2024年2月4日(日)新宿西教会主日礼拝説教「四っつの試練、二つの脱出」詩篇107篇 深谷春男牧師

 今日は2月4日です。暦の上では昨日が節分で今日はもう春となりました。2月は一年中で一番寒さの厳しい月ですが、温かな春の日差しがもう目の前まで来ていることを知るとき、わたしたちは、現実の厳しい寒さや試練と思われるような困難を乗り越えることができます。感謝!

【 聖書箇所の概略 】  

 詩篇105,106,107篇は「主に感謝せよ」との呼びかけで始まる感謝(ヘブル語:ホドゥ ラドナイ)詩編です。族長以来の救済史(105篇)、その間の罪の告白と赦罪(106篇)、刑罰としての患難からの回復(107篇)という一連の主題的まとまりを持つ三部作です。

松田明三郎先生は次のように解説しています。

「本詩は、(詩篇の)第5巻の冒頭を飾る詩であって、全詩篇中にても卓越するものの一つである。憐憫ある主に対する感謝の精神を呼び起こす目的をもって作られたものであるが、前の二つの詩篇105,106篇とは著しく相違している。これらはイスラエル初期の歴史的事件にしばしば言及しているのに反し、本篇においては一度もイスラエルの名を述べず、「人の子」(8、15、21、31節)になし給える主の奇しき御業について語る。もちろん詩人は半意識的には、バビロニア俘囚のことを歌っているが(10~16節)、彼は決して歴史的な事件については明記していない。」

 この詩篇は以下のように区分されています。

1~ 3節  序 言  主の贖いと慈しみに、感謝せよ。

4~32節  四種類の救いの業への感謝  

  • (4~9節)砂漠に迷う旅人の救い
  • (10~16節)牢獄からの解放   
  • (17~22節)病気からの回復 
  • (23~32節)海上における遭難からの救助

33~43節  補遺   世界を支配する神の摂理

 この詩篇には特徴的な「リフレイン(反復句)」が2つ使用され、そのリフレインが、4回づつ組み込まれて、この詩篇の中心主題を形成しています。それは6節と8節にまず現れてきます。

6 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、

主は彼らをその悩みから助け出し、(6、13、19、28節)

8 どうか、彼らが主のいつくしみと、

人の子らになされたくすしきみわざとのために、

主に感謝するように。       (8、15、21、31節)

【メッセージのポイント】

1)1 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、

そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と、

 2 主にあがなわれた者は言え。

主は彼らを悩みからあがない、

 3 もろもろの国から、

東、西、北、南から彼らを集められた。(1~3節)

  ⇒ 感謝せよ。神の贖いと愛(=いつくしみ)を!

 この最初の言葉の中に、詩篇第五巻の冒頭を語るにふさわしい最高の聖句が記されていると思います。

 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、

そのいつくしみはとこしえに絶えることがない!」(1節)

  まずこの詩人は、神の歴史を導く恵みの御手を見上げて感謝に満たされ、「主に感謝せよ!」と叫びます。それは、神の最善のゆえに、と続きます。そして、神の慈しみは永遠だと語ります。この詩篇では、「神の慈しみ(ヘセド)」がまず賛美され、締めくくりに神の慈しみが語られます。それから、「主に贖われた人々」はこの神の慈しみに深く感謝するのだと宣言されます。2節には「贖い」が2回使用されます。この詩で語られる最初の主題は「神の慈しみと贖いを感謝せよ!」ということです。この詩篇は、イザヤ書40~66章とヨブ記の影響を強く受けており、言葉においても、内容についても、「神の慈しみ」と「神の贖い」を歌っています。

 わたしも、66歳の誕生日に、わたしの生涯のメッセージとも言うべき「贖い、愛、臨在」というイザヤ書43:1~5からの説教を頂いたことがありました。そして、新宿西教会に招聘の話が出ていた2017年の11月にそこから説教をさせて頂きました。

「恐れるなわたしはあなたを贖った!」(イザヤ43:1)

「恐れるな。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。」(イザヤ43:5)というメッセージを告げました。これ以上のすばらしい「神の愛と贖いと臨在」のメッセージはありませんね。ハレルヤ!

