御言葉が響いてきた、とお証しを伺いました。

ペテロも、きっと神様のご計画があると言うことは確かだったので、それが何か思い巡らしていたのでした。その時聖霊「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。 20 さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。と声を掛けられました。

前回は祈っていたとき、幻が与えられたことを見ました。聖霊様を心の王座に迎えて従う用意をしていたとき、(これを明け渡し、サレンダーと言います。長谷川賛平さんがアシュラムで、このことがよく分かるようになって来ましたと語られました)具体的な導きが起こされました。

常に祈り、聖霊の導きを聞き取りましょう。それで、コルネリオの使いが来て、話を聞いたとき、はたと分かったのでした。それで、当時は異邦人もユダヤ人も考えられない事でしたが、異邦人の兵卒を家に迎え入れ、食事を共にし、泊まらせて一緒に出かけたのでした。

  • 神の前に同じ人間

24 その次の日に、一行はカイザリヤに着いた。コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、待っていた。25 ペテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝した。26 するとペテロは、彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。      

24-26

一方コルネリオは、ペテロが到着するのを待ちかねていました。そして到着すると彼の足もとにひれ伏して拝した。のでした。この言葉は「礼拝した」という言葉です。ローマの百人隊長が一介のユダ人の前にひれ伏すとは普通考えられない事でした。家族や兵卒たちもそれを見てどんなに大切な人なのか悟ったことでしょう。しかし、ペテロは彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。とやめさせ共に話しながら部屋に入りました。

マタイ4:8-10に次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」と悪魔の誘惑を退けたことが書いてあります。神の言葉を語る器を尊ぶことは良いと思いますが、礼拝する対象ではありません。ペテロも一介の漁師でしたが、臆することなく対等にコルネリオと話しています。心からこの世界を導く神様を信じる時、お互いにへりくだります。ここに平和があります。

 ここを学びつつ、このことは当然、と思っていましたが、しかしこのことは、信仰の根幹であると改めて思っています。

 アシュラムに18-20日と行かせて頂きました。今年の主講師は島隆三先生でした。「イエスは主である」これがアシュラムのキャッチフレーズです。当たり前のことをいつも横山先生が最後の祝福の時皆で唱和します。あまり意味が分かりませんでしたが、今回この言葉を島先生ががっぷり取次いで下さり、解りました!今の日本では「イエスは主なり」と言ってもだれもとがめません。しかし、キリシタン禁制の時代、「イエスは主なり」と公言することは、死を意味しました。この告白は命がけのものです。現代でもこの告白によって迫害される国もあります。山本師のメッセージ。

3)お告げを残らず伺おうと、神の前にまかり出る。

27 それから共に話しながら、へやにはいって行くと、そこには、すでに大ぜいの人が集まっていた。28 ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。

29 お招きにあずかった時、少しもためらわずに参ったのは、そのためなのです。そこで伺いますが、どういうわけで、わたしを招いてくださったのですか」。30 これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈をしていますと、突然、輝いた衣を着た人が、前に立って申しました、31 『コルネリオよ、あなたの祈は聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。32 そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめしシモンの海沿いの家に泊まっている』。33 それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。      27-33節

招かれたいきさつがここでまた、繰り返されています。ペテロの事情も、コルネリオの事情もです。対面でお互いにこのことを聞いて、「やっぱりこのことは神様のご計画だった」と確信を持ったに違いありません。

人間は造り主なる神様を知り、生き方を導かれてこそ、本当に生きるのだと前回ここを学んで知らされました。コルネリオが本当に神様を信じ、導きを求めていたこと、そして今も、告げられた神の言葉を残らず聞こうとして神のみ前にまかり出ている姿、がここに記されています。

これこそ、神様がわたしたちに求めておられる姿です。天国で一番偉くなりたい者は自分を低くするものだとイエス様も語られました。

聞き取ろうと神様の御前に待ち望んでいるとき、本当に生きる、命の御言葉が語られます。このあと、固唾をのんで聞いていた人々にこの命が臨みました。

そしてここを学んでいて、このことは、求道者だけがするのではなく、信仰者全てが、この姿勢で神様の言葉を聞くのが、命の経験をし続けるために必要だということを教えられました。

最近、歌舞伎町に「東横キッズ」という若者が集まっています。彼らが生きるために、使命を与えられて立ち上がった兄弟姉妹がいます。そのために歌舞伎町にある新宿西教会に協力してくれませんかと、声が掛けられました。今、神様のご計画を思い巡らしています。

若者が教会にいないと言われます。世界に若者がいないのか?少子化とはいえ、いないわけではありません。歌舞伎町にいるのです。しかし彼らは命のことばを知りません。出会ったその日に、ホテルから2人で飛び降りた子たちがいました。命を得て欲しいと彼らに愛を注いでいる方々です。

何が必要か?思い巡らして得た結論は、命の御言葉だという事です。まず教会は御言葉を語り続けましょう!しかし、まだひざまずいて御言葉を求める気もない彼らに、まず何をせよと語られているのか、聖霊様の導きを求めている所です。神様が創めようとされていることを。

祈り:神様、あなたのみを礼拝し、従います。コルネリオ一族のように、御言葉を残らず聞こうと御前に集っています。異邦人伝道の元になったカイザリアのように、歌舞伎町から命が広がりますように。御名によって。