/《新宿西修養会開会説教》 「神のために働く」 2024・9・29
1コリント3:10-13 深谷美歌子
今日は年一回の信徒修養会の日です。数年前から、日曜の午前の礼拝から午後にかけて修養の時を持っています。今年は「会堂建築について」がテーマで、何度も聞かないと現在に至るまでのことが身につかないという思いから、このテーマになりました。ひとつ思いになって進んでゆきたいと願っています。
その中での礼拝で、どこからメッセージしたらよろしいですか?と祈りながら聖書を読んでいて、本日の箇所が導かれました。新共同訳は見出しがついていますが、3章全体に「神のために力を合わせて働く」という見出しがついています。長いので「神のために働く」とさせていただきました。会堂ももちろん神様のお働きになられる所ですから、本日取り上げるテーマにふさわしいと示されました。
【聖書箇所の概観】
10節 パウロは神様から選ばれてコリントの教会の土台を据えた。
11節 土台はイエスキリスト以外にはない。
12‐13節 その上に家を建てるが、ご再臨の時に残るかで、仕事が明らかになる。
【メッセージのポイント】
- パウロの使命。
10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。 10節
ここでパウロは、特別に神から賜った恵みで、あなた方のところで、土台を据えたと語っています。
使徒行伝を礼拝で学んでいますが、12弟子の筆頭であったペテロも、異邦人が神様の救いの対象であったことは、風呂敷に入っていた動物を食べよとか、ローマの百人隊長コルネリオの家でイエス様の福音を語ったとき、聖霊が異邦人にもくだられたのを目撃して、神様のみ想いを悟って行きました。
そしてパウロは、自分が異邦人の為に召されたことをエペソ3:1-6で語っています。
イエス様に出会う前のパウロは、律法によって義とされると信じて、
ユダヤ人のパリサイ派の一人として、律法を落ち度なく守って生きていました。
クリスチャンが宣べ伝えているイエスキリストは、死んだ人間だと思って、それを救い主と伝えているクリスチャンを迫害しました。ダマスコに入る手前で、復活のイエス様が彼に語り掛け、180度の転換をしました。
パウロは人間の救いは、イエスキリストの十字架の死と、死を打ち破った復活、聖霊の内住による確信以外にない事を、身をもって体験したのでした。ロマ書7:21-25aそれで、この福音を熟練した建築士のように土台として据えたと語ります。
彼は心底からの救いを受けて、これを伝えることを使命としてその後の生涯を生き抜きました。
横山義孝先生が、ユースバイブルキャンプで「クリスチャンの本業は伝道!この世の仕事はアルバイト?」と語ったと娘が言いましたが、この事を使命として生きたいと思います。
西川先生は、日本語学校の先生もしていますが、理解ある理事長で、伝道することを認めてくれています。どころか、伝道者がこの学校に来るときは、学費免除していると先週来てくださったとき、聞きました。林銀理事長も本業は伝道に生きている方だと思います。
2)土台はキリスト以外にない
11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。11節
今パウロの使命が、イエス様に出会って与えられたことを見てきました。私たちクリスチャンも全員この使命をいただいたものです。
自分で真面目に生きてきた人も、強盗殺人をしてしまった人も、遊女も、イエス様に「私も救いが必要です。赦してください」とみ前に出て「わたしのもとに来なさい休ませてあげよう」と赦されたのです。
ある集会で、「私は子供心に、死んだらどうなる?結婚して子供は生きていくかもしれないけれど、死んだら暗いお墓の中にずーといるのだろうか?そして、私は食べ物のない時代で、近所の子がお饅頭を持っていて、それが食べたかった。それで策略を練って弟を誘ってその子も誘って「おままごとをしよう」そして「だれだれちゃんそのお饅頭を分けて食べよ」と言って食べた。こんな悪い子は天国には行けない」と思っていたそうです。天幕伝道で導かれ、信仰を持ったそうです。
正直に自分を見つめるならだれも自分の義によっては救われないことをだれも認めるはずです。クリスチャンはイエス様のゆるしをいただき、永遠の命に入れていただいたものです。
人間の最も必要としている命がここにあります。ですからこの命はすべての人が必要としていて、この命をいただくことが人の命の土台です。パウロがこの土台以外に据えることはできないといったのはこのことです。この命をいただいたお互いは、この土台の上に家を建てます。
3)神様に喜ばれる仕事
12 この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、13 それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。12-13節
この土台が与えられたお互いは、この土台の上に家を建てます。その後の生き方と言ってもよいでしょう。
三匹の子豚のお話を思いました。信仰のお話ではありませんが、わらの家と板の家は、オオカミのひと吹きで飛ばされてしまいました。末の子がレンガの家を造りました。オオカミは吹き飛ばせず、煙突から入ってきたオオカミは下でお湯を沸かしてあって、そこに落ち、オオカミは逃げていきました。
聖書では岩の上に建てた賢い人のお話をイエス様が語られています。勿論岩は、イエス様から頂いた命ですね。
その上に建てる材料が金、銀、宝石、木、草、わらという表現ですが具体的には語られていませんね。
来週から伝道月間ですが、お証しを見せていただいた中に「毎週礼拝で深谷先生の説教を聞くうちに、神様に献身して生きることが解ってきました」とありました。
週日はこの世の仕事をしているかもしれませんが、礼拝を神様に捧げ、聖霊様の導きで、み言葉を悟り、生かされて立ち上がっていく。
毎日み言葉を祈って読む。聖研でみ言葉をいただき、心を合わせて教会のこと、兄姉の必要を祈っていく。神の家族の交わりで生かされていく。永遠の命を今から味わいながら生きられれば「かの日」とは、イエス様のご再臨の日ですが、喜んでお迎えできるのではないでしょうか?
木、草、わら、とは永遠に絶えられない、この世で使ってなくなるようなものではないでしょうか?
深谷牧師が「心はみ言葉の格納庫」と語りますが、確かなみ言葉に聞いて生き続けたく願います。
会堂も、この延長線上で、心を一つにして神様に聞き、建て上げてまいりましょう。永遠の土台であるイエス様の命をいただく方がここで起こされ、その人が、建て上げる一人一人とされますように。
【祈り】
父なる神様、イエス様は私たちを愛し、赦し、永遠の土台の命をお与えくださいました。感謝いたします。毎週神様を礼拝し、生かされ、この命を伝える使命に派遣されて用いられますように。聖霊様にこころの王座においでいただき、満たされ、イエス様に再び会うとき、喜ばれる歩みを選び取らせてください。主の御名によって。アーメン
