2023年12月31日(日)新宿西教会2023年末感謝礼拝説教「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのこと感謝せよ!」Ⅰテサロニケ5:16~22 深谷美歌子牧師

今年も最後の聖日を迎えました「光陰矢の如し」とは、若い頃はあまり思いませんでしたが、この頃は、「確かに」と思います。それでも、今年も皆様と共に、礼拝を捧げ、聖研祈禱会や早天でもみ言葉を頂き、それぞれのお分かちを頂いて、生かされてまいりました。北支区の祈り会や、讃美集会、朝禱会でも、信仰の言葉に接することができ、生かされました。神様のみ言葉は真理で、わたしたちの拠りどころですね。

 その中で、教会の神の家族がも様々な出来事に出会い、その度に祈り合って過ごしてきた一年でもありました。

深谷牧師が「一年の締めくくりだから、それに沿った箇所がいいよ」。というので、本日は1テサロニケ5章16-22節を開かせていただきました。

パウロがテサロニケに滞在したのは、三週間ほどでありました。使徒17章にそのことが書かれています。17:1 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日(約3週間ですね)にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。のでした。ところがユダヤ人たちのねたみで、暴動がおこり、そこを去らざるを得なかったのでした。それで伝えられた福音に立って兄弟姉妹たちが守られているか励ますためにテモテを遣わし3:2、 3:6 ところが今テモテが、あなたがたの所からわたしたちのもとに帰ってきて、あなたがたの信仰と愛とについて知らせ、また、あなたがたがいつもわたしたちのことを覚え、わたしたちがあなたがたに会いたく思っていると同じように、わたしたちにしきりに会いたがっているという吉報をもたらした。7 兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。のでした。そして、信仰に立って歩む生き方を書き送ったのがこのテサロニケの手紙でした。私達も信仰者として、それを聞いてまいりましょう。

【聖書箇所の概略】

16節 いつも喜んでいなさい

17節 絶えず祈りなさい。

18節 すべての事について、感謝しなさい。

19-22節 聖霊の火を消してはいけない。識別しなさい。

1)いつも喜び、すべてのことについて感謝しなさい。  

16 いつも喜んでいなさい。

18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。16、18節

常に喜ぶ、感謝する。ということは、人間では取り去ることのできない罪を、イエス様の十字架による贖いを信じて赦され、神様の命に入れられて、できることです。それがキリスト・イエスにあってという意味です。

 すべての事についてとは、当時は迫害が迫ってきている中で送られた言葉でした。そんな中でも喜べ、感謝せよと。

それほどの困難でなくとも、この恵みが良く解るまでは「どんなことにも、感謝する」ことはできない者でした。目前に起こってくる課題、病気とか、別離とか、家族の問題とか、人前で恥をかいたとか。わたしは従来、性質が、くよくよするタイプでしたから、問題が起こったときに、喜び感謝なんてできないと思いました。

しかし今は、今の課題が解決したから感謝するのではなく、どんな状況の中でも、神様の赦しの中にあり、善にして善をもって守り導いて下さる神様が解って、感謝するようになりました。

 出来事に目を注いでいたら喜べませんね。先週、聖書研究祈り会で詩篇27篇を学びました。詩 27:4 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。5 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。とありました。 同じ主題で67篇も前日早天で学びました。その時のお分かちで「家の中の課題で、子供とやりきれない思いで、旅行に行った。あるところにいた時、振り返ると子供の後ろに虹がかかっていた。それを思い出した」。と語られた方がありました。心の目を主に向けますと「わたしはあなたを贖った、あなたはわたしのものだ」とイエス様がいてくださいます。詩篇23編も23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。とあります。この主に信頼して、喜び感謝しましょう。私は課題が起った時、まず「感謝します」と声に出して言うようにしています。