 7年位前に、福井市の如鷲教会の特別伝道会で奉仕したことがありました。主任牧師は当時31歳の亀井拓也先生。元気いっぱいでした。本当に楽しい、勇気を与えられる教会でした。土曜日の夜6時からのオープンチャーチでした。ゴスペルの賛美がすばらしかった。そうめんバイキングの夕食もいただきました。

日曜日の特別伝道会は、イザヤ書53章からの「運命の逆転!」でした。わたしも初めてのイザヤ53章の聖書からの伝道説教でしたが、みなさん、楽しく聞いてくださいました。礼拝後、すぐに近くの病院での病床洗礼。86歳のおじいちゃんでした。… 帰ってから役員会で「ホーリネスの群の歴史と信仰」の講演。まー、忙しい中でも、「走っても疲れず、歩いても疲れない!」の聖書箇所でしたからね~。本田弘慈先生のお孫さんに福井駅まで車で送っていただきました。

聖書の中心は、イザヤ書53章。「神の贖罪の慈しみ!」です。

内村鑑三はこの十字架の贖いの業への信仰を告白し続けた人です。

 「終(つい)に彼を捨てる」          内村鑑三 

国のためにキリストを信じたる者は終(つい)に彼を捨てる。

社会人類のためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

教勢拡張を思い立ちてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

キリストの人格にあこがれてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

美(よ)き思想を得んとてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

患難苦痛を慰められんためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

 されども、おのが罪を示され、その苦痛に耐えずして、「ああわれ、悩める人なるかな」の声を発し、キリストの十字架において神の前に義とせらるるの唯一の道を発見し、その喜びに耐えずして彼を信じた者は、かかる者は、よし宇宙は消え失(う)するとも、永遠より永遠まで彼を捨てない。  (1916年3月『聖書の研究』、著作集第12巻)

2)6 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、

主は彼らをその悩みから助け出し、(6、13、19、28節)

  ⇒苦難の中で祈れ!主は救い給う!

 この詩篇の主題のひとつは、「祈れ!」ということです。イスラエルの長い歴史を通じて、この詩人のメッセージは、「祈れ!」ということです。人生には苦難が多い。人生には様々な試練がある。苦難がある。失意の時、落ち込んでしまうような時もある。絶望するような時だってある。4種類の苦難の体験が語られています。

  • (4~9節)砂漠にて道を見失う試練。砂漠で迷ったらもう生きられない。イスラエルの民は、バビロン捕囚からの帰還の時、火の中、水の中を通った。わたしは青春時代。道が見えなくなった苦悩!
  • (10~16節)投獄の苦難。時の悪しき権力に捕らえられて牢獄に入れられた時の絶望的恐怖。それは死を意味していた。しかし主は奇跡的に、その牢獄から助け出された。原田要蔵氏の証しなど。       
  • (17~22節)病気という試練。病気やけがに捕らえられる時、何とわたしたちは弱さと限界を感じる。もうだめだ!と感じる。私の場合、55歳の時。美歌子師の場合。!
  • (23~32節)海上における遭難。海の荒波は恐ろしい悪魔的な力として聖書には登場します。わたしも思い出してみますと、5歳の頃に仙台の伯父さんの家に行った時に船に乗り沖へ出た。波がドド~ンと来た時に「かあちゃん、うちへかえろう!」と叫びました。これはわたしの原体験。ジョン・ニュートンの回心は

3)8どうか、彼らが主のいつくしみと、

人の子らになされたくすしきみわざとのために、

主に感謝するように。 (8、15、21、31節)

⇒ 主は慈しみ深く、奇跡をなされる!

 主は「驚くべき御業をなされる」ということです。「驚くべき御業」とは、ヘブル語で「ニフレ オーテカー」といいます。「二歩で王手か」と何度か聞こえました。わたしは将棋をあまり知りませんが、「歩」のような何の取柄もないようなわたしどもが、敵の王サタンに打ち勝つ手がある。それはまず、神御自身の贖いの業を知り、信仰をもって答えること。そして御霊によって祈り続けることですね。ハレルヤ

【祈祷】

今朝は「四っつの試練・二つの脱出」を学びました。われらの人生には苦難や試練はつきものです。聖書の語る脱出の決め手は、①「神の贖いの愛への信仰!」。②「聖霊様の助けの中に祈る事」を学びました。どのような苦難や試練の中でも、「十字架の贖いヘの熱き信仰」と「聖霊に満たされた祈り」によって、奇跡的勝利を与え給え。贖いの主、主イエスの御名によって、祈ります。アーメン