新宿西教会オープンチャーチ第四週礼拝説教「永遠の命の泉」ヨハネ福音書4:14 深谷美歌子牧師

 

《新宿西オープンチャーチ礼拝》  永遠の命の泉」   2023・10・22

 ヨハネ4:1-26                    深谷美歌子

この頃、線状降水帯や台風で被害を受けた方が、飲料水を受けるために、容器を持って給水車で受け取る映像がテレビで報道されます。今はイスラエルが戦争状態で、給水が1日分しかないなど「水」がなくては生きて行かれません。日本では水は豊富なのが普通なので、普段はあまり水のありがたさを感じません。わたしは子供の頃、近くの井戸から水を運びました。重い水を運ぶのは苦労です。水道が付いたときは「便利!」と思いました。

今日の聖書箇所は今のイスラエルの中程にあった、スカルの町の井戸のそばで、サマリアの女の人がイエス様に出会った出来事です。

聖書は作り話の書ではありません。ほんとうに起こったことを伝えています。本日は、独りの偏見や恐れに囚われていた女性が、心の底から満たされ、生かされたできごとを知って、今も起こるこのことをお伝えしたいと思っています。ご一緒に見て参りましょう。

【今日の聖書箇所の概説】  

1-9節 ガリラヤに向かう途中、ヤコブの井戸に来られ、疲れて

座っていたイエス様が サマリアの女に水を求め、彼女

はなぜ私に?と質問する。

10-15節わたしが生ける水を与える人であると知ったら、あなたの方から生ける水を求める。私が与える水を飲む者は永遠の命に至る水が湧き出る。女性はその水を下さいと言った。

16-18節 過去の夫の事を言われ、彼女は全知のイエス様に驚く。

19-26節 神の前に出るとしたら、ゲリジム山かエルサレムかと問う。

    メシアがきて霊とまことをもって礼拝する時がきているあなたと話しているこの私がそれを与える者です。

【メッセージのポイント】

1)「水を飲ませて下さい」

3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。3-9節

バプテスマのヨハネの時代が終って、イエス様のほうが弟子を多く作っているとファリサイ派の人々が知ったとき、攻撃がイエス様の方に向くと思われたのでしょう、まだ最後を迎える時ではなかったので、ガリラヤに向かわれたと思われます。そのときサマリアを通ったのでした。確かにサマリアを通った方が近道ですが、迂回していく道もありました。がイエス様はサマリアを通らねばならなかったのでした。目的があったのでした。

 このサマリアは紀元前722年にアッスリアに北イスラエルが滅ぼされた時、アッシリアの王が違う民族を送り込み、混血の民ができました。586年にユダ王国もバビロン捕囚となりましたが、ユダヤ人はけして他民族とは同化しなかったのです。その後、捕囚から帰還が許され、神殿再建が許されましたが、サマリア人は混血したということで、仲間に入れてもらえず、ゲリジム山に神殿を立てました。それ以来、反目の仲になっていました。しかも女性にラビが、声をかけるなど考えられない時代でした。「サマリアの女の私に」との言葉にはこんな意味が含まれてます。そのサマリアの井戸のそばで、イエス様は渇きを覚えておられました。そこに、サマリヤの女の人が水を汲みに来たのでした。

 イエス様は「水を飲ませてください」と頼みました。女の人はビックリしましたが、その態度は、やさしく、サマリヤ人への偏見も、女性への偏見も感じさせないものでした。けれどもこのことはあり得ないことだったので、「どうしてサマリアの女のわたしに飲ませてくれとおっしゃるのですか」と聞いたのでした。神様は人類全てを偏見なく愛しておられます。この女性はこの愛に満ちたイエス様に接したとき、心を開いたことでしょう。

 現代においても、あなたが必要だ、助けてくれないか?とやさしく声をかけてくださっています。無用な人など一人もいないのです。

2)「生ける水を与える主。」

10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」  10-15節

 イエス様は、水を下さいと自分から言ったのに、急に『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。と答えました。イエス様から生きた水の話を始めたのでした。

 ヤコブの井戸はたまり水です。30mあるいは60mもあったと言われています、それだけ掘って地中からしみ出してきた水でした。。旅人は動物の皮で作った紐や袋を持っていて、それで水をくみ上げて飲んだそうです。

「生きた水」と言う表現は、泉のような流れる新鮮な水を現わす言葉だそうです。イエス様は4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われました。この女性は人目を避けて水を汲みに来ていたので、そのような水があれば欲しいと言いました。水道が付くようなイメージだったでしょうね。

3)夫をここに連れてきなさい

 16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」  16-18節

 生きた水が欲しいと言った女性に対し、その水を頂く条件のように

「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」とイエス様は言われました。彼女は「わたしには夫はいません」と答えました。彼女は過去5人の夫がありましたが、今一緒にいるのは正式な夫ではありませんでした。

 突然イエス様はこの女性の現実をズバリと指摘しました。 彼女が人目を避けて水を汲みに来なければならない理由はこれでした。  

 今年の首都圏イースターでメッセージしてくださった大嶋重徳先生が「この女性は過去に5人も夫がありました。裏切られたのか、どうしてそのようなことになったかは書いてありませんが、こりないで同棲している人がいました。人は誰かに好きだ、愛していると言われたい。満たされたい存在なのだ。」と語られました。この人の一番必要としていたのは、裏切られない真実の愛の命に満たされることでした。

4)メシヤ(救い主)はこの私である

 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・23 霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます」26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである」  19-26節 抜粋

 自分の過去を全て知っているイエス様に「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。と神様に向く場所について尋ねます。「婦人よ、わたしを信じなさい。まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。イエス様がメシヤで、自分が赦されることを聞き、心の底から赦された喜びを経験しました。湧き上がる喜びで、人の目も気にならなくなって、この素晴らしい知らせを知らせるために、町に走っていきました。復活し、今も生きておられる主は「婦人よ、わたしを信じなさい」と語っておられます。全ての罪を負って十字架についてくださったイエス様を信じ、溢れる命を今から頂いてください。→ 藤井圭子先生の証し。

祈り、この世の何ものによっても満たされない、死に繋がった命でした。イエス様の赦しの永遠の命を、今から感謝していただきます。御名によって。 アーメン