2)絶えず祈る

17 絶えず祈りなさい。

常に喜び感謝するために、絶えず祈りなさいと命じられています。現状を訴え、もっともよい解決をしてくださる方を知っていることは喜びですね。

「こころの友」この教会では「バルナバ会」ですが、佐藤雅文先生の「祈祷の生涯」を少しづつ読んでいます。この書は、雅文先生が召されて16年後に出版され、小原十三司師の序文に、今日ほど神の教会は祈りに人を要している時代はないとあります。その出版からもう52年も経っていますが、イエス様がこの世を去るに当たってヨハネ 14:12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。と言い残されました。何という恵みでしょう。絶えず期待して祈って行こうではありませんか。

北九州復興教会の前任の山中日出刀先生は、信徒の方が「先生に相談したいことがあります。伺ってもよろしいですか?」とお電話があると「いいですよ」と返事をして、その方が来るまで、祈って待っていたそうです。すると相談に来た方が「もう解決しました」と言ったそうです。全ての解決は、神様の答えを求める祈りからです。

 世の人々は自分の目先の必要を求めるのが祈りだと思っています。キリスト者は、神の御心を求めるのが、祈りです。見えるところの困難は日々起こってきますが、まず神の国と神の義を求めなさい、そうすれば、他の必要は添えて与えられます。との御言葉に信頼しつつ、神様の答えを求めて祈りましょう。

またある時は叫びの祈りをしてもいいのです。射祷と言う方もあります。

マタイ8:26に、弟子たちがイエス様に従って湖に乗り出したとき、大嵐になって、沈みそうになりました。そのとき弟子たちは「主よ起きてください、わたしたちが死にそうです」と叫んでいます。時になりふり構わず「主よ助けてください」と叫ぶとき、主は起き上がって「信仰はどこにあるのか」とおっしゃりながらも「静まれ黙れ」と波を沈めてくださるのです。

喜べない、感謝できないと思うことが起った時こそ祈りましょう。

3)御霊を消してはいけない。識別せよ。   

19 御霊を消してはいけない。  20 預言を軽んじてはならない。

21 すべてのものを識別して、良いものを守り、

22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。19-22節

神様は一人一人が聖霊様に心の王座を明け渡し、喜びの中を歩むことを望んでおられます。イエス様が天に帰られる前に、「聖霊を送るから待っていなさい」と言い残されました。弱かった弟子達に聖霊が来られて満たされて、神様の命を大胆に味わって生きられるようになりました。

ところが御霊を消してはいけない。とここに書き送られています。消されることもあるのですね。預言を軽んじてはならないとありますから、示されたことを語る人と考えても良いでしょう。語られたことが正しかったのに拒絶すると御霊を消すことになるとか、落胆(信仰の反対?)、怠惰、不道徳、思い煩い、を挙げている方もあります。 

そして語られた内容が、イエス様がもたらせた福音であるか、識別せよともあります。吟味せよと訳されている聖書もあります。吟味するのも聖霊様に聞くことです。

それと、自分が聖霊に満たされると、自分の確信にもなりますが、教会が生き生きと建ち上がってていくための満たしでもあります。1コリント12章では、はっきり、その究極の目的は、それぞれが結び合わされて、神の国が教会に現れるためです。と述べています。1コリント12:7-11各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。とあります。神様が私に何を望んでおられますか?と聞いて、教会で用いられます。 

天国はあなたがたのただ中にある、とイエス様が語られました。教会でその訓練をして生かしあい、愛し合い、その他の全ての人-自分の家庭や職場、地域に仕えるようにと遣わされて行きます。世界が神の国になるために聖霊に明け渡し満たされ続けましょう。  ハレルヤ!

祈り 父なる神様、今日は信仰の勝利の歩みを、年度最後にお導き下さりありがとうございました。イエス様によっていただいた命、何があっても喜び、感謝することができる命を感謝します。常に祈って、聖霊様に聞きつつ歩みます。まだこの命を知らない人のために遣わしてください。御名によって。