新宿西教会アドベント第二主日礼拝「アブラハム・ダビデ・バビロン捕囚」マタイ1:1深谷春男牧師

わたしたちは今、教会暦で言うとアドベントの時を過ごしております。 主イエスをむかえるための準備をする期間の意味です。人を迎えると言うことは大変なことです。先日、ある方が、子供の友人を迎えるための備えをした話がありました。けっこう大変で、お掃除したり、細かいことが必要だったと語られました。

わたしたちは、このクリスマスにお客様をお迎えします。そのお客様は、何と主イエス様なのです。イエスキリスト様を心の中にお迎えするのです。主イエス様は、どんな御方でしょうか?

愛の御方で、やさしく、わたしたちを導き、わたしたちのすべてのことへの良きカウンセラーであり、光と命を満たして下さいます。そして平安と喜びと永遠の恵みの世界を与えてくださる方です。この主イエス様をお迎えすることが、わたしたちの「魂の救い」と表現されますね。

昨年もアドベントの迎え方を、《4本のアドベントろうそく》で学びました。

第1週目は「希望のろうそく」を灯す時。今年は3日~9日の週。

第2週目は「平和のろうそく」を灯す時。10~16日の週。

第3週目は「喜びのろうそく」を灯す時。17~23日の週。

第4週目は「愛のろうそく」を灯す時。24日~。

今日は、「平和のろうそく」を灯す思いで、聖書の言葉を学びましょう。

【今日の聖書の箇所の概説】

今日、皆さんとともにお読みしているのは、新約聖書の初めの部分です。この箇所は、主イエスさまの家系図が記されているところです。ここには、アブラハムから14代のダビデ、ダビデから14代のバビロン捕囚、そしてバビロン捕囚から14代のイエス・キリストの誕生の歴史が記されています。

まず皆さん、この箇所を読んでみましょうか?

【メッセージのポイント】

1)1 アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(1節)

⇒ アブラハムに学ぶ、「祝福の信仰」を持とう!     

 マタイの福音書はややこしい系図がまずあって、次にキリスト誕生の記事が続きます。そこでは神が人の世界の悲惨さをあわれみ、ご自身の独り子イエスをこの世に降し、救いを完成させるとのメッセージが語られます。

まず第一に語られるのが、アブラハムの信仰です。創世記12章でこの信仰の父と呼ばれるアブラハムの登場となります。

人間の世界は、「全てがよかった」と言われる創世記1章の万物の創造、

人間の創造が語られます。しかし、すべてが良かったと言われる世界に大事件が起こります。その源は3章の「アダムとイブの堕罪」の事件です。この出来事によって、この世界は、恐ろしい「呪いの世界」となってしまいました。。

創世記3章から11章の聖書の箇所は一般に「原歴史」と呼ばれます。これは、人間が神に逆らい続ける「呪いの歴史」であると言うことができます。罪と死の支配する呪いの歴史なのです。

創世記3章で神と人との断絶が語られ、

4章で人と人との断絶が語られ、

5章で死の到来が語られ、

6-9章で人間の「乱れと暴虐」が地を覆って、神は絶望して人間を含む被造物一切を滅ぼすという破局を語り、

10章において諸国民の系図を語りつつノアの子孫たちによっても理想社会は来たらず、バビロン等の古代武力国家の罪の蔓延を語り、

11章においてベベルの塔の物語において科学技術文明の根本が罪と死の呪いの中にあることを語っています。

  ここでは、人間と人間の罪の本質が語られ、救いのなさが宣言されます。しかし、神はこの絶望的な人間の世界に、12章から救いの業を始められました。それは、アブラハムの選びです。神はアブラハムを選び出し、彼に信仰の道を示し、彼を祝福の基とされました。

わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の基となるように。3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」(2、3節)

  今、アブラハムと同じように従おうとするあなたに、主は、深い愛をもって宣言されます。「あなたは祝福の基になる」と。

憎しみと不満の中に歩んでいたわたしたちの呪いの生活を、主は、愛と喜びの祝福の生活へ変えて下さるのです。C・ヴェスターマンによれば「祝福」とは「未来を切り開く命の力」です。ここには5回「祝福」なる言葉が出てきます。これと反対に実は創世記3章の堕罪以来、「呪い」という言葉が5回記されておりました。信仰は、呪いの生涯を祝福の生涯に変えるのです!呪いから祝福へ。今、主イエスの十字架と復活の福音により、未来へ向かって、扉は開かれました。過去の罪や悲しみから解放されて、新しい世界が始まろうとしています。

今日は第一に、アブラハムの信仰について共に学びました。

アブラム。あなたは祝福の基となる!

彼は死者を生かし、無から有を呼び出す神を信じた。

2)6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、(6節)

⇒ ダビデに学ぶ、神の御前に砕けた悔いた心を持て!        

