2024年1月1日(月)新宿西教会2024年元旦礼拝礼拝説教「権勢によらず、能力によらず、わが霊によって!」ゼカリヤ4:6 深谷春男牧師

 権勢によらず、能力によらず、わが霊による。

  ゼカリヤ 4:6

 今年、2024年の新年の元旦を迎えました。今年は、ゼカリヤ書4:6の御言葉に励まされて歩みたいと思っております。昨年は、「主イエスを仰ぎつつ歩もう」(ヘブル12:2)と言う御言葉に励まされて歩みました。

今年は、この聖句と共に、歩みたいと思います。

今日はゼカリヤ4:6―10を学び、aらしい出発をしたいと思います。

【テキストの解説】

ゼカリヤの時代は困難な民族の復興の時期でした。紀元前586年バビロン大帝国の野蛮な仕打ちにより、イスラエル民族は滅び、精神的支柱であった神殿も壊されてしまいました。イスラエル民族の指導者たちはバビロンに捕囚として引かれてゆきました。その後、紀元前539年にバビロンは倒れて、ペルシャ王キュロスが地中海一帯を治めることになりました。538年、キュロスは解放令を出してユダヤ人に帰国を許し、神殿再建を許しました。希望に燃えたユダヤ人は約束の地であるパレスチナへ帰ってきました。しかしそこで見たのは無残にも崩壊したままであったソロモンの神殿と荒廃した世界でした。ユダヤ人は、すぐに、まず精神的支柱である神殿再建に着手します。しかし、すでに住んでいたユダヤ人と帰還したユダヤ人との摩擦、飢饉や、異邦人の妨害により再建工事はすぐに中断してしまいました。およそ18年間の空白ののち、紀元前520年にハガイとゼカリヤが預言活動を開始し、民を励まし、ついに515年の3月に神殿は完成しました。その時の大祭司はヨシュア、政治的な指導者はゼルバベルでした。

4章は新共同訳聖書では「第五の幻」と表題があります。それは「燭台と尽きない油」の幻でした。

【メッセージのポイント】                                               

  • 7 大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前に平地となる。                       

(7節a、b)      

⇒ ガレキの山に向かって叫べ!「大いなる山よ。お前は何者か!」と。                                                             

  ゼカリヤたちが捕囚となっていた異郷の地から帰ってきた時、神殿はガレキの山と化して数十年経っていました。累々たるガレキの山。その上にはちりが積り、ガレキの中には殺された人骨も埋れているままです。彼らにとって、このガレキの山は絶望的に見えたに相違ありません。しかし、このガレキを前にして、預言者ゼカリヤに神の言葉が臨みました。そらは、7節の言葉です。

 「大いなる山よ、おまえは何者か、おまえはゼルバベルの前では平らにされる。」

わたしたちの過去にも、時として、神のさばきの結果であるようなガレキの山があります。チリと灰と死臭のたちこめる過去。処分不可能に見える過去。しかし、われらの人生をくもらすこれらのガレキの山に向かって、叫ぶようにと預言がなされました。

「大いなるガレキの山よ!おまえは何者か!主の前に平地となれ!すでに主イエスは十字架の上にわれらの罪をあがない、師を打ち砕いてよみがえったのだ。新しい世界を始まったのだ!平地となれ!」と。

  • 彼は『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出すであろう」。                                     (7節cd)

⇒ 賛美しつつ土台を据えよ!

「『恵みあれ、これに恵みあれ』と呼ばわりながら、かしら石を引き出す」と記されます。これは新共同訳では「見事、見事」と訳されます。賛美しつつ、働くひとたちのかけごえです。関根正雄訳では「いやさか、いやさか」と訳しています。これは全能の主をたたえつつ、それをかけごえにして、主の宮を築いた姿を生き生きと伝えるものです。わたしどももまた、主をたたえつつ、宣教の業に励み、教会の建築のために、主の御業をなし続けるのです。   

信仰生涯の勝利の秘訣は『ハレルヤ、主よ、感謝します!』と主をたたえつつ歩むことです。つらいこともあります。心が痛む時もあります。疲れ果てて、起き上がることのできないような時もあるのです。しかし、すべてを最善に導きたもう主を信じ、全てのことをその全能の神にゆだねつつ、感謝する習慣をつける時、どんな環境も変えられてゆくのです。不満とつぶやきで地獄を作ってはなりません。神様によって救いを受けたわたしどもは、感謝と賛美の中で天国を作って行くのです。神の愛と神の命の満ちた神の国を形成してゆくのです。9節に「彼自身の手がそれを完成する」とあります。神の霊に満ちて歩んで行くと、やがて素晴らしい、完成の時が来るのです。

