新宿西教会オープンチャーチ第二主日礼拝説教「永遠のいのちへの水を下さるイエスさま」ヨハネ4:3~15西川穂伝道師 2024年10月13日

ヨハネ福音書4:3~15

                    イエス様は、エルサレムで過越祭に行かれたあと(2:23)、旅の帰り道、サマリヤ地方を通って行かれました。ユダヤ人は普通、サマリヤ地方を通る時には、迂回をしていました。ユダヤ人とサマリヤ人との間には争いが繰り返されて、敵対同士となっていたので、通常、ユダヤ人は迂回をしますが、イエス様は、「しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。(4)とサマリヤを通っていきます。この「~しなければならない」は、神様のご計画における必然性を意味しています。イエス様は、何でサマリヤにいくのだろうと思ったら、サマリヤに住む、何百人や何千人という、多くの人がいる中で、これから井戸に水を汲みくにくる、一人の女性と出会うという、神様の御心があったからです。サマリヤ人の救いのために、サマリヤ迂回ルートではなく、サマリヤを通らなければならないのだーと進んで、サマリヤの女性と出会うことになったのです。 

以上のように、「しかし、サマリヤを通らねばならなかった」という御言葉を、私はすごく重く受け止めているのです。

【本日の個所の区分】

1) 4:1―6        イエス様はサマリヤを通過しなければならなかった。            

2) 4:7―12       サマリヤ人女性との対話 

3) 4:13-15、27-30 水を求める。サマリヤ人女性がサマリヤ人伝道の基礎となる。

【メッセージのポイント】

  • 愛は、常識を打ち破る。

南のエルサレムと北のガリラヤの間に挟まれたのが、サマリヤ地方でした。

ユダヤ人は、エルサレムからガリラヤへ向かう時にも、サマリヤは、なるべく通らないようにしました。サマリヤに行くことは、ユダヤ人は、みんな避けていたのです。

ヨハネの4章4節は、「しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。」と書いてあります。しかし、ということが強調されています。

天のお父様から、イエス様は回り道をしないで、サマリヤに行きなさい、と命じられていたのです。イエス様の心の中に回り道をしないで、人々が避けているサマリヤを通らなくてはいけないのだ、と通っていくのです。

イエス様は、そうして、サマリヤのスカルと言う町まで来た時、イエス様はそのスカルの町の外にあった井戸に座っていました。イエス様は、少しお疲れになったのです。 

その時、町から一人の女の人が、みずがめをもって水を汲みに来ました。その女の人は、見慣れないユダヤ人男性が井戸のそばにいたので、ぎよっとしましたけれど、見ないふりをして、さっさと水を汲んで家に帰ろうと思っていました。

この女性は、今まで五人の夫がいたといいます。男の人が何人も変わり、今では、女の人は、ひとりぼっちになりました。寂しくて、つらくて、なさけなくて、他の人と会えないから、独りぼっちで水をくみに来た時、ちょうど、そこにイエス様がいらっしゃったのです。

2) サマリヤ人女性との対話 

その時、イエス様の方から、女性に声をかけました。イエス様は、「水を飲ませて下さい」(7)とお尋ねになり、ここから人生における渇きを巡る対話が展開していきます。

サマリヤ人女性は言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、何で、サマリヤの女の私に、水を飲ませてくれとおっしゃるのですか」(9)。

イエス様は、サマリヤ人女性の心の渇きを全てご存知でした。イエス様は、次のようにおっしゃいました。「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(14)、と。

イエス様は、「永遠の命に至る水」について話されると、女性は、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい。」(15)、と懇願します。

イエス様は、今までサマリヤの女性には、5人の夫がいたこと、今の夫は本当の夫ではないことを言い当てます。女性は、イエス様が女性の隠していた過去をすべて知っているのに驚いて、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。」(19)という認識に至ります。イエス様は、徐々に、サマリヤ人女性に、救い主であることを示していきます。 

サマリヤ人女性のイエス様への理解は、ユダヤ人(9)→預言者(19)→キリストと呼ばれるメシア(25)というように段階を踏んで深まっていきます。

 女性は、自らの家庭状況や心の空しさを見抜かれて、イエス様を預言者であると思いました。こで真の礼拝について、イエス様に質問をぶつけます。「わたしたちの先祖は、この山(ゲリジム山)で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」(20)。サマリヤ人は、エルサレム神殿に対抗して、礼拝の拠点をゲリジム山に定めて神殿を作っていました。

 イエス様は、「あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(21)とお答えになりました。ここでエルサレムとゲリジム山という民族的地理的な対立関係を超えた、霊とまことの礼拝があることを告げました。民族的地理的対立を解消し、ユダヤ人とサマリヤ人双方をイエス・キリストを信じる群れへと招かれているということは、ヨハネによる福音書における平和創出の大切なメッセージであるといえます。

