2024年2月18日(日)新宿西教会主日礼拝説教「夢を見る人ヨセフー摂理と臨在ー」創世記37:1~11 深谷春男牧師

 

《新宿西礼拝説教》「夢を見る人ヨセフ」2024.2.18

 創世記37:1-11    ― 神の摂理と臨在による勝利 ― 牧師 深谷春男  

今日は久しぶりにヘブル人への手紙11章の信仰者列伝に帰ります。ヨセフ物語です。ヘブル書では短く、11:22で、ヨセフの臨終のことだけが語られ、自分の遺骨についての指示だけが記されております。

【今日のテキストの概略】   

創世記37章から50章までは「ヨセフ物語」は、イスラエル12部族の先祖の物語の中の一部です。でも、ヨセフ物語は37章から50章まで続く完結した小説のような内容を持っています。

ヨセフの物語を読むと、非常にはっきりした内容で、読む人に大きな慰めと信仰のすばらしさ、特に、試練の中にある人に夢と希望を与えますね。人間の目の前の試練、悲しみ、失望や、悪意や、誤解で苦しんでいる人は、ヨセフ物語の主題である、神の歴史支配=「摂理」と呼びますね、この神の摂理の深さに感動します。また、ヨセフが奴隷に売られた絶望的な劣悪な現実にかかわらず、神が共にいて下さるとの信仰、これは「臨在の信仰」ですね。この神共にいますという、「インマヌエルの信仰」「臨在の信仰」の希望と勝利のメッセージをわたしたちの生涯にも与えてくださいます。

旧約聖書新約聖書を通して一貫して語られるのは、この「摂理と臨在の信

仰」ではないかと導かれるのではないか、と思ってしまいます。

ヨセフのお父さんのヤコブには4人奥さんがいました。まとめると次のようになります。(29章~30章に、この辺のいきさつが記されます)

レアの元に生まれたのはルベン、シメオン、レビ、ユダの4人  計4人

ラケルの仕え女ビルハから生まれたのは ダンとナフタリの2人 計6人

続いてレアの仕え女 ジルパから生まれたガドとアシェルの2人 計8人

さらにレアから生まれたのが、イッサカルとゼブルンの2人   計10人

そしてレアが産んだに女の子がディナだった。                (女性1人)

ついにそして、ラケルの所から、ヨセフが生まれた。      計11人

 更に1人、ベニヤミンが、うまれました。          計12人

【メッセージのポイント】

  • 2 ヤコブの子孫は次のとおりである。ヨセフは十七歳の時、兄弟たちと共に羊の群れを飼っていた。彼はまだ子供で、父の妻たちビルハとジル

パとの子らと共にいたが、ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。(2節)

⇒ 17歳のヨセフ。その霊的な成長。

ヨセフ物語は、この37章から始まりますが、2節で17歳のヨセフの話から始まります。この説教の準備のために、久しぶりにマイヤー先生のヨセフ物語「奴隷から宰相へ」を読んで、深い感銘を受けました。1847年、ロンドン生まれのすばらしい説教者の聖書人物伝は、独特な語りで、ヤコブの息子、ヤコブの最愛の妻ラケルに生まれた、この12人の兄弟の中でも、容姿においても、知能指数においても、品性においても、抜群に秀でていた、ヨセフの生涯を語り始めています。17歳から彼の生涯は始まりますが、FBマイヤー先生は、第一章で「少年期の人格形成に影響を与えた背景」という題で興味深い霊的な洞察を描いています。今日はその事から入って見て行きましょう。

「ヨセフの第一の経験は、この物語が始める17年前に、ヤコブのお気に入りの妻ラケルに一人の赤ん坊が生まれた。当時ヤコブはアブラハムがそだったハランの町に、おじラバンの羊を飼っていた。ラケルから生まれた子供は、初めから並々ならぬ将来性をにおわせて、彼はほかの子供とは際だった対称を見せていた。テント住まいのジプシーの血筋とは違い、現代の人気アイドルのような存在で彼は育った。

第二は、幼児の頃に彼は、お母さんのラクダに乗せられ、大変なスピードで、ユーフラテス川岸から、パレスチナのギレアデの緑の大平原に移住を余儀なくされた。恐ろしい顔のエサウおじさんが400人のならず者連れておそってくるというので、テント内はパニック状況!皆、青ざめて、恐怖におののいた。翌日の朝早くお父さんが腰の骨を痛めて足を引きずりながら帰ってきたが、その顔は、王侯貴族のような輝きを放ったいるのを体験して驚いた。

第三は、さらに数ヶ月後には、怒り狂ったシケムの偶像崇拝者の人々が、武器を持って自分たちを殺そうと襲ってきて、「お父さんのはしごの夢を見たベテル」まで逃げて、家族一同が、涙ながらの信仰の悔い改めをした霊的な体験などを通して、彼は幼いながら、「この神様はとこしえにわたしの神、この御方がわたしを導くお方」という信仰を持ったに違いない。と語っています。

更に四番目には、愛する3人の方の死に出会って、人生の厳粛な深い悲しみを味わう。一人は年老いた乳母デボラの死。それから自分を愛し、いつもやさしく導いてくれたお母さんのラケルの死。これは彼の生涯に大きな影響を与えたであろう。そして、おじいちゃんのイサクの死。これらの死という厳粛な人間の現実を通して、彼の魂は、霊的な世界に目が開かれて行ったと、マイヤー先生は語ります。

信仰の厚い友人を失い、一つの器から他の器へと移し替えられ、家庭にあっても孤独を経験している。わたしはそのような人にあえて問うてみたい。あなたは神との契約に入ったであろうか。あなたは神を自分の神として認めたであろうか?と。あなたの手を「ヤコブの力強い神」の御手の中に差し入れたであろうか?若い兄弟姉妹。「キリストを選びなさい」。彼を選ぶことによって、命と祝福と、天国を選びなさい。また、一旦彼を選んだのなら、彼にくっついて離れることなく、あなたの存在の細き根を、神との交わりという隠れた泉の中に深く降ろしなさい。

2)4 兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。5 ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らはますます彼を憎んだ。(4,5節)

⇒ 裾の長い晴れ着     偏愛・高ぶり・憎悪・殺意

この言葉は、ヨセフ物語を説くところの鍵の一つです。「裾の長い晴れ着」とは「長着(ケトネト)」と「縞模様(ハパシーム)」という言葉が合わさった言葉で、特別な晴れ着であったそうです。70人訳聖書では「多くの色のついた着物」と訳されています。それは王女タマルなどが着ていた貴族のような人の着る着物(サムエル下13:18)でした。

ヨセフは、お父さんに頼まれて、お兄さんたちの羊を飼っているところに弁当を持って行きました。ヤコブ一族が当時住んでいたヘブロンから、お兄さんたちの働いていたシケムまでは80キロもあったそうです。ヨセフはお父さんの使いとして食料を運んでゆきました。遠くからでも、彼の着ていた晴れやかな縞模様の入った長着は目立って、それが遠くから分かったようです。

お兄さんたちは筒そでの粗末なものを着て、埃にまみれて働いておりましたが、当時17歳のヨセフは、お父さんの偏愛をいいことに、2節に「まだ若く」とありますが、本当に今流行のちゃらちゃらした衣装を着、ある解説ですと化粧のようなものをつけて、どうしようもないドラ息子風の男の子だったようです。頭の良い子供ではあったのですが、お兄さんたちの悪口を言いふらして、お兄さんたちは、彼を4節には「穏やかに話すことができなかった」という状態でした。穏やかにとは、シャロームの状態では話せなかったというのです。 

ヨセフが一人でやって来るのを見て、お兄さんたちは18節には「まだ、近づいてこないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらんだ」と記されます。あの放蕩息子を見て、遠く離れたところから駆け寄った天のお父様とは対称的な、憎しみで固まった兄弟間のどす黒い現実が表現されています。

殺すのは行き過ぎということで、穴に投げ入れようということでお兄さんたちの話はまとまります。兄たちのその時の行動は、まずヨセフから、「裾の長い晴れ着」を、はぎ取ったと記されます。憎しみの対象は、父親の偏愛でした。その象徴は「裾の長い晴れ着」だったのです。ヨセフを裸にして、穴に投げ入れました。そして、ヨセフの持ってきた弁当を皆で、食べていたのです。

 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフをら引

き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに

連れて行ってしまいました。ふつう奴隷は銀貨30枚でしたが、ヨセフはまだ

少年だったので、銀貨20枚だったのです。

最後の手段「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に

着物を浸しました。彼らはそれから、帰って行き、あの「裾の長い晴れ着」を父のもとへ送り届け、『これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください』と言わせた。」と報告されています。

偏愛、高ぶり、憎悪、殺意・・・・。ヤコブの家庭には暗い、重い悲劇が隠されることになりました。

3)33 父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。

ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」34 ヤコブは自分の衣を引き裂

き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。35 息子や娘た

ちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。

「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父は

こう言って、ヨセフのために泣いた。(33-35節) 

⇒ 泣き崩れる父ヤコブの「愛」。それは「摂理と臨在!」

ここには息子のヨセフのために泣くヤコブの姿が出てきます。33節と35節に、「父」は、「父」はと二回繰り返されています。「お父さんヤコブ」の姿が強調されています。また、33節には「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ」と「あの子の着物」が強調されます。34節では「ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、

幾日もその子のために嘆き悲しんだ」と「その子」のために苦しむ父の姿が記されます。35節では「息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。『ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。』父はこう言って、ヨセフのために泣いた。」と記されています。子供のために嘆き悲しむ、天のお父様の姿。神様の愛、それがヨセフの生涯では「摂理と臨在」として描かれます.ハレルヤ

【祈祷】 天の御父。今日は愛する兄弟姉妹と共にヨセフ物語を読みました。人生には人間の罪や弱さのために失敗や悲しみが多くあります。しかし、神と共なる人生、あなたの摂理のみ手と臨在の恵みに導かれる生涯は、それらに対して、勝利することができると学びました。あせらず、失望せず、忍耐と、感謝と、希望に満ちて、全能の父であるあなたに信仰のまなざしを高く上げることのできるように導いてください。ヨセフの苦しみや誘惑の時に、人を憎んだり、仕返しをしたりするのでなく、赦しとアガペーの愛をもって、生きる「臨在と摂理の信仰」へとわたしたちを導いてください。御名によって。アーメン