新宿西教会平和主日礼拝説教「主に信頼する者は慈しみで囲まれる」詩篇32篇 深谷春男牧師

《平和主日礼拝》「主に信頼する者は慈しみに囲まれる」2024.08.04

詩篇32篇         ― 新生・聖化・献身 ―       深谷 牧師

 「良心は千本の剣である」(シェークスピア)という言葉があります。千本の剣がかわるがわる突き刺すように、良心は内側から罪人の心を刺して、絶え間なく苦しめ悩ますのです。心の内側に罪を隠し、自分の身に罪をそのままにしておくと生きる力を失い、「骨が古びおとろえ、主の手が昼も夜も重く、わたしの力は夏のひでりによって枯れるように、枯れ果て」てしまいます。ダビデ王もふとしたことから罪を犯し、骨が古びおとろえる体験をしました。

【 詩篇第32篇の概略と区分 】  本詩はオリゲネス以来、「7つの悔い改めの詩」(6、32、38、51、102、130、143篇)の中の第2番目の詩として有名。主題は罪の赦しとその祝福。文学類型としては1―7節は「感謝の歌」8―11節は「教訓詩」。ロマ書4章でパウロもこの詩篇を取り上げています。

      1―   5節  新生のさいわい(罪の告白とその許し)           

      6-  7節 恩寵充満のさいわい(救いと慈しみに囲まれた生涯)

 8― 11節  献身のさいわい(駿馬として主に仕える充実の人生)

【メッセージのポイント】           

1)1 そのとががゆるされ、

その罪がおおい消される者はさいわいである。

2 主によって不義を負わされず、

その霊に偽りのない人はさいわいである。  (1、2節)

     ⇒ 新生のさいわい:「罪の告白と赦しを経験せよ!」

「幸いなるかな!」と詩人は冒頭で語り始めます。これは「アシュレー!」という言葉で、詩篇1篇や119篇の冒頭で告白される感嘆の言葉です。マタイ5章での山上の説教でも「幸いなるかな!」の叫びから始まります。「幸いなるかな!罪の赦しを得し人は!」です。わたしたち人間は神に創造されたがゆえに、神に立ち帰らねば、本当の平安がありません。宇宙の根源なる方と和解し、一つとなって歩まねばなりません。しかし、罪が、自己中心がそれを妨げます。罪の赦しと聖霊による潔めが人生の幸福の源なのです。

ここでは3種類の「罪」に関する言葉が出てきます。鍋谷堯爾(ぎょうじ)先生が細かく説明しているので、それをご紹介します。

*「ペシャ」=「とが(口語)」「背き(新共)」と訳されます。これは神の権威に対する反逆を意味しています。もともとの言葉は、「パーシャ」であって、これは「そむく」という言葉です。人間の罪は、神に背き、人に背く、と言う言葉の中に一番よくその性質を示しています。この言葉は、ヤコブのラバンへの非難の言葉の中に(創世記31:36)用いられ、またヤコブが死んだ時に、ヨセフの兄弟たちがヤコブの遺言だと言った言葉の中に用いられます(創世記50:17)。旧約聖書で94回使用されます。

*「ハッター」=「罪(口語・新共同)」的をはずすの意味です。神にある人生の正規の目的から外れることを示している言葉です。これは新約聖書でも罪は「ハマルティア(的外れ)」として、「マルティア(的)」から外れたとして使われます。旧約では178回も使用されます。

*「アオーン」=「不義(口語)」「咎(新共)」邪悪な性質、ひねくれた心を意味しています。この語は動詞「アーワー(ゆがんでいる)」に由来して、心の思いと口と行動が歪んでいることを意味しています。旧約聖書では258回も記されます。わたしたちの心という袋の中に、「背き」、「とが」、「罪」という三つの黒い球が、入っています。それらはくっついたり、増えたり、いろいろの悪い活動をしています。

わたしは自分の罪を告白し、洗礼を受けた日、1969年12月21日を忘れることは出来ません。クリスマスの礼拝の出来事でした。市川忠彦という先生から洗礼を受けました。涙が滝のように落ちて新しい人生が始まりました。夕べの祝会で最年長の白石万亀子姉が『たといわれ、死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ、汝、われとともにいませばなり』…」と暗唱してくださいました。この聖句を一生の聖句としようと思いました。クリスマス祝会を終えて、桜台駅から自分のアパートに帰るまで、わたしは、うれしくてうれしくて、心の喜びを押さえ切れませんでした。町を歩きながら、賛美したり、横に歩いたり、後ろ向きになったり、飛び跳ねたりして帰って行ったのです。夜風がわたしの首に巻き付いて来るような解放の喜びでした。

2)6 このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。

大水の押し寄せる悩みの時にも

その身に及ぶことはない。

7 あなたはわたしの隠れ場であって、

わたしを守って悩みを免れさせ、

救をもってわたしを囲まれる。〔セラ   (6、7節)

⇒ 恩寵充満のさいわい:「救いをもって囲まれ・慈しみで囲まれる人!」

    神と和解した者は人生の根本問題を解決したのです。そこからロマ書8章にあるような圧倒的な勝利の人生が始まって行くのです。その秘訣は「あなたの慈しみに生きる人」(新共同訳)「神を敬う者」(口語訳)という一句です。これは実はもともと一句でできており「ハシディーム」と言う言葉です。