試練は不思議なものです。ある方が「試練は、恵みの仮面だ」と言いました。試練を通過すると、人は本当は変わってゆくのです。試練を越えて讃美する!これは神への摂理信仰に立つときにできるのだと思います。摂理のことを英語で「プロビデンス」と言いますが、ラテン語の「プロ・ビデオ(前を見る)」からきています。わたしたちは目の前の10円玉にさえぎられて、前にあるものが見えないのです。目の前の試練を越えてもっと先を見るのです。そうです神の歴史支配、不思議な神様の御計らいの世界を見るのです。そして、その恵みのお方を賛美するのです。
 ある年のホ群首都圏新年聖会で講師が語られました。

「人間の体には一日に4千個のがん細胞が発生している。笑い、感謝すると、1回で約200個のNK細胞が発生してがん細胞を食い尽くす。フラグメンチンという酵素だそうです。」これは韓国のアメリカのガン研究の最先端の教授からも同じ事を聞いたことがあります。
 「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのこと、感謝せよ!」。

これはクリスチャン人生の三面鏡です。

讃美しつつ、主のみ業の基礎を整えましょう。ハレルヤ

  • 6 万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 (6節  )

  すべては聖霊に業によることを知れ!

   ここに有名な言葉が語られます。彼らの取り組む困難な働きは、人間的な「武力(=ハイル)」にはよらない。これは政治的権力や軍隊、富などに使う言葉です。また「権力(=コーアハ)」によらない。これは人間の「能力」を指す言葉です。ここで聖書が、わたしどもに最終的に言おうとしているのは、神殿の再建(=究極的には神の民の再建、神の御旨の達成)は人間の力によるのではなく、神の霊によるということです。

  ワーシップ・ソングに

 「権勢によらず、能力によらず、神の霊によって

  この山は移らん この山は移らん

  神の霊によって」

  という讃美があります。

  わたしどもは新しい年、主の御業の前進のために、新しい歩みをしようとしています。

 この大きな戦いを始めてゆくときに、まず代々の神の民と共に、心から、信仰を持って、讃美しつつ、主のみ業を担ってまいりましょう。

「権勢によらず、能力によらず、神の霊によって

  この山は移らん この山は移らん

  神の霊によって」と大声で讃美してゆきましょう!

かつて御殿場で開催された青年宣教大会で、マイク・マッキントッシュという牧師が講師で招かれたことがありました。彼は恵みにあふれてすばらしい御用をされました。彼の証しは感動的でした。彼は、幼い時に両親が離婚し、中学を卒業すると働きに出ました。やがて、彼は悪い友人と飲み歩き、ついに若くしてアルコ-ル中毒となってしまいました。そして更に覚醒剤、麻薬に手を出し、いつも幻覚に悩む青年となってしまいました。ある時、彼は非常に強いLSDを飲んだ時に、後から誰かにピストルで撃たれ、その衝撃で、顔の半分が吹き飛んでしまったという幻覚に捕えられました。それから2年間、鏡を見ても顔が無かったと語っておりました。精神科に通い、苦しい日々が続く中で彼は教会に行くことになりました。牧師に祈って頂いた時、主の臨在に触れ、癒される経験をしました。彼は洗礼を受けてクリスチャンとなり、ついに献身して神学校に行き、今は牧師になって今世界に多くの働き人を送る神の僕となりました。彼の牧する教会は1990年代で5000~7000人の人が毎週、礼拝に集うと証しされておりました。40代なかばで大学院を卒業されたとのことでした。主は御自分の霊によって、今も働かれるのです。ハレルヤ!

 今、わたしどもは、自分の愚かさと限界を知っております。それゆえに、へりくだりつつ、神の霊に深く信頼して、信仰の歩みをいたします。聖霊なる神様に主権を明け渡してその生涯を歩む者は、必ず主の栄光を見ることになります。「初めはささやか」(10節)で、嘲笑されても、やがて主のすばらしい完成の時が来るのです。

わたしどもは今、2024年の元旦礼拝を迎えるにあたり、古えの預言者と共に、また、代々の聖徒と共に祈り、宣言しましょう。

大いなるがれきの山よ!主イエスの前に平地となれ!

「恵みあれ、これに恵みあれ」と呼ばわりながら、頭石を引き出す!

権勢によらず、能力によらず、わが霊によって!    ハレルヤ!

【祈り】 天の父なる御神!2024年の新しい年を感謝します。わたしどもは、人間の力の限界を体験し、あなた御自身をより頼むべきことを学んでまいりました。古えの預言者と共に、また、代々の聖徒と共に祈ります。大いなるがれきの山よ!主イエスの前に平地となれ!「恵みあれ、これに恵みあれ」と呼ばわりながら、かしら石を引き出すものとなさしめ給え!実に 御業は「権勢によらず、能力によらず、わが霊によって!主の聖名によって祈ります。アーメン