2024年1月14日(日)新宿西教会主日礼拝説教「見よ、わたしは参ります。」詩篇40篇 深谷春男牧師

今年は、元旦から震度7の能登半島地震と津波の悲劇。日航機と海上保安庁の飛行機が衝突、炎上。この地震で亡くなった方が220名を越えました。これから自然災害や国際的な関係も厳しさを増す中で、心の帯を引き締められました。しかしこの一年の初め、元旦礼拝は「権勢によらず、能力によらず、わが霊による。」(ゼカリヤ4:6)との御言葉。2日のホーリネスの群の首都圏新年聖会では「見よ、わたしは新しい事をする。その萌しは見えはじめた」(イザヤ43:19)。対面で開かれたのは4年ぶりで、吉川の会堂に大勢のなつかしい方々が集いました。4日は教会の聖研祈祷会。5日はお茶の水のTPCで説教「ホップ、ステップ、ジャンプ」(3つの出エジプト)、7日(日)の礼拝では「汝の信仰、汝を救えり」、9日断食祈祷聖会では、イザヤ6章から「イザヤの召命と残りの者」と励ましを受けています。勝利は主にあり!

【 詩篇第40篇の概略と区分 】

  この40篇の前にある詩篇38篇は、表題が「記念として」とあり、バックストン先生は「罪の記念」としていつも読むべき詩篇と解説されます。

バテシバ事件のもたらした罪の報酬は、恐ろしいほどの悲惨な結果として現れました。罪を犯した本人の恐ろしい内的苦悶のみならず、殺人や偽証の罪に及び、さらには、愛する者の死、家庭内の恐るべき憎しみと殺害事件、そして最後はアブサロムの反乱につながる内乱にまで発展し、イスラエルの国は、二分されて殺し合い、多くの人々が犠牲となりました。その苦しみを驚くべき克明さで記した詩篇の38篇は、決して忘れることのない戒めとして「罪の記念」として残されたのだ、バックストン師はこう語りました。そして、詩篇39篇はスキップして、詩篇40篇を解釈してこのように語ります。「本篇は38篇に反して、救いの歌である」と。

バックストン先生によればこの詩篇全体は以下のようになります。

 1―   3節  救いの7つの段階           

       6-  9節 献身の6つの段階

    10節 伝えるべき救いの内容

11―  17節 祈祷   

 ここにはわたしたちの「勝利の賛歌」とも言うべき内容が記されます!

【メッセージのポイント】           

1)聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

1 わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。

主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。

2 主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、

わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。

3 主は新しい歌をわたしの口に授け、

われらの神にささげるさんびの歌を

わたしの口に授けられた。

多くの人はこれを見て恐れ、

かつ主に信頼するであろう。(1~3節)

  ⇒ 「聖書の語る 救いの7つの段階!」 

バックストン先生の解説では「詩篇38篇において「罪」が表れ、詩篇40篇において「救い」が表れる。38篇にて「滅びの穴」また「泥の沼」とはいかなるものかが示され、40篇のこの7つの段階によっていかにして救い上げられるかを知ることが出来る。」

①神を待ち望む(1節)  - わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。

②祈りは答えられる(1節)- わたしの叫びを聞かれた。

③救われる(2節) -主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて

④確信が与えられて(2節)- わたしの足を岩の上におき、

⑤歩む力を授けられる(2節)-わたしの歩みをたしかにされた。

⑥神を賛美する(3節) -主は新しい歌をわたしの口に授け

⑦他の人々を導く(3節)-多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼する

バックストン先生の上記の解説によれば、「救い」ということを、7つの段階ということで示され、救いとは38篇で語られたような、罪、(滅びの穴、泥の沼)からの解放であることが明確に示されていますね。

マルチンルターがアウグスチヌス修道院で、毎日、詩篇を50篇づつ読むのが日課だったと言いますが、詩篇とロマ書から、宗教改革が起こったということを改めて、思い出されました。

③の「救い」の具体的な内容は、3)の9,10節の解説で詳細が語られます。新約までの内容を考えるならば、それは十字架・復活・再臨の「罪の赦しと永遠の命」と表現できる内容ですね。ハレルヤ