これは「神の慈愛(ヘセド)」から派生した言葉です。詩人は、罪を赦され、神の大きな慈愛に触れた人を「ハシディーム」「主の慈しみに生きる人」、「神の恩寵に生かされた人」と呼ぶのです。それは神の慈愛に一杯に生かされることであり、新約聖書風に言えば、主イエスの十字架の血潮に贖われ、聖霊に満たされた人、と言うことができると思います。いつでも、神の愛、神の命、神の息吹、神の霊に満たされ、勝利の中を歩む信仰者のことです。心の内にキリストの御内住、聖霊の御内住をいただければ、わたしどもはいつも満たされた勝利の歩みがなしうるのです。

たとい、試練の大水の押し寄せる時にも、死の危険が押し寄せる時にも、主が隠れ家となってくださるのです。何たる幸いでしょうか。

この詩には「取り囲む」と言う言葉が2回出てきます。7節に「救いをもってわたしを囲まれる」、また、10節でも、主に信頼するものは「いつくしみ(ヘセド)に囲まれる」と告白されています。「救いの歓声(ロネー ファレット)」と「いつくしみ」をもって囲まれる生涯が美しく歌われます。

赤羽教会の高山慶喜先生はしばしばこのところを語られるときに、江戸の三奇人、蜀山人の歌「この家を 貧乏神が取り囲み 七福神の出る隙間なし」を取り上げて笑わせました。聖霊様がご内住くださり、救いの喜びと神の慈愛をもって取り囲んでくださるのです。どんなに貧乏神や厄病神が、包囲攻撃しようとも、わたしどもは勝利の生涯を全うするのです。

聖霊なる神様に主権を明け渡すことを聖化と言います。「主よ、あなたの贖いの業を感謝します。わたしは救われました。これからは、あなたがわたしの主人となってください」と聖霊様に心の主権を明け渡すことです。主イエスの十字架の贖いを信じて救われることを第一の転機、聖霊なる神へ主権を明け渡して聖化の恵みを受けることを「第二の転機」と言います。

ある時、ケズィック・コンベンションの集会で講師が語られました。英国の救世軍の集会で、英語がよく分からない人が救われました。彼はあるとき、セーターに大きな文字を縫い付けてやってきました。お店に貼ってあった格好のいい文字だったのでそれをそのまま使ったと言うのです。その文字は「オーナーが変わりました!」という文字でした。

 「救い」は新生の恵みと聖化の恵みを受けることです。「ローマ人への手紙」を学んで改めて発見しました。個人の救いは、「新生と聖化」と言うことです。  

「新生の恵み」は、今まで罪と汚れの中で歩み続けた腐った悪臭のする食べ物を入れたどんぶりをひっくり返して(悔い改めて)、キリストの血潮と言うクレンザーできれいに洗い消毒してもらうことです。

「聖化の恵み」はそのきれいになったどんぶりに輝く神の命を満たしていただくことです。神の命、恵みと愛に満ちた恩寵充満の人生を示しています。

3)9 あなたはさとりのない馬のようであってはならない。

また騾馬のようであってはならない。

彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、

あなたに従わないであろう。  (9節)

⇒  献身のさいわい:「駿馬として主に仕える充実の生涯!」

この詩の締めくくりは、わたしどもへの教訓です。これは献身の道です。ある方が、中国の言葉、「良馬鞭影に躍る」と言われます。駄馬やらばのようにではなく、良に馬として主に仕えたいものです。駄馬は叩かれても動かないが、良馬は主人の鞭の影が少し動いただけでも、その意志を察知して即座に、自発的に行動するという意味です。

  わたしも1971年2月12日。21才の時、北区神谷のアパートで、矢内原忠雄先生の「嘉信」を読んで献身の決断をしました。その時は人生最大の試練の時、お先真っ暗の時でした。でもその朝に与えられた聖句は「わが心定まれり、神よ、わが心定まれり。われ、歌いまつらん、たたえまつらん。わが魂よ、醒めよ。筝よ、琴よ、醒むべし。われ、東雲(しののめ)を呼び覚まさん」   (詩編108:1,2節 文語訳)でした。

到底、駿馬とは程遠い、駄馬(文語訳は「うさぎうま」)のような、「ちいロバ」ですが、主にある最高の道を、今日も、主イエス様をお乗せして、よたよたしながらも、喜んで歩んでゆきたいと願っています。

山室軍平先生の解説によると、この詩は神の忠実な僕アウグスチヌスの特別に愛した詩であると言われます。彼は「この詩こそわたしの新生の救いだ」と言って、死の床にあってベッドの傍らの壁に書き付けて、繰り返し暗唱しつつ召天したと伝えられます。早熟で優秀な頭脳を持ったこの青年が、自分の罪と汚れに傷つき、母モニカの涙の祈りと、聖霊の器アンブロシウスとの出会いの中に、ついに古代教会の最大の教父となりました。その恵みの生涯の秘訣はこの詩のうちに隠されているのです。

【 祈 り 】  父なる神よ、詩篇32篇を感謝します。どうぞ、新しく迎えたこの一週間を恵みの中に歩むことができますように導いてください。わたしどもの生涯を、十字架の贖いにより救いを深く体験した「新生の生涯」へ。聖霊の導きの中に神への救いの歓声と慈愛に囲まれた「恩寵充満の生涯」へ。そして賢く、鋭く主の御旨を悟り、それに従う「献身の生涯」へと導きたまえ。ここにこそ、信仰者の生涯の縮図があります。罪の赦し、恩寵充満の恵み、献身の勝利の生涯へとわたしどもを導いてください。わたしどもの内側に、信仰の応答を起こし、わたしどもの教会に、家庭に、そして日本中にリバイバルのうねりを起こしたまえ!御名によって祈ります。アーメン!