サマリヤ人女性は、イエス様との対話を深めていくにつれて旧約聖書における「救い主」の預言を思い起こしました。女性は、もしかしたらこの人は「救い主」なのかもしれないと思うようになりました。

「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」(25)と女性は答えます。

サマリヤ人の旧約聖書は、モーセ五書だけでしたが、そこからメシア到来を待ち望む信仰が芽生えていたといえるでしょう。 イエス様は、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」(26)とおっしゃって、キリストであると宣言しました。

3) サマリヤ人女性の証がサマリヤ人伝道の基礎となった。

サマリヤ人女性は、町の中に入って行ってみんなを呼びました。

人を避けていた女性が、人々がいる真ン中に出て行ったのです。

女性は、イエス様から心に救いを頂いた時、町の人に飛んで行って、

皆さーん、「すばらしい人に出会いました」、イエス様が、私のことを変えてくださいました、と言ったのです。このように、サマリヤ人女性は証人となり、サマリヤの町でイエス・キリストを皆に伝えて、サマリヤの町の救いの基礎をつくっていきました。

その女性の一生懸命な叫びに、みんながやって来るのです。

「もしかしたら、この人は救い主・キリストかもしれません。」、と叫んだのです。

その女性の真剣な叫びに、人々がやってきます。こんなふしだらな、ふまじめ人を、イエス様のような清いお方は避けるかもしれませんが、逆に、イエス様は近づいていき、本当に乾いている、その女性に癒しを与えたのです。

町からたくさんの人たちがイエス様のところに出てきました。そして、イエス様を信じる人たちがたくさん起きました。イエス様は、今日、私達にも生ける水をくださいます。 

この水を飲む人、イエス様を信じる人は、決して渇くとはありません。私たちも、イエス様から、この水をいただきましょう。

イエス様は、サマリヤ人の女性の苦しみやじ恥、弱さもすべて知って下さり、そのすべてを引き受けてくだささいました。

→みなみななみさんの詩には、「たたかう力もなく。負け続けた私を愛し、私のかわりに苦しみ引き受けた神様の子」という詩があります。

私たちは、イエス様に全てを知られていることを喜びとし、永遠の命が与えられ、新しい人生が与えられるのです。

今日のサマリヤ人の女性のように、辛いことがある、困ったことがある、なかなかうまくいかないことがあっても、しかし、本当に、イエス様は、私たちを、絶対に見捨てないのです。

私たちの名前を呼んでくださっているのです。本当に、神様は、私を愛してくださっているのです。

使徒行伝8章5節では、イエス様の弟子のピリポがサマリヤに行って、イエス様を伝えた時、たくさんの人がイエス様を信じて救われたとあります。

サマリヤの女性の所からこのあとの使徒行伝8章につながっていき、すごいことが起こってくるのです。

使徒行伝8章8節では、「サマリヤの町の人々が、救われて、大きく、喜んだ」、と書いてあります。

口語訳では、「それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった」とあります。

それは、神様のご計画の中で救われた、サマリヤの女性の一生懸命な、自分が救われたというお話から始まったのです。

サマリヤの一人の女性が救われたということが、サマリヤの人々の救いの恵みになったのです。

ヨハネ4章、サマリヤの女性が救われたことの話が、いろいろな人に届いていて、周りの人々が、更に、神様の恵みの広さ、高さ、長さ、深さに触れていったのではないでしょうか。

サマリヤの女性のように、私など絶対に救われない、考えれば考えるほど、大きな罪、失敗をしてきた、神様からも避けられるような問題がある人を、神様は喜んで救うのです。ひどい女性だと話していますが、私も同じようなものだと、話しながら思うのです。先ほど、サマリヤの女性は、町の中に出ていって、サマリヤの人々に伝えたという話をしました。普通、そのサマリヤの女性を、みんなは嫌っているので、その女性の話を聞くはずがないのです。

女性は、本当に喜んで感謝して、キラキラ光って、「皆さーん、イエス様は、救い主ですよー、本当ですよー!」、と言ったのだと思います。そうじゃなかったら、普通は、今まで避けていた人たちの中に行きません。

神様のご計画の中でサマリヤの女性のような人にも、イエス様は近づいていくのです。また、私たちがイエス様を信じたということを、本当に心から話していけば、教会に導かれていく人がいるのですよ、ということを、サマリヤの女性は、伝えているのです。

たった一人の罪深い女性、心が乾いて、この世の水を飲んでも、渇きがとまらないような女性が、永遠のいのちの水、豊かな生ける水を、みなさんに配るものとして変えられていくのです。

祈り) 父なる神様、今日、私たちも、イエス様から、サマリヤの女性のように罪が赦され、永遠の命をいただいて新しい人生が与えられる者として、どうぞお導きください。

イエス様のお名前によりお祈りいたします。アーメン。

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