2024年7月28日(日)新宿西教会主日礼拝説教「暴風雨の中の教会」使徒12:1~5 深谷美歌子牧師 

 

 前回11章の終わりで、アンテオケ教会が地震被害を受けたエルサレム教会に援助を送った記事を学びました。
 たった一年余りの若い教会でしたが、イエス様の十字架で、無限の赦しを頂いたクリスチャン同志の神の家族の交流でした。
この援助の働きは、イエス様がお送りくださった聖霊様に寄り頼んで、喜んで生きる者、互いに愛するものとされたことの証しでした。
 寄り道ですが、先週は「日本伝道の幻を語る会」で「能登ヘルプ」の講演がありました。日本中の教会から、多くの献金や、物資が届けられました。人的援助として今も石巻から泊まり込んで労してくださっている、趙泳唱先生も幻の会に駆けつけてくださいました。アンテオケ教会がした援助の働きが、現代の教会においても行われていることを目の当たりした講演でした。
 さて本日の個所に入ります。そのころ、とありますが、この援助を持って行った頃と言う意味です。エルサレム教会は大変な状況にありました。援助を使徒達に渡さず、長老たちに渡したとあるのは、迫害の手が及んでいて、使徒達に渡せなかったと見る方もあります。そんな時にクリスチャンたちはどうしたのでしょう。この個所を見てまいりましょう。
 
【聖書箇所の概説】
1節  ヘロデ王が教会を迫害した。
2節  ヨハネの兄弟ヤコブを切り殺した。
3-5節 ペテロも捕え、獄に投じた。教会では熱心な祈りが捧げられた。
 
【メッセージのポイント】
1)世の権力が迫害に加わった。
1 そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、1節
 これまでクリスチャンへの迫害は、パリサイ人とか、律法学者といった、宗教指導者が先頭でした。ところが今日の個所では、ヘロデ王が教会のある者達を圧迫したと書かれています。
このヘロデ王というのは、イエス様がお生まれになったころ、嬰児を殺害したヘロデ大王の孫にあたる王でした。ローマに学んだこともあるヘレ二ストだったそうですが、ユダヤ人の関心を買おうとして、律法を忠実に守ったりしていました。それで、近頃起って来た、クリスチャンを、ユダヤ人が迫害していることを知って、彼も迫害の手を伸ばしたのでした。彼の思いは国民から受け入れられ、良く治めるための手段でした。
けれどもそれは、最高権力者がクリスチャンを迫害する側に回ったことで、外側から見たら、とても勝ち目はないと思えるような出来事でした。当時は、民主主義ではなく、権力者が思いのままに死刑にしたりできる時代でした。
 教会の歴史は、迫害が多かったですね。この時のヘロデもそうですが、この後のローマとか、パウロが宣教する先々で、死ぬほどの迫害に会いました。日本も秀吉とか、家康とか、自分以上の方(神様)を畏れるクリスチャンは迫害されました。
 現代は信教の自由は保障されているようですが、生活の場では、家庭とか、職場で戦いがあるのではないでしょうか?どう対処したら良いのでしょうかこのあとを見てまいりましょう。
 
2) ヤコブをつるぎで切り殺した。
2 ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺した。2節
 迫害の手は、まずヨハネの兄弟ヤコブに及びました。ここにヨハネの兄弟とあるのは、イエス様の肉親の兄弟ヤコブなど、ヤコブと言う名が別にあるからです。このヤコブは、イエス様の12使徒の一人のヤコブでした。
 ここでは、剣で切り殺されたとだけ記されています。捕まった時、教会で祈っていたのでしょうか?何も書いてないので、あっという間に殺されたのでしょうか?ヤコブの死を見てまいりましょう。
 ヤコブの死は、イエス様が預言していたことでした。マルコ 10:35 さて、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。36 イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。37 すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。38 イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。39 彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。40 しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。とあります。ヤコブはイエス様の十字架の後について、苦杯を飲み、バプテスマを受けたのだと言われます。 
 この殉教を見て、ヤコブを訴え出た人がヤコブに赦しを乞い、自分もクリスチャンと言い表して、一緒に切られて死んだという伝説があるそうです。クリスチャンにとって肉体の死は、ドアを開ければパラダイスで、敗北ではありません。こういう形で、神様の御救いを証ししたのでしょう。
 
