ー 紅海徒渉:旧約の救いの原点 ―
夏は、聖会やバイブルキャンプや全国的な集会などが開催されます。そのような時に、わたしたちは、決定的な人生分け目の関ヶ原のような霊的な体験を思い起こし、救いの原点などを確認したいですね。わたしたちの個人の経験でも、家族や民族というレベルでも・・・。
【今日の聖書箇所の概説】
ヘブル書11章は「偉大な信仰者の肖像画の画廊」。「神の救いの歴史経綸」
1~ 3節 信仰とは何か。(神の創造と救済の歴史を知り、その真理を生きる)
4~ 7節 アベル(優れた礼拝)、エノク(臨在信仰)、ノア(み言葉への信頼)
8~19節 アブラハム(信仰義認・信仰の父・イサク奉献・臨在の生涯)
20~22節 イサク(信仰継承)ヤコブ(救いと砕き)ヨセフ(臨在と摂理)
23~30節 モーセ(エジプトの生活、神の民の選択、紅海徒渉、十戒、シナイ契約)
さて、今日の聖書箇所、ヘブル11:29はイスラエル民族の「栄光への脱出」出エジプト記14章、最も有名な救いの原点「紅海徒渉」ヘの言及の箇所です。
【メッセージのポイント】
1)2 「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない。3 パロはイスラエルの人々について、『彼らはその地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった』と言うであろう。4 わたしがパロの心をかたくなにするから、パロは彼らのあとを追うであろう。わたしはパロとそのすべての軍勢を破って誉を得、エジプトびとにわたしが主であることを知らせるであろう」。(2~4節)
⇒パロは「敵は、袋のネズミだ!」と思った!
わたしたちが霊的な戦いをするときに大事なことは、主なる神の御旨にしたがって戦いをする事です。これは聖霊なる神の知恵と力によるのであって勝利は人間的な考えを越えていることを教えています。特に、大きな霊的な戦いは、神様に、信仰を持って、導きに信頼し、祈りつつ進まねばなりません。
ピハヒロテとミグドルの位置は、どちらも現代では確定できないそうです。バアルゼポンは、現在、人の住んでいないマハマディエにあった聖所の位置を示し、これは地中海とシルボニス湖とを隔てる細長い土地の西端にあるとのことです。パロの変心は、だまされたことに対する普通の憤慨ではなく、神が彼の心をかたくなにした結果でした。神は全てを見通して賢い作戦を立てられるのです。
「エジプト人をおびき出してイスラエル人を追わせ、紅海で徹底的に粉砕しようという主の賢い戦略が本節から始まります。イスラエル人が、「引き返して」、海の西岸を下ったことは、パロとエジプトの司令官には、イスラエルは道に迷い、荒れ野と紅海に挟まれ、袋のネズミのように逃げ場を失ったように見えた。」のだと多くの注解は言います。
昔の教会学校の讃美歌にこういうのがあったと年配の姉妹が教えてくれました。「♪ モーセと彼の軍隊は・・ ♪
後ろは紅海 前は敵 進退ここに極まれり・・」
後ろは紅海 前は敵 進退ここに極まれり・・まさに、イスラエルの民は、絶体絶命、袋の鼠のようになってしまいました。しかし、神は、この危機的な状態を全能の御手をもって打ち開き、ご自身の栄光と力の表れと致しました。
「せんかた 尽くれど 望み 失わず」とパウロは言いました(2コリ4:8)。神様に従う道をいつでも第一にしながら歩んで行くときに、主は不思議な、奇跡の業をなされるのです。
2)10 パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、11 かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。 (10,11節)
⇒ 不信仰から来るつぶやきに気をつけよ!
この時、イスラエルの民ははじめは「意気揚々と」出発したのです。しかし、エジプト軍が襲ってきた時に、彼らは恐れて、モーセ達につぶやき、支離滅裂なことを言いました。しかし、それも無理はない。エジプト軍が戦車と馬を戦争のために使ったことはイスラエルに強烈な印象を与えていた。イスラエルはソロモン時代までこのように武装することはなかったのです。「エジプトには墓がないので」と彼らは皮肉を言ったが、古代でも現代でも、エジプトはパロのための巨大な墓であるピラミッドのゆえに、広く知られていた。重大な危機に直面して、イスラエルは恐怖と不信から叫び声をあげました。恐れから来る「つぶやき」に注意しましょう。不信仰は、すべてを「混乱と敗北」へと導きます。試練の時には「臨在の主を仰ぐ」のです。「栄光の主を仰げ!」は池袋西教会の金井為一郎先生の口癖だったそうです。「臨在の主を仰げ!」です。
3)13 モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。 (13,14節)
⇒ 恐れるな!信仰に立て、主を見上げよ!
