新宿西教会敬老礼拝説教「御言を宣べ伝えなさい」Ⅱテモテ4:1~5深谷春男牧師 2024年9月8日

 

 皆さん。おはようございます!今日は新宿西教会では敬老礼拝です。

 皆さんのおうちに、おじいちゃん、おばあちゃん、いらっしゃいますか?きょうは、教会から帰ったら、「おじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとう。元気で長生きしてくださいね。だ~いすき!」って言いましょうね。今日はこの礼拝の最後に、おともだちから、おじいちゃんおばあちゃんにプレゼントがありますから、お楽しみに。

 現代は高齢社会と言われております。感謝しながら元気に人生を歩みたいですね。「白髪は栄光の冠、はげは世の光!」と新潟の齋藤初姉はよく言っておられました。「主を喜ぶことがあなた方の力」(ネヘミヤ8:10)です。旧約聖書に出て来る、モーセなどがよく話にのぼりますね。申命記34章には「120歳のモーセ」が出てきますね。「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」(7節)と記されます。120歳にして眼光鋭く、神の僕として最後の最後まで、生きようとするモーセの風貌が髣髴と浮かんでくるような箇所です。当時、奴隷として400年間も、しえたげられていた数百万のイスラエルの民をエジプトから脱出させ、神の民として整えた神の人モーセ。わたしたちも、神様からの使命に燃えて、120歳になっても、生涯現役で行きたいですね!

 さて、今日の与えられているメッセージは「御言葉を宣べ伝えなさい」という内容です。いよいよ収穫の秋、10月のオープン・チャーチ月間を迎えます。主イエスに出会い福音に出会う方々のために、わたしたちも愛と信仰を持って、祈りつつあゆんでゆきましょうね。

 以前、キリスト伝道会の実行委員長をされたことのある鈴木留蔵兄は、御高齢でも、いつも信仰と気力に満ちたクリスチャンでした。彼は委員会のときに短い奨励をされましたが、定番は、この聖書の箇所を朗読して、熱心にお奨めをされました。わたし自身の経験ではこの聖書箇所からの説教をほとんどしておりません。しかしこの箇所はパウロ先生の晩年の熱き祈りをこめた遺言のような箇所ですので、今日は皆様と共に学んでゆきたいと思っております。

【聖書箇所の概説】 

 テモテへの手紙は伝道者パウロの書いた愛する弟子テモテへの手紙です。テモテはギリシャ名で、「神を畏れる人」あるいは「神を敬う人」と言う意味だそうです。彼はユダヤ人の母親とギリシャ人の父親の間に生まれ、ルカオニア地方のルステラ(新共同訳ではリストラ)で育ちました。パウロの第一回伝道旅行のときに、母ユニケと祖母ロイスと共に洗礼を受けたのだろうと想像されています。第2回伝道旅行のときに、パウロの補助者として宣教についてゆきました。彼は優秀で、すばらしい霊的な器でしたが、少し気の弱いところがあり、胃も弱いところがあったようです。しかし、ピリピ2:19-22のあたりを読むとパウロが絶大なる信頼を寄せていたことがわかります。

 今日の箇所は、福音宣教の厳命です。6節以下を見るとパウロはご自分の死期が近いことを感じており、そのような意味では、パウロの遺言のような手紙です。ここには、神の御前で、キリストの再臨と神の国出現を思いつつなした、厳命としての宣教命令があります。わたしどもも襟を正してその御言葉を聞きたいと思います。わたしどものなさねばならぬ第一のことは「御言葉の宣教」だからです。

【メッセージのポイント】

 まず今日は2節から入ってゆきましょう。

1)2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。            

⇒ 御言葉を宣べ伝えなさい!         (2節)

 今日の聖書箇所は大変ストレートです。「み言葉を宣べ伝えなさい」という福音宣教の命令です。「み言葉」とは「救いの福音」を指しています。すなわち、主イエスの十字架と復活を中心にした神の恵みのおとずれのメッセージです。これを宣べ伝えるように、とパウロ先生は語ります。どうしてみ言葉を宣べ伝えるのでしょうか?この世にはさまざまな価値在るものがあります。面白いものもあります。どうして「御言葉」なのでしょうか?それは簡単です。御言葉は神のことばであり、救いの言葉だからです。

