2024年1月7日(日)新宿西教会2024主日主日説教「汝の信仰、汝を救へり!」ヨハネ福音書3:16 深谷春男牧師

この1年初めの主日礼拝で何を語りましょうか?と祈っていたら、この言葉が、心に浮かびました。「あなたの信仰があなたを救った。」 

昨年の暮れに、ある姉妹と話しておりましたら、「わたしの信仰は、あまり深くはありませんが、マルコ5章にある言葉、長血を癒やされた女性へのイエス様の言葉「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」(マルコ5:34)わたしの信仰は、この言葉につきます。」ハレルヤ

愛する、兄弟姉妹!今朝の御言葉ははっきりしています。

「あなたの信仰があなたを救った!」。アーメン

それじゃあ、聖書で言う「信仰」とは何か?

旧約聖書は、ヨブ記19:25 イザヤ53章。

新約聖書は、ロマ3:21~26。ガラテヤ2:16。

これはいつも語っている。

そうだ!この日は、聖書で言う、小聖書と呼ばれる、ヨハネ3:16を読んでみよう。ここに全てがある。ハレルヤ!

【 今日の聖書箇所の概説 】

 このヨハネ3章16節は宗教改革者マルチン・ルッターによれば「小福音書」。これは聖書66巻の要約。福音の最も短い宣言。人間の語った言葉の中で最も尊い言葉。ここには黒崎幸吉先生によれば、7つの聖書の中心課題がつまっているというのです。             

①救いの源は「神」、

②救い主は「神の独り子(=イエスキリスト)」

③救いの対象は罪深い「世」、

④救いの方法は独り子を「与える(=十字架のあがない)」こと、

⑤救いの動機は「愛」、

  • 救われるためにすべきことは彼(=イエス)を「信じる」こと
  • 信じた結果は「永遠の命」を得ること。 

【メッセージのポイント】

  • 16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (3:16)

⇒ 神は世(=あなた)を愛された。

 16節はギリシャ語の言語では3つに分かれています。その第一は「愛された、神は、世を」という語です。世とは神の創造された世界の意味です。特に被造物の中の人間の世界をいう言葉です。神は人間とその住む世界を深く愛された。父母が子供を慈しむように、包み込む、限りないやさしさをもって愛された。この「世」という所に、名前を当てると良いと言われますね。神は「深谷春男」を愛されたと言う意味です。

 最近は年を取ったせいもあってか、涙もろくなってますね。数年前、結婚式で田舎に帰り、久しぶりにあった兄弟達と夜おそくまで、幼い頃の思出や、すでにこの世を去った父や長兄の思い出などを話したことがありました。貧しい中で自分たちを精一杯育ててくれた両親や一緒に育った兄弟の愛を深く感じました。翌日、一番早い新幹線で帰ったが注がれた愛の恵みに涙が流れてとまらなかったことがありました。    

 最近は年を取ったせいもあってか、静かに祈る時に、神様の愛が深く深く心に迫る時があります。聖書の語る救いは、この「なつかしい父母の愛」を思い起させる、否、この父母の愛を更に浄化した「神の愛」を知ることに始まるのですね。

「君は愛されるため生まれた」という讃美があります。66歳の誕生日の時に与えられた恵みの賛美でもありました。「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4。「わたしは限りなき愛をもて、あなたを愛している」エレミヤ31:3。驚くばかりの神の愛!これが聖書の語るメッセージです。アガペーの愛です。

  • 16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (3:16)

⇒ 神の愛(アガペー)、その第一は、罪の赦しです。    

 神の愛(アガペー)は限りない愛です。それは人間の理解を越えた深い、真実な愛です。それは神の独り子イエスキリストをくださるほどの愛、すなわち、わたしどもを罪から立ち帰らせるためにご自身の独り子、主イエスキリストを十字架にかけられたほどの愛です。  

 自分の子供は可愛いものです。自分の分身でもあり、小さい頃から心の交流があるのでいとおしさとなつかしさとが入り交じった感情が伴うものです。神は反逆する人間を愛してご自身の独り子を犠牲にされたのです。ここに神の深みと人生のすべての問題の解決があります。十字架こそ神の知恵と愛の結晶なのです。