この13,14節には、神の救いの決定的瞬間が語られています。人間のなすべきことが四つ記されます。
1)恐れるな。
2)かたく立て、
3)救いを見よ。
4)あなたは沈黙せよ!
この4つはとても大切なメッセージに思います。
わたしたちの経験した新約聖書指し示す「救い」も同じです。
「新約聖書決定的救い」 = それは「主イエスの十字架と復活」の出来事であるが、その中でも同じです。わたしたち人間が何かをするのではありません。
- 恐れるな!
- 信仰にかたく立て!
- 主の救いを見上げるのだ!
- 主の前に沈黙せよ!
「主よ、あなたがなしてくださった、十字架と復活の業。罪の贖いと死に対する勝利を感謝します!」と祈る。それだけである。
今朝、主がわたしたちに語られる言葉はこれです。「恐れるな!」
モーセと神の民は荒野と海とに囲まれ、逃げ場のない窮地に追い詰められた格好になった。後ろからは世界最強のエジプトの精鋭の6百両の戦車を先頭に恐ろしい兵隊が、無防備の彼ら難民を呑み込もうとすなけむりを上げて迫っている。しかし、主は言われる。「恐れるな!」。
恐怖のために立つこともできない。逃げ腰、及び腰の民に、主は言われる。かたく立て! そして見上げよ!
かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。き
ょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。救いを仰瞻せよ!神、御自身がなされる救いの業を見上げよ。
神御自身が、全能の手をあげて、紅海の水を二つに割って、道を備えられた。主イエスは十字架にかかり、われらの罪を背負い、身代わりの死を遂げ、更に復活において死の門を打ち砕き、永遠の命に至る道を備えられた。この戦いは主の戦いである。あなたがたは、黙していなさいと言われる。アブラハムの僕が、リベカと出会って、イサクの花嫁としようとしたときに、彼は、主がどのようにすばらしい業をするかと期待して、じっと黙って見つめていた時のように、今、人間的な画策をやめて、主に期待せよと言われる。
先週の5日6日(日、水)のホ群東北夏期聖会において、詩篇23篇、32篇を語りながら、1961年12月21日に、練馬開進教会で、19歳の時に洗礼を受けた証しを致しました。やはり、聖会はいいですね。自分が主イエス様信じて洗礼の恵みを受け、救いの原点を語り、神様に助けられつつ歩んだ、55年の信仰の恵みを語りました。
幸いなるかな!罪の赦しと永遠の命を受けた者の生涯!
幸いなるかな!神の愛と恵みで囲まれたる、聖霊充満の生涯!
幸いなるかな!神様の救いを人々に語る、献身と証しの生涯!
「汝の信仰!汝を救えり!」 すばらしい恵みの聖会でした。お祈り感謝!
4)16 あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。17 わたしがエジプトびとの心をかたくなにするから、彼らはそのあとを追ってはいるであろう。こうしてわたしはパロとそのすべての軍勢および戦車と騎兵とを打ち破って誉を得よう。18 わたしがパロとその戦車とその騎兵とを打ち破って誉を得るとき、エジプトびとはわたしが主であることを知るであろう」。(16~18節)
⇒ まことの神は、イエスキリストの父なる神のみ!
紅海徒渉と、神の栄光がこの14章の主題です。詩編等を読んでいて気が付くのは、神の救いの業を聖書は繰り返して告げます。旧約聖書、新約聖書を通して神様は、はっきりと語ります。第1は出エジプト、イスラエルは紅海を渡って、エジプトの奴隷の地から救われました。第2は主イエスの十字架と復活です。神のなされたこれらの大いなる業を、生涯、忘れることのないようにしっかりと胸に刻みましょう!ハレルヤ
【祈り】主よ。今朝は旧約聖書の中心「紅海徒渉」を学びました。エジプトで400年間も奴隷だったイスラエルの民をあなたは救い出して、ご自分の民をされました。わたしどもも、新約聖書の中心、主イエスの「十字架と復活の贖い」を体験させて頂きました。罪と死の呪いから贖い出してくださいました。主イエスの十字架と復活を信じる信仰により、わたしどもの罪と死の世界を贖い、永遠の命に生きる者として導いてくださいました。あなたの救いの恵みに感謝し、主イエスの御名によって祈ります。アーメン