3)教会では彼のために熱心な祈りが捧げられた。
3 そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。
4 ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりであったのである。5 こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。 3-5節
ヤコブを殺害したことがユダヤ人の意にかなったのを見て、ヘロデは、ペテロも捕えました。時は除酵祭の時であったとあります。イエス様が十字架に付いた時も過ぎ越しの祭りの時でした。この時期は死刑など行うことは禁じられていたので、ヘロデは、獄に閉じ込めておいて祭りが終わったら民衆の前に引き出すつもりであったとあります。イエス様の場合はマタ 26:5 しかし彼らは言った、「祭の間はいけない。民衆の中に騒ぎが起るかも知れない」。と語っていましたが、このきまりもあったのですね。とにかくヘロデは、ペテロを過ぎ越し祭の間は獄に閉じ込めておく予定でした。
その監禁の方法は、ローマ軍に倣っていると言われますが、物々しい警戒ぶりでした。5章でペテロたちを獄に入れて置いた時、5:18 使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。19 ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、20 「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさいと言うことがありました。 
ヘロデもこのことを知っていたのでしょう。四人一組の内二人はペテロの両脇にいて鎖でつなぎ、後の2人が扉をまもっていました。6節。このグループを四つ作り、3時間ごとに交代で、見張っていました。
この厳戒態勢では、到底、脱出することは無理と思われました。この時、教会では、熱心な祈りが神に捧げられていたとあります。
 神様が御計画をもってこの世界に臨んで居られますが、クリスチャンは祈ることができます。良く四方がふさがっていても、天は開いていると言われます。この世の勢力がどんなに強力で、人が手だしできないと思う時でも、天は開いています。一テサ5:16に いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。と教えられています。今、大事な使徒が一人取り去られました。もしここで、ペテロも取り去られたら教会は大変です。大嵐が教会に吹き荒れていました。彼らは、自分達も捕まるかもしれない危険の中で集り、教会によって彼のために熱烈な祈りが捧げられていた。(詳訳聖書)のでした。
イエス様もヨハネ 16:24 に今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。と語ってくださいました。ルカ11:8しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
 11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。とあります。クリスチャンは神様に求め、聞いていただける者とされています。求めるところを神様に熱心に祈りましょう。
私が所属している「ホーリネスの群」は1942年6月26日治安維持法によって牧師が検挙され教会は解散を命じられました。7名の獄死者が出ました。ヤコブのような証言者であったかもしれません。韓国においても教会への弾圧がありました。「たといそうでなくても」という安利淑姉の本があります。天皇を拝まなかったので、捕らえられ、死の手前までいきました。日本の敗戦で、解放されましたが、その間の証しがこの本です。この題名はダニエル書 3:15 あなたがたがもし、わたしが立てた像を拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。16 シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。17 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。18 たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。ここからとられました。
小さな証ですが、この23,24日とこの教会を会場に、「日本伝道の幻を語る会」がもたれました。信仰の継承、能登へルプの現状に目が開かれ御業が起こされますように。というのが祈りでした。機関誌で 「午後9時にお祈りください!と依頼しました。祈りが積まれて、定員60名の参加で、恵まれました。身近な家族の信仰継承や教会の課題、災害復旧、戦争。教会で心を合わせて祈ってまいりましょう。
 
祈り 父なる神様、日本は見える迫害はありません。しかし、家族の信仰継承、災害地での証しの業。世界では戦いがあります。教会で心を合わせて熱心に祈り、御業を証しさせて下さい。   主の御名によって。