2024年4月14日(日)新宿西教会主日礼拝説教「最も大事なこと」第一コリント15:1~10 深谷春男牧師

 

 
「最も大事なこと」、一番重要な信仰の内容を、しっかりと捉えておかないと、わたしどもは試練や困難にあったときに根底から揺らいでしまいます。そのような意味でわたしたちの生涯はしっかりした岩場に自分の生涯を築かないといけません。今日はそのような意味では、「最も大事なこと」という題で御言葉を取り次ぎたいと思います。すなわち、わたしどもの人生の家屋、諸活動の土台をしっかりと立てるべき岩山を、ご紹介しようと思います。
 
【今日の説教箇所の概説】 さて、本日の聖書は1コリント15章です。ここは一般に「復活の章」と呼ばれます。パウロはここで「復活信仰」の大切さを力説します。キリスト教の教えの中心は何か?教会は何を教え、またわたしどもは聖書から何を聞いてゆくのか?これはキリスト教が世界に福音を語るときの最大の課題でした。結論から言うと、福音とは何か?という大問題に発展します。ここでパウロは「最も大事なこと」を宣言します。
 
【メッセージのポイント】
1)  1兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受
けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。 (1,2節)
⇒ 告げ知らされた福音からずれるな!
ここには、キリスト教信仰の一番原点が表現されています。パウロは、コリントの教会が、歴史を経、また様々な文化圏から多くの人たちが集まるに従って、主イエスの語った基本的な福音から大きく変化してゆくのを嘆いて、福音の原点にしっかりと立つようにと諭しています。
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。」
これはいつの間にか語られた福音が、変化して伝承されてゆく姿を語っています。ですから2節には「あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音」に立つようにと勧められます。「2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのです。」福音の原点をしっかりと理解して、主イエスの恵みの中に成長して欲しい。「さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」とまで語られます。全人類を導く恵みの福音が、大きくゆがめられて、福音ではなくなってしまう嘆いているのです。
 この告げ知らされた福音の原点に立つようにというメッセージは繰り返し語られますと共に、これは非常に現代的な課題でもあります。
 3節から「最も大事なこと」として伝えたものはわたしも受けたことであって、これは変えてはいけない「神の福音」なのであると語ります。教会は「福音」を語ります。教会は福音を曲げてはなりません。いつでも「告げ知らされた福音」とは何か?を深く理解してゆかねばなりません。
 今日は「最も大事なこと」という題ですが、先日、この説教の内容の深まりということで、美歌子先生と、「鍵」のことを話し合いました。現代の生活において鍵は欠かせない。わたしたちの持っている鍵もいろんな種類がある。①金庫の鍵。②家の玄関の鍵。③車や自転車の鍵。④パソコンのインテーネットのIDパスなども鍵の一種?(これがないとインターネットも開けない)。⑤キーワード(鍵となる語)、キー・ポイント(重要な鍵となる点)、キー・パーソン(鍵を握る人物)という表現もある。
 
2)3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、(3-4節)
 ⇒ 十字架と復活の信仰!
さて、今日のキーワードは「主イエスの十字架と復活」という内容になります。「最も大事なこと」とパウロは語ります。これが今日の説教題でもあります。「3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」だと語ります。パウロの語るところによりますと、聖書の教えの中で一番大切な教えは、「キリストの死と復活への信仰」であると言うのです。これは、旧約聖書で預言されていたこともっとも大切なことであるというのです。それは人間の最大の問題である「罪と死」の問題の解決として、旧約時代から神様が供えておられたもので、福音とはこの「罪と死の解決」に外ならないとパウロは語ります。これは大変重要な言葉であると思います。皆さん、いかがでしょうか?
クリスチャンになるということは自分の罪を認めること。このような罪深い自分のために主イエスが身代わりとなって死んでくださったこと。そして、イエスキリストを信じて新しい人生に歩み始めることを意味しています。それはちょうど、あの放蕩息子が、人生に行き詰まり、お父さんの許に帰ろうと歩み始めることであり、また、迷子の羊が、羊飼いに見つけてもらい、羊飼いの肩に担われて帰るようなものです。
「十字架と復活」の信仰とは、自分は罪深い存在であり、死ぬべき罪人ですが、主が身代わりになって死んでくださってわたしは赦されました。今、わたしは新しい人生を、キリストの復活の命を生きています、と言う告白です。そしてそれは、神様の永遠の命の中に歩むことであり、死に支配されてむなしい中を歩んでいた者が死をも越えた復活の人生に生きると言うものです。
以前、牧会した教会に中村姉という信仰深い姉妹がおりました。彼女はお祈りをするときに必ず、はじめの言葉で「天のお父様、尊い御宝血をあがめて感謝いたします。・・」と祈り始めました。彼女のお母さまが韓国に宣教した素晴らしい姉妹で、そのお母様の訓練を受けた霊的な姉妹でした。
 
3)8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。9 実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれより
も多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。                   (8-10節)
⇒ わたしではなく、神の恵み!「恩寵あふるるわが生涯!」 
パウロはここで復活の主イエスに出会った人々を語ります。ケバ(=ペテロ)に現れ、12人に現れ500人以上の兄弟たちに同時に現れた。そしてヤコブにも、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば月足らずに生まれたわたしのようなものにも現れた!」と語ります。あのダマスコ途上の、クリスチャン迫害の最中に、彼は復活のキリストに出会って、人生がまったく変えられてしまいました。キリストとの出会いは目からうろこが落ちる体験でした。
さらに10節では、パウロは「神の恵みによって今日を得ている。そしてわたしにたまわった神の恵みは無駄にならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである」と、3回も「神の恵み(ㇻゲ訳は、神の恩寵)=カリス」であったと深く感謝をしています。わたしたちの信仰は「神の恵み」「神の恩寵」への心からの感謝なのです。北海道の伊藤馨先生は、昭和の宗教弾圧の獄中記を描かれましたが「恩寵あふるる記」とその生涯を表現し、今年97歳になられる横山義孝先生の生涯の証しの自叙伝も「恩寵あふるる生涯」です。 
【結論】兄弟姉妹!人生で「最も大事なこと」は、「主イエスの十字架であり復活」です。そこに集約されるのです。不条理に満ちた人生、苦難に満ちた人生、生きる価値を見出せない人生。ヨハネ2章に、主イエスの最初の奇跡は、カナの結婚式で「水がぶどう酒に変化した奇跡」であることを見ました。「主イエスの十字架と復活を信じる生涯」は、何の変哲もない水が、芳醇なるぶどう酒に変わるのです。人生のカギは「主イエスの十字架と復活」にあるのです。「そこに神の恩寵の粋、神の愛と輝く救いの喜びがあるのです。」ハレルヤ。
 
【祈り】 恵みの深い父なる神様。この朝は「最も大事なこと」を学びました。「主イエスの十字架と復活」、これが人生を開くカギであることを学びました。聖書の語る福音に本質をしっかりと聞き、悟る者としてください。人生には多くの試練や困難があります。しかし、主イエスの十字架と復活の恩寵により、わたしどもは罪と死の究極的な問題の解決を得ました。主よ、わたしどもの霊の目を開き、福音信仰の原点にしっかり立つ者とならせてください。新しく迎える一週間も、「恩寵あふるる一週間」であることを教え、導いて下さい。われらの贖いの主、復活の主イエスの御名によって祈ります。アーメン!