 今年の「日本伝道の幻を語る会」でも、講師の金沢独立教会の岡田仰先生が言われました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:12)。主イエス様以外に救いはない!それゆえにわたしたちは、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます!」と語り告げたいですね。

 更にここでは、「折が良くても悪くても励みなさい」と勧められます。

 高校生だった娘が、夏のキャンプから帰ってきて言いました。「横山義孝先生は、朝の祈り会のところで言いました。『すべてのクリスチャンの本業は福音宣教と証しで、この世の職業は副業なのだ』と語りましたよ。『自分の務めはキリストの花嫁として、主のみ救いを証しし、御言葉を身をもって語ること』なんだって。よく考えてみると確かに、そうだよね。」

2)1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。        (1節)

⇒ 厳かな命令!

ここには厳かな言明があります。若い伝道者テモテに向かってパウロ先生は言います。これから言うことは重要なことですから、テモテ、よく聞くのですよ。これは非常に大事なことです。忘れないように。わたしは神のみ前であなたに言います。「生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で」とはずいぶん仰々しい感じのする言葉です。でもこれはしばしば使われておりまして、(使徒10:42、ロマ14:9,10、1ペトロ4:5)使徒信条でも使用されています。世の終わりの再臨のキリストの出現、その厳かな最後の審判を覚えながら、今あなたに厳かに命じます。「御言葉を宣べ伝えなさい」。

 その一つは礼拝や諸集会に参加することが、宣教の業の第一ではないでしょうか。教会と宣教は密接に関わっています。諸集会は神のみ言葉の宣教の大事なときです。それから、教会を越えた超教派の伝道集会は、そのままずばり、福音宣教のために祈りが結集されたところです。

 小松川教会の牧師であられた、原登先生の「燃える松明」という説教が、「こころの友伝道紙」8,9月号に載りました。

 「人生は戦いであります。偉大な詩人テニスンは88歳の時に有名な「砂州を越えて」という詩を書きました。小説家のバーナード・ショーは80才の時、その最後にもっとも有名な劇を書き、聖書注解者スコットは87歳でヘブル語を研究し初めました。モーセがエジプト王パロとイスラエルを解放せよとの交渉を始めたときは、モーセ80才、アロンは83歳であったと記しています。」アブラハムが、神様の召命を受けたのが75歳でした。(わたしはまだ74歳です。)元気で今日も映像を撮り、処理し、礼拝の動画送ってくださるわれらの川村兄は、実に92歳です。120歳までは28年もあります。わたしどもは全能神様を知り、地上を去って主の御前に立つとき、「善かつ忠なる僕、よくやった!」との主イエス様からのお言葉をいただきとうございます。ハレルヤ!

3)3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。5 しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。        

⇒ 福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たせ! (3-5節)

 聖書は、やがて、「不信仰の時代」が来ることを警告しています。このⅡテモテ3:1~9に書いてある描写は、現代日本の社会、あるいは現代の日本の教会の姿であるかも知れませんね。読んでみましょう。

 「1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。6 彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。」

 15,6年前ですが、わたしのブログに、伝道的な内容を書いたら、関西在住の方が、ひどい中傷じみたことを書きました。彼は「キリスト教の時代は終わった。十字架の贖いのことなど書くな。」とひどいことを一杯書く方で、「どうして、そのようなことを書くのですか?」と聞いたら、「わたしは兵庫県の教会に属し、教会の役員もし、礼拝の司会もしているが、キリストの十字架の贖いなどきくと、胸くそが悪くなる・・・・」と言うような文章で驚いてしまいましたが。その時、Ⅱテモテ3:1~9に、このような忠告が書いてありますと、書き始めましたが、けんかになりそうなので、文章を送るのはやめました。でも、説教の内容に厳しい言葉が続きました。
 主の前にへりくだりながらも、教会の先輩方と共に、「時がよくても、悪くても、神の御言葉を語ってゆきたいと思います。

【 祈 り 】  愛する主よ。恵みの朝を感謝します。どうぞ、今朝、語られたように、高齢の方々を尊敬し、愛して、共に信仰の歩みをなし、御言葉を共に宣べ伝えることができるようにしてください。パウロ先生が遺言のように語られた、厳かな命令としてそれを聞かせて下さい。この秋に、クリスマスに、真に主イエス様に出会い、救われる方々を起こしてください。身を慎み、主を愛し、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしうるものとしてください。主の御名によって祈ります。アーメン