2)4 主をおのが頼みとする人、

高ぶる者にたよらず、

偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。

5 わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、

われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。

わたしはこれを語り述べようとしても

多くて数えることはできない。

6 あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。

あなたはわたしの耳を開かれた。

あなたは燔祭と罪祭とを求められない。

7 その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。

書の巻に、わたしのためにしるされています。

8 わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。

あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。

9 わたしは大いなる集会で、救についての喜びのおとずれを告げ示しました。

見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。

主よ、あなたはこれをご存じです。      (4~9節)

⇒ 「聖書の語る 献身の6つの段階!」

    再びバックストン先生の解説。「6節から9節までは、へブル書に引照されている言葉で、同書によって、これは主イエスの御言葉であることが解る(へブル10:5~7参照)。しかしここで学ぶべきは、われらは主イエスに従って人を救おうと願うならば、われらもまたこのようにいい、主が踏まれた道を歩み行かねばなりません。」そして6つの段階が示されます。

①心の耳を開かれる(6節)  - あなたはわたしの耳を開かれた。

②生涯を神に捧げる(7節)  - 見よ、わたしはまいります。

主イエスの御降誕は、父なる神への献身の結果。③神の御言葉に服従(7節)- 書の巻にわたしのためにしるされています             

御言葉に服従する者は、聖書にかなう生涯を送る④楽しんで神の働きをなす(8節-わたしはみこころを行うことを喜びます 

⑤御言葉を味わう。(8節)-あなたのおきてはわたしの心のうちにあります⑥忠実に救いを宣べ伝える(9,10節)-わたしは大いなる集会で

救についての喜びのおとずれを告げ示しました

 バックストン先生は、救いの道は献身の道へと繋がっていることを示しました。「以上のことは献身の道である。献身の6つの段階である。この詩篇の始めは、救いの段階である、次は献身の段階である。」

3)10 わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、

あなたのまことと救とを告げ示しました。

わたしはあなたのいつくしみとまこととを

  ⇒「聖書の語る 救いの内容」

この10節には、救われ、献身したものが語るべき救いの内容が記されます。①神の義  -わたしはあなたの救(原語は「義=ツェデク」)を

      神が罪人を義とされる。ロマ3:21~26 福音の中心。

②神の真実 - あなたのまこと(エムナー=アーメンの原義)、

契約に真実なこと、神はダビデへの契約を成就された

③神の救い - あなたの救い(イシュア=神の救済=主イエスの名)。

④神の慈しみ- あなたのいつくしみ(ヘセド=神の契約愛)

⑤神の真理 -あなたのまこと(エメス=神の真実、巌のような世界の支え)

4)11 主よ、あなたのあわれみをわたしに惜しまず、

あなたのいつくしみとまこととをもって常にわたしをお守りください。

12 数えがたい災がわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、

物見ることができないまでになりました。

それはわたしの頭の毛よりも多く、

わたしの心は消えうせるばかりになりました。

13 主よ、みこころならばわたしをお救いください。

主よ、すみやかにわたしをお助けください。

 ・・・ 中略・・・

16 しかし、すべてあなたを尋ね求める者は

あなたによって喜び楽しむように。

あなたの救を愛する者は常に「主は大いなるかな」ととなえるように。

17 わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。

あなたはわが助け、わが救主です。

わが神よ、ためらわないでください。     (11~17節)

⇒ 「最後は、聖書の語る 熱き祈り!」

今、この詩篇40篇は、熱き祈りをもって締めくくりとしました。詩篇の38篇に示されたような罪の力に敗北する人間が語られた後に、詩篇40篇のように、この罪の力からの救いを求めての熱き信仰の告白がなされます。

神の救いの7段階を覚えよ。そして、献身の6段階を覚えよ。救いの証し人として語るべき内容を覚えよ。いかなる試練の中にあっても、神の顧みを覚えて、「わが助け、わが救い主、わが神よ!」と叫びつつ、閉じられます。

【 祈り 】父なる神、あなたの前に出る時に、「記念として」詩編38篇を覚える者とし、更にあなたの救いである詩篇40篇を一緒に必ず覚える者としてください。その罪の恐ろしさと共に、神の救いの恵みをはらわたに刻んでください。あなたの義、あなたの真実、あなたの救い、あなたの慈しみ、あなたの真理、その具現者なる主イエスとその究極の姿なる主の十字架と復活と再臨を覚え、わが助け、わが救い、わが神!」と祈る者としてください。わたしどもの救い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン!