2024年2月25日(日)新宿西教会主日礼拝説教「クリスチャンと呼ばれよう」使徒行伝11:19~26 深谷美歌子牧師

前回までの使徒行伝の個所は、コルネリオというローマの百人隊長とその家族、家来たちも集まっていたところに、ペテロが遣わされて、イエス様の福音の言葉を語ったところでした。その時、聖霊がくだり、異邦人も神様の救いの対象だったことを、同行した人々も目撃しました。

それで、エルサレムのユダヤ人クリスチャンたちにもそのことを証言し、エルサレム教会は「それでは神は異邦人にも命に至る悔い改めをお与え担ったのだ」と認められたところを学びました。

 本日開いた個所は、同じ11章の18節のすぐ次の節ですが、全く舞台が変わります。コルネリオが救われたところは、カイザリアでした。19節からはアンテオケでの福音の進展が記されているところです。

この書が知らせたいことは、どのように福音が世界に伝えられていったか、ということでしょう。本日はそれを見てまいりましょう。

 【聖書箇所の概説】

19-21節 福音の広まりが、アンテオケでどのように伝えられたか。

22-24節 アンテオケにエルサレム教会からバルナバが遣わされたこと。

25-26節 バルナバが、サウロと共に教会の集まりで教え、弟子がクリスチャンと呼ばれるようになった。

【メッセージのポイント】

1)ギリシャ人にも主イエスを信じる者が起こされた

19さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 20ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。21そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった 19-21節

 ペテロが、カイザリヤに遣わされて福音を語り、ローマ人コルネリオが救われました。異邦人にも神様は救いをお与えになることが御心である、とエルサレムで受け入れられたころ、ずっと北のアンテオケでもギリシャ人がイエス様を受け入れるということが起こっていました。

 そこでの伝わり方は、ステパノの殉教後の、迫害を逃れて散っていった人々によってでした。これは難民が福音を伝えたできごとでした。今も世界中に飢餓難民や、戦争難民、天災難民があります。日本でも1月1日に熊本地震があり、今も避難生活が続けられています。彼らは援助を受ける立場です。ところが彼らはそのような状況の中でも、そこで生かされ、それどころかその命を伝え、それを受け取る人々が起こされたのでした。

アンテオケは当時の世界で、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ、50万とも80万とも人口が伝えられる大都市で、繁栄と共に歓楽と堕落が満ちた町でした。丁度新宿歌舞伎町のようですね。

散らされた人々は、最初はユダヤ人以外にはイエス様の福音を語りませんでしたが、クプロ人とクレネ人がいて、イエス様のことを伝えたとあります。クプロは、アンテオケから地図ではそう遠くない島ですが、クレネは、エジブトの左端の方です。これらの出身ですが、エルサレムに滞在していた時に福音に与ったのかもしれません。この人々が、散らされてアンテオケまで逃れてきました。イエス様の十字架を無理に負わされた人は、クレネ人シモンとありますから、彼がクリスチャンになってここに行ったのではないかとする人もいます。この人々は、自分も生粋のユダヤ人でなかったからか、ギリシャ人にも福音を伝えました。すると、主に帰依する人々が多く起こされました。 

帰依というのは、本来のところに帰ることですね。人間は神様のところに帰ると生かされます。難民であっても彼らは命に満ちていて、それを伝え、ギリシャ人もその命を受け取りました。伝えた彼らは普通の信徒でした。

2)教会はバルナバをアンテオケに遣わした。

22このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。 23彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。24彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。22~24節

異邦人をも愛して救おうとしている神様のみ旨を知って、エルサレム教会はそのことを受け入れたときでした。そこに、アンテオケでも救われる人々が起こされていることが伝わってきました。その時、導きをするためにバルナバが派遣されました。彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人でした。導くために必要なのは、ステパノもそうでしたが、聖霊に満たされた人でした。今は求めるすべての人に聖霊様は来てくださいます。私達も聖霊様を心の中心に「おいで下さい」と祈ると満ちてくださいます。毎日この祈りをいたしましょう。内村鑑三が聖霊に満たされたとき「これだけでほかに何にもいらない」と言う恵みに生かされますように。

そのバルナバは、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ましました。エルサレム教会が始まったとき、2:42そして一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなしました。ここでもイエス様の命をいただいた人々がバルナバから、信仰の導きを受け、受けた人々が信仰に生きて、ますます主に帰する人々が起こされました。

ここでお伝えしたいことは、私達はまず神様を礼拝でみ言葉に生かされ、毎日み言葉をいただき、聖霊様に満たされ、祈ることです。それだけで、神様の恵みによって、命を受け取る方が起こされます。

3)弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。

25そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、 26彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。25~26節

教会が立ち上がり、大勢になったとき、バルナバ一人では導ききれないことを感じたのでしょう。共に働く人をと求めたとき、サウロが示されたのでしょう。サウロはエルサレム教会に受け入れられ、さかんに伝道していた時、使徒9:30で、サウロを殺そうとする人々が起こり、カイザリヤから、生まれ故郷のタルソに送り出されていました。そこでタルソに向かったのでした。昔のことですから、住所が何丁目何番地とか正確に決まっていませんでした。海を渡って、見ず知らずの地に一人の人間を探しに行くことは容易ではなかったと推測できます。海から上がったら、徒歩でいくしかありませんでした。きっと祈りつつ捜したことでしょう。そしてバルナバは見つけました。 

バルナバに引き出されて、サウロは立ち上がりアンテオケに来ました。それから丸一年、教会で集まりをし、大勢の人を教えました。異邦人教会の誕生でした。これ以来、教会の中心はアンテオケに移っていきます。

この人々は「クリスチャンと呼ばれるようになった」とあります。これは、今まではユダヤ教の一派と思われていたかもしれませんが、イエスキリストに結び付けられて、何事をするにも主イエスの名によってなす彼らを見ていた人々が「クリスチャン」とあだ名をつけたのでした。 

自分はヘロデを支持するという人々を「ヘロデ党」と呼ぶように、キリストに結びつく人々を「キリスト党」と呼ぶような名だそうです。

献身というのは、牧師になる人の事のように思っている方がありますが、どんな立場でも、イエス様に結びついてイエス様の導きに従って生きる人は、イエス様への献身者です。「あの人には、イエスキリストがつている」「いつも喜んでいる」「感謝している」「祈っている」これはイエスさまから頂いた命です、と証。したら「クリスチャンーキリストオタク?」と呼ばれるかもしれませんね。

石巻の趙先生は何事をはじめるときも「感謝、感謝、昼でも感謝、夜でも感謝、感謝、感謝、全てに感謝―」と讃美して始めます。

東北大震災の時はいち早く駆け付け、津波で亡くなった方のお店で、救援物資を届けながら、「お茶飲んでいきなさいよー」と声をかけて、寂しい人を慰め、友となって、救いをいただく方が起こされました。「お茶っこハウス教会」ができました。作年キャラバンに行かせていただきましたが、10周年で、コンビニを買い取った教会ができていました。 

普通だとなかなかよそ者には心を開かないと聞いている東北ですが、お年寄りが多く導かれ、短い間に何人もお葬式をしたそうです。天国の命とともに、肉体の墓地も、5つの教会が協力して、教会の共同墓地を造り、安心して洗礼を受けられるようにしました。

祈り 父なる神様、イエス様のお与え下さった新しい命を感謝します。この命は、聖霊様に満たされてこそ流れ出ます。すばらしいイエス様を喜んで証しさせてください。日本のアンテオケのような新宿に、イエス様を受け入れる人々が大勢起こされますように。聖名によってアーメン