Ⅱテモテ3:14-17 ― 聖書・神様からのラブレター - 深谷牧師
皆さんはラブレターをもらった体験があるでしょうか?
聖書は、「神様からのラブレター」です。
人生には嵐がありますね。早天祈祷会で使っている「アパルーム」などは世界の300万人の読者が、自分の体験した試練の内容が記されます。ガンの体験。愛する者との死別。家庭での出来事。会社での人間関係。嵐にも耐えうる人生の基礎工事は一体、どこにあるのでしょうか?
その第一は「十字架と復活の福音に立つこと」、
その第二は「聖霊の満たしを受けること」。
この二つはキリスト教の中心点です。楕円は中心を二つ持ちますが、キリスト教信仰はこの二つの中心によって成り立つのだと示されています。
今日は第三の主題を学びたい。それは「聖書信仰に立つ」こと。「御言葉にはあなたがたの魂を救う力がある」(ヤコブ1:21)と聖書は語ります。キリスト教信仰は聖書信仰と言い換えてもよいほど聖書と結びついています。
【今日の聖書箇所の概説】
今日の第二テモテはパウロの最後の手紙であると言われています。先週も共に4章を読みました。こそにはパウロの最後の告白が出て来ます。「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。 わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」(4:6-7)、天に召される寸前であることが分かります。
また3章2-5節などを見ますと、世の終わりの様相が記されています。
「2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。」とあります。
乱れた世情のただ中で、聖書がわたしどもをがっしりと支えるのだと語っています。現代の日本の混乱した世界では、聖書に聞くこと言うことは最も大切な内容として心すべきことでしょう。
【メッセージのポイント】
1)14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。 (14-15節)
⇒ 幼い時から聖書に親しめ!聖書はあなたを救いに導く。
キリスト教信仰は聖書の信仰です。日本基督教団の信仰告白は、旧新約聖書は、神の霊感によって書かれ、編集されたという告白から始まることは、心に銘記しておきたいものです。
それは形式的なことだけでなく、実際に、毎週の公同の礼拝で聖書を読み、説き明かしである「説教」が語られます。教会の基礎は聖書にあります。説教を神からの言葉として聞きましょう。
また、毎日、霊の糧で ある聖書を読むことが大切です。聖書を読まないでいると魂は神様の世界がわからなくなります。霊的な健康状態も保てません。パウロはテモテに「あなたは幼い時から聖書に親しんできた・・・」また「聖書はあなたを救いに導く」と語っています。毎日、聖書を読む習慣をつけましょう。
聖書の正しい読み方は「救い」に焦点が合っていることが大事です。聖書全体の内容、創世記からはじまって黙示録にいたるまでの内容を正しくとらえないと、聖書読みの聖書知らずになってしまいます。そのような意味で、聖書はイエスキリストを証しています。主イエスもヨハネ5:46で、ユダヤ人たちに「モーセは わたしについて書いている」と語られました。
ある人が、悩みの中で聖書をぱっ!と開いてでてきたところにしたがって歩もうと、やってみた。そしたら「彼は首をくくって死んだ」というところを開いてびっくりし、あわてて次のところを開いたら「あなたも行って同じようにしなさい」という聖句がでてきたと言います。
聖書の中心は十字架と復活です。
アメリカの16代大統領、エイブラハム・リンカ-ンの母親ナンシ-は36才で労苦のため天に召されました。幼い子供二人を残して最後に語った言葉は「お母さんはあなたがたにどんなりっぱな人になるよりも、毎日聖書を読む人になってほしいの」でした。リンカ-ンは大統領の激務のなかでも生涯にわたって、毎日、神のみ言葉を聞きつつ歩んだと言われます。
2)16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 (16節)
⇒ 聖書は神の霊感によって書かれている。
今日の聖書の箇所は「聖書は神の霊感を受けて書かれたもの」と告白されます。聖書は聖霊によって書かれ、聖霊によって明らかにされるべき書物です。そして聖霊に導かれるときに、神について、救いについての完全な知識をわたしどもに教える神の言であると語っています。
