エペソ2:1-10 ― クリスチャンの過去・現在・未来 ― 牧師 深谷
以前、埼玉県吉川市で、ベアンテ・ボーマン先生をお招きして「20周年記念礼拝」を開催した時に、先生はここから「恵みにより、信仰によって救われた」(8節)と語られました。思い出深い聖書箇所です。 ハレルヤ。
【今日の聖書箇所の概略と区分】
さて、この聖書箇所は、わたしどもクリスチャンの生涯と信仰を非常によく示しています。18世紀、英国の素晴らしい働きをしたジョン・ウェスレーもここから、記録されただけでも100回以上説教していると言われています。「ウェスレー標準説教53」でも、彼は、この個所を、第一の説教で選び、ここにはクリスチャンの基本的な内容が記されていると主張しています。
第一にわたしどもの過去の姿、
第二に神の恵みに触れた体験、
第三に新しい創造物として、善い業へと導かれていることが記されます。いわば「クリスチャン生涯の、過去、現在、未来」が記されています。
1、過去:死んだ状態-悪しき霊に支配され、この世に倣う生活 1-3節
2、現在:救いの体験-キリストの十字架と復活による救済 4-7節 3、未来:善い業への招きー新創造の神の作品として生きる 8-10節
【メッセージのポイント】
1)1さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 2かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 3また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。(1-3節)
⇒ 過去:死んだ状態-悪しき霊に支配され、この世に倣う生活。
ここで聖書はわたしどもはかつて「自分の過ちと罪のために死んでいたのです」と指摘しています。生きているというのは実は名ばかりで実は、霊的には死んでいたと表現しています。
そして、その実態は、わたしたちが従っていたもの、支配されていたものが何であるかが明言されています。それは「悪の霊」であるといいます。「この世を支配する者」、「かの空中に勢力を持つ者」、すなわち、「不従順な者たちの内に今も働く霊」であると表現しています。そして、そのような生涯は、「肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動してい」ることとなります。パウロはここで、過去の罪の生活を言っていますが、その背景に、この世を支配する悪しき霊の存在、サタンの存在を指摘しています。全く自己中心の生涯はやがて破局を迎えます。それは生まれながらの「怒りの子」、「神の怒りを受けるべき罪びと」であると説明しています。ちょうど、糸の切れた凧のような存在です。悪の風に身を任せて空高く飛んだとしても、ぷっつりと糸が切れて、くるくると風に舞いながら、地上へと転落する。もしも、生まれながらの罪の生活を続けているならば、それは恐ろしい「神の怒り」を恐れつつ生きる、惨めな敗北の生涯になってしまうのです。
わたしも自分の生涯を考えると、高校生の頃に「自分は罪人だ」と悟った時がありました。高校2年生の夏に、倉田百三の「出家とその弟子」「愛と認識との出発」を読んだ時など、忘れられません。ベトナム戦争の頃でもありました。夢の中で、トウモロコシの赤毛のような頭の青年が、「お前はいいな」などと話しかけ、なんとも答えがたい、自分の罪に目が覚める時でした。
2)4しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 5罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 7それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 (4-7節)
⇒ 現在:救いの体験-キリストの十字架と復活の恵みに触れて
4節で「しかるに」とあります。この「しかるに」は重要です。罪の現実があります。過去の傷つけ、傷つけられた現実があります。そこには「怒りの子」と言われる事実がなまなましく続いているかもしれません。しかし、わたしどもは、その罪の支配の現実から目を、天に神様に向けるのです。「しかるに、憐れみに富む神は」とパウロは語り始めます。憐れみ豊かな神に目を止めるのです。4節には神様がわたしどもを、「愛してくださったその大きな愛をもって」「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」と語っています。この4節には「アガペー」が2回使用されます。神の驚くべき愛、この上なき愛が、イエスキリストの十字架と復活という恵みを通して、わたしどもの上に現されたのです。この「神の愛」に触れた者は、死んでいたところから復活し、新しい生涯へと生まれ変わるのです。
ある方はこの箇所には4つの神様の姿が記されていると語っています。「神の愛」そして「神の憐れみ」。これらは何の価値もないわたしどもにそそがれる特別なる恩寵を言います。そして「神の恵み」。これは神様の豊かな世界、われらを包み、反逆するものを受け入れ、罪と死の世界を、愛と命の世界に作り変えて行くのです。そして最後は「神の力」です。神の天地創造の力は、キリストの十字架と復活と言うかたちで現れ、全てを作り変えて行くのです。
私の場合は19歳の時に、練馬開進教会で、深くこの愛に触れることになりました。中村町一丁目一番地の、三畳間の小さな部屋で、洗礼を受ける前日に徹夜で祈った時のことを忘れることができません。クリスマス礼拝の中で洗礼を受けたときは、涙があふれて止まりませんでした。
⇒ 未来:善い業への招きー新創造の神の作品として生きる
ここには大変重要なことが語られます。わたしどもの生涯は、「恵みにより、信仰によって救われた」というのです。それはわたしどもの自分の力によるのではありません。それは神の賜物だというのです。神様はわたしどものために前もって準備して、キリスト・イエスにあって造って下さったと告白しています。わたしたちは、「神の作品」「キリストにあって善い業をするようにと造られた神の作品」であると言うのです。 ハレルヤですね。