  第二に、ダビデの信仰について見たいと思います

ダビデという人は、イスラエル人にとって、救世主のような人物でした。イスラエルがヨルダン川を通って、カナンの地に入っていったのは、紀元前1000年前のころでした。 その頃の時代は、ユダヤ民族は、ペリシテ人に支配されておりました。このペリシテ人は地中海の方から、現在、問題になっているガザとかアシケロン等の5つの町を拠点に、パレスチナを押さえていました。サムエル記上16章からサムエル記下の終わりまではダビデ王の物語です。ヨルダンの東からはヨシュアに導かれたイスラエルの民が、約束の地へと進出して行きました。同じ頃、地中海の方からは「海の民」といわれたぺリシテ人が現在のパレスチナを地中海沿岸の5つの町、アシュドド、ガザ、アシュケロン、ガト、エクロン(6:17)を支配し、パレスチナ一帯を支配しようとしていました。東から入ってきたイスラエルと西から入ってきたペリシテが真正面から運命の激突。それはエラの谷(エルサレムの南西約20KM)というところでした。そこであの有名な「小さなダビデと3メートル近くあったと言われる巨人ゴリアト」の戦いがありました。神の力を助けとして勝利していったダビデは、ついに、南ユダの王となり、さらに、北イスラエル連合もダビデを王として仕え、彼は当時のパレスチナ地方の、諸民族を従え王となり、そこでエジプトに匹敵するほどの大帝国を築いたのでした。

 ダビデの信仰は二つ出てきますね。

 一つは、ゴリアテとの戦いに勝利する姿。信仰により、神様の助けによって勝利する姿です。サムエル記16章のサムエルによって油注がれ王となったとき以来、ダビデの上に、神の霊が彼の心を貫き、彼は信仰の人として、イスラエル国家を樹立して、ダビデの信仰ですね。

 その究極のダビデの信仰告白は詩篇18:1と詩篇51:17だと思います。

「わが力なる主よ.わたしはあなたを愛します。」

「あなたの受け入れられるいけにえは砕けた悔いた心です。あなたは、砕けた魂をかろしめられません。」

数年前に、スウェーデンのチェリスト、べアンテ・ボーマンさんが友人のフィンランドのチェリスト、ラッセルさんの証しをしてくださいました。イエス様とラッシーとの会話。主イエス様「お金をくれないか」。ラッシー「いやだ」。「お前の才能をくれないか」「いやだ」、「お前の命をくれないか」「いやだ」。それから「お前の罪をくれないか」「あ~、罪なら喜んであげるよ。持っていてくれ」。その時、救いの恵みが分かった!罪と交換に、新しい神の子の命をいただいた彼は、今、教会で牧師にまでなっているとのこと。

3) 11 ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。(11節)

⇒ バビロン捕囚に学ぶ、暗黒に夜空に輝く救いの光を見よ!    

 さあ、今日は最後にバビロン捕囚の記事で、重要なのは列王記下17章の記事です。イスラエル民族は、残念ながら、「バビロン捕囚」「選民失格」で終わってしまう。いやそれでも、神は、残りの民を残す。イスラエルの国の使命は終わるけれども、神はアブラハムやダビデのとの約束を守り、ダビデの子孫から、キリストを送り、全人類のために救いをまっとうする。即ち、神御自身が来られ、わたしたちのために十字架にかかられ、死を打ち砕き、復活し、やがて再臨の主として臨まれる。残りの民として導かれ、神の残りの民は、主イエス御自身であり、主の救いを受ける神の民なのだ。

ああ、今日はマタイ一章の系図の内容の学びでした。アドベントの備えは神の与えてくださる「究極の平安」であります。石に綱の信仰。14:27ですね。ハレルヤ

【祈り】今日は、今年、第二のアドベントの礼拝を感謝します!先週は「神が人となられた!」という究極の「希望」をベアンテボーマン先生からの説教を頂きました。今日は新約聖書の初めの部分から、イエスキリストの誕生にあたっての備えである、旧約聖書の信仰を、全体的に、さ~っと学びました。それは主イエス様の誕生。キリストを信じると言うことはどういうことかという主題のもと、三つのことを学びました。「アブラハム」「ダビデ」「バビロン捕囚」という三つのことでした。「祝福の基となる信仰」。「死者を生かし、無から有を呼び出す信仰」。ダビデからは「わが力なる神。わたしはあなたを愛します」という信仰。そして自分の罪を悔い、砕かれた魂」。さらにはバビロン捕囚からは、「残りの民として生きる信仰」「暗黒の夜空に輝く救いの光」を見ました。主よ、わたしども魂にまことの平安を与えたまえ。われらの救い主、クリスマスの光なる主イエスの御名によって祈ります。アーメン