新宿西教会アドベント礼拝説教「神が人となられた」ピリピ2:6~11ベアンテ・ボーマン宣教師 2023年12月3日

新宿西教会の愛する兄弟姉妹の皆様。おはようございます。

主にあって、今年もこのアドベントの季節に皆様とお会いでき、共に礼拝の恵みの時を与えられて心から感謝します。わたしは皆様に、主イエスにあるすばらしい福音を語り、皆様と共に、永遠の御救いを喜ぶことを、心から感謝し、祈っております。ハレルヤ!

今日は皆様と共に、ピリピ人への手紙2章6節から11節の内容を語るように導かれておりますので、さっそく、御言葉を読んでみたいと思っております。

まず、第一のポイントとして、ピリピ人への手紙2:6~7を読みます。

6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、(6,7節)

ここには、 まず、「神が人となられた」と言うことが記されます。

  主イエス様は、「まさに本質において神」であり、神と同等の御方でした。 主イエス様は地上における永遠の神の顕現であり、始まりも終わりもない御方でした。 彼は生まれる前から、時間が始まる前に神と共に存在していました。 神は宇宙を創造し、支えておられます。(ヘブル書1:1~3)。

  この主イエス様は、神様の御介入によって、処女から超自然的にお生まれになりました。 旧約聖書ではなんと約332回も、その誕生のことが預言されており、天使の告知と超自然的な導きが彼の生誕の地を預言していたのです。 主イエス様は、人間の歴史の時間を二つに分けました。紀元前と、紀元後です。西暦は、ADで(Anno Domini「主の年」)。 原文はラテン語で、「anno Domini nostri Jesu Cristi」(私たちの主イエス・キリストの年に)で、1年と言う風になります。

   主イエス様は、私たちと同じ条件で生きました。彼は飢えを体験し、喉の渇き、身体の疲れを、わたしたちと同じように体験されました。でも、わたしたちと違う所は、彼はわたしたちのような罪がなく、神の力を持っていました。主イエス様は多くの奇跡を行い、そして、十字架につけられ、その後、復活されました。 主イエス様は天から来られ、天に昇られました。 イエスは死ぬ前に、「父よ、どうか、世が始まる前にわたしがあなたと共に持っていた栄光をもって、あなたの御前でわたしの栄光をあらわしてください」(ヨハネ17:5)と祈られました。

   最も素晴らしい音楽作品の1つは、マーラーの交響曲第2番「復活」です。 第4楽章では、イエス・イエス・キリストのことを歌う「Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!」(私は神から来て、神に帰ります)です。

   キリストの神性にどのように反応するか?二つの方法があります。ある人は主イエスの出来事を、「物語」、「おとぎ話」、「フィクション」と嘲り、本当のこととは受け入れません。しかし、わたしたちは、それを、真実として受け入れ、それを信じます。あなたもどうか、真実な事と受け入れ、救いを経験してください。

 第2番目に、なぜ、神御自身が肉体を取って人となられたかを考えてみましょう。8節にこのように記されます。

 8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。(8節)

「 神は過去に預言者を通して語られましたが、終わりの日に御子を遣わされました」(ヘブル書1:1)。 主イエス様は、神についての理論や哲学を伝えたのではなく、神御自身として現臨されたのでした。

    主イエス様は、人間と交わり、人格的な交信をするために遣わされたのでした。 神は天から語られただけではありません。神は御子を遣わして、人間の言葉を話させました。 蟻はお互いにコミュニケーションをとることができますが、人間は蟻の言葉はわかりません。アリになってアリの言葉を話さない限り、アリとコミュニケーションを取るとることはできません。

  主イエス様は、人間の抑圧と苦しみと同一視されました(イザヤ53:3-5;ルカ4:18-19)。 神様は、人間に試練の中で逃がれの道を示してくださいます(1コリ10:13)。

  主イエス様は十字架の上で、死に対しても従順でした。 彼は死んでよみがえるために人間にならなければならなかったのです。主イエス様は、人類を罪から贖い、よみがえりと永遠のいのちの希望の現実を示すために、身代わりとなって死なれたのです。

第3番目に、「主イエス様の高挙と栄光」について考えてみましょう。

9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

                   (9~11節)

     キリストの謙遜さが彼の高挙をもたらしました。 ヨハネの黙示録は、主イエス様が、「贖い主」、「神の小羊」、「王の王、主の主」(黙示録19:16)だることの賛美に満ちています。

   音楽史上、神への賛美を捧げた最大の作品の一つは、ヘンデルが作曲したオラトリオ「メサイア」です。 ヘンデルがハレルヤの合唱曲を作曲しているときに使用人が入ってくると、ヘンデルが涙を流して泣いているのを見つけました。 ヘンデルは僕に向かって、「私は目の前に、天国と、偉大なる神ご自身を見た」と言いました。 ヘンデルはキリストの栄光と天国の荘厳さを垣間見たのです。

   人間は今や、主イエス様を受け入れるか、あるいは主イエスが再臨の主として戻ってきた時に、あわてふためき、青ざめ、おびえるかを自分で選ぶことになります。でも、しまった!遅すぎた!とならないようにとくり返し警告しています。 「神を畏れ、神の戒めを守りなさい。これは全人類の本分である」(伝道の書12:13)。

【祈り】 この世界の造り主、全能なる神様。あなたが今日、わたしたち人間を罪と死の世界から救うために、人間の世界にお生まれになり、しかも十字架にまでかかり、死を打ち砕き、救いを成就してくださったことを学びました。自分の罪を悔いて、主イエス様の救いを受け入れ、神の子どもとしてください。この新宿西教会から、主イエス様を信じ、天国の恵みに入る人々を起こしてください。主イエス様の御名によって祈ります。アーメン