「神の霊感による」と言う言葉は、もともとのギリシャ語では「セオプニューストス」と言う言葉が使用されています。これは「セオス」(神)と「プネオー」(息を吐く)という言葉の合成語です。パウロがここで言いたかったことは「聖書は神によって吹き出された、つまり、神の創造的息の所産であることを意味している」と言われます。「聖書は読みつつ祈り、祈りつつ読め」といわれます。聖書を読むときに、この態度は特に大切です。聖書の真の著者は聖霊であるがゆえです。
以前、渡辺暢雄師が「5本指で支える聖書信仰」という説教をされました。
まず、一本指で支える聖書信仰。先生は一本指の上に聖書を載せて、その不安定な状態を示した上でこのように語られました。「月1、2回ぐらいの礼拝出席、そこでたまに読む聖書の言葉という貧しい霊的な生活。それはどうにか救われてはいるけれども不安定極まりない歩みです」と。
そして二本指で支える聖書信仰。先生は親指と人差し指で聖書を挟んでそれを振って語られました。この状態は、毎週休まずに礼拝で聖書を読み、その生ける神の言葉の説教をしっかり聞く信仰生涯のことです。毎週の定期的な御言葉との出会いによって、信仰生涯はかなり安定してきます。
三本指で支える聖書信仰。講師は親指、人差し指、中指で聖書を握って語られました。「これでかなり安定するでしょう?それは毎日聖書を読む歩みです」。現代では聖書を自分で購入し、自分自身の専用のものとすることができます。聖書を自分で読み始めることです。毎日自分で時間を決めて聖書をお読みになるなら、その人の生涯は潤った豊かなものになるでしょう。
四本指で握る聖書信仰。これは聖書を研究し、深く理解することです。これで信仰生涯は非常に安定します。旧新約聖書の構造や歴史を深く理解することです。木曜日の聖書研究祈り会などは、信仰生涯の支えとなります。
五本指でがっちり握る聖書信仰。それは御言葉を暗唱し、御言葉を食べるように生きる生涯です。そこには安定感と勝利感があります。聖書の基本的な聖句は暗唱しましょう。御言葉を暗唱していると祈りの時「神様、御言葉ではこのように言われているではありませんか。よろしく願いします!」と力が入り、神の言葉に根拠を置き、確信を持って祈れるのです。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)などは最も大切な聖句です。更に聖書黙想の技術を身に付けるとすばらしい力を発揮することになります。これはQT 方式と言って、聖書の主題を的確に捉え、それを自分の生活に適用する技術のことです。これが、教会全体でできると小グループ活動などがたくさん可能になります。それができれば両手で聖書を握るような生涯でしょうか。ハレルヤ。
3)17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (17節)
⇒ 聖書はクリスチャンを十分に整える!
聖書は信仰と生活との誤りなき規範です。そして聖書は、長い歴史の中では、聖書以外のものを教会の規範としたり、正典にしようとする働きや運動がありました。たとえば、異端は、聖書以外に、「モルモン経典」や「原理講論」などをも規範や正典とします。しかし、聖書と同等の位置に立つことはありません。わたしどもは聖書を唯一の正典として信仰告白を致します。ちなみに、日本基督教団発行の「信仰告白の解説」で北森嘉蔵はこのように解説しています。
1、聖書(第一条) 2、贖罪(第二条) 3、赦しと潔め(第三条)
4、教会(第四条)、そして、使徒信条への告白と続きます。信仰告白の第一条は「聖書」なのです。
聖書信仰の人の代表のような先輩にジョン・ウェスレーがいます。彼は「一書の人」と呼ばれました。神の言葉と共に生きた伝道者でした。
ある修養会で講師が語りました。「わたしたちは聖書と共に生きてゆきます。『わたしの聖書』と聖書を肌身離さず待ち歩きます。しかし、この不思議な神の言葉に導かれるときに、あるときから『わたしの聖書』から主客が逆転して『聖書のわたし』となります。『聖書のわたし』と言う逆転が起こった時に、聖書に生かされた人生が始まるのです」。
【祈り】主よ。「聖書は神様からのラブレター」で、わたしどもの信仰告白が「聖書信仰」に裏打ちされていることを学びました。聖書に親しみ、救いに導かれ、この霊感された聖書から、あなたの働きをする者として、十分な整えを持つことができますよう導いてください。御言葉と聖霊の助けにより、勝利と祝福で満たして下さい。イエスの御名によって祈ります。アーメン!