数年前のケズィック・コンベンション東京大会で講師のカンビル先生がこのような話をされました。「わたしたちの生涯は主イエス様の十字架の血潮で贖われた生涯です。主の尊い御血潮をないがしろにしてはいけません。あるお母様のことを聞きました。このお母様は、息子を交通事故で亡くされました。事故のことを聞いて息子さんの事故現場に駆けつけました。その時はまだ息子さんは車の下で命があったそうです。でもこの息子さんの血が道路に溜まって、血だまりになっていました。そしてついに息子さんは亡くなりました。やがて事故現場の整理がされて通行が元に戻ると息子さんの血だまりだったところを多くの車が走り去りました。お母さんは思わず「わたしの息子の血、わたしの息子の血を粗末にしないで~!」と叫んだというのです。

「息子の血を粗末にしないで下さい!」これは天の父である神様の心からの叫びでもあります。           

 以前、吉川で牧会していたとき、転入会された韓国の姉妹の証しが載っていました。それを読みながら、感動を新たにさせられました。プロポーズをされた時に、結婚の条件を二つ出されたというのです。

  • 一緒にまことの神、主への礼拝を守ること。
  • 頂いたお給料の中から、収入の十分の一を捧げる。

 K兄はそれをうけいれて新しい歩みに入ったと証しされております。

主イエスの血潮を粗末にせず、わたしのために流された血潮を、毎週礼拝の中で覚えつつ、特に聖餐式のある時はなおさらですが、主イエスの贖いの血潮に、感謝と恐れとをもって歩みたいものです。

  • 16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (3:16)

⇒ 神の愛(アガペー)、その二つ目は、永遠の命です。              

 ここには「すべて彼(イエス)を信じる者の永遠の命を得るために」とあります。主イエスを信じる者には「永遠の命」が与えられる。永遠の命とは、時間的な長さのみならず、絶対的な命、死をも乗り越えた命を意味する言葉です。主イエスを信じるものはこの新しい命、神の命を内に持ち、この命に生き始めるのです。「永遠の命の泉」を宿すのです。

しばらく前に、祈祷会で詩篇16篇を読みました。この詩篇、黄金で書きつけるべき、ミクタムの歌と言われますが、そこには、永遠の命なる神の恩寵経験があまりにも鮮やかで、「主の慈しみに生きる者は墓穴 を見ない!」と歌います。神の命の中を歩む者にとって、「死」は実に恵みの現実と合わないのです。聖書の信仰は、永遠の命の確信と喜悦充満の世界です。

ヨハネ6:51にも次のような言葉があります。 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 これは聖餐式の主題でもあります。今日は説教後に、千沙子牧師による初めての聖餐の司式があります。共に恵みに与ると共に、罪の贖いと永遠の命を深く覚えましょう。6:47にも「信じる者は永遠の命を得ている」とあります。「信じる者には永遠の命がある!」。

わたしどもの先輩たちを見ると永遠の命を得ている方々の証しです。

わたしの尊敬する伝道者、藤井武先生は、最後などは、布団の上に寝かされていたが、走るような姿だったと矢内原先生は書いています。

三室泰平兄は池袋の病院にお見舞いに行った時に、もう声も出ませんでしたが、天を指差し、「天国でまたお会いしましょう!」と、地上の最後の挨拶とされました。

小松川教会の飯寄ます姉の証しは、高山松枝牧師夫人の召天の証しでした。布団の上に正座して、花を一輪持たれ、婦人会の姉妹方に最後の挨拶をされました。「わたしは近いうちに天に召されます。皆さん。しっかり信仰を持って、最後まで歩みましょう。どのような時代になっても、最後まで信仰を全うして主イエス様の前に出て、善かつ忠なる僕、よくやったと言われるお褒めの言葉を頂くのですよ」。

【祈祷】 天の御父!2024年初主日礼拝感謝します。この朝、「汝の信仰、汝を救へり」の御言葉を感謝します。ヨハネ3:16の信仰に立たせてください。あなたの愛が良く分かりますように。その中でも、イエス様の流された十字架の血潮の、赦しの福音を深く理解できますように。また死をも越えた復活の命、永遠の命の「確信」を与えて下さい。能登半島に地震に被災者を守って下さい。ウクライナ、パレスチナの戦火の中にある人々に救いと命を!主の御名によって祈ります。アーメン