新宿西教会オープンチャーチ第三主日礼拝説教「神に知られて生きる」詩篇139:1~6来島絵美子神学生2024年10月20日

詩篇139:1~6

             主の御名を讃美いたします。私は、日本基督教団認可校、東京聖書学校からまいりました、2年生、来島絵美子と申します。今日はまだ学びの中にある不十分な者を御教会の10月のオープンチャーチの説教の御用に呼んでいただき、感謝でいっぱいです。わたしは学生としては美歌子先生の後輩にあたり、毎週、貴教会の深谷先生からは、旧約神学や旧約釈義をたっぷり御講義をいただいております。不十分な者ですが、皆様の愛と祈りの中で、お支えいただきたくお願いいたします。

  • さて、今日は、詩篇139篇から語るように導かれておりますので、1節をお読みします。「神は私たちをご存じである」ということを御言葉から共にみてまいりましょう。

主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。 

この言葉を聞いたとき、私たちは2つの気持ちに分かれると思います。

一つは、安心感です。誰にもわかってもらえないと思っていたのに、

この私に関心をもって知っていてくださる。安堵感です。

二つ目は、まずい!ばれた!秘密にしていたあのこともわかってしまったのか!!というはずかしさ。やらかしてしまった~という感覚です。

 どちらの気持ちにも当てはまることはあるかもしれません。

主よ、あなたはわたしを探る。それは つまり、調査し、調べ、私よりも私のことを知っていてくださる。知り尽くしてくださる。それは私たちをおつくりになった神が、であります。私自身も、主に知られて生きているのだと受け取った時、新しい生き方に変えられました。

  • 私は、山口県萩市という明治維新で有名な、教育熱心な町で育ち

ました。「志をもって万事の源とす」という吉田松陰の言葉を小学生から暗唱するような街の雰囲気でした。努力と頑張り、信じればなる、負ければ努力が足らないのだと、両親からも周りからも叱咤激励されながら、文武両道に励む学生生活でした。はじめは、それなりに成果を出し、周りからも褒められるような生活でした。しかし、努力しても成果が出せず、努力をする気力もなくなってきました。褒められる量が少なくなると、自分に関心をもってもらえなくなったと嘆き、高校2年の時から私の心には何か穴が開いてしまっているようでした。そして、その穴は、自分自身も手に負えず、穴が開いていることも理解が追い付かず、無我夢中に、その穴を埋めるように、勉強に励んでみたり、恋愛、結婚、出産と、これで落ち着けるだろうと、自分が幸せになれると思ったことに舵を振ったりしました。しかし、何をしてもこの穴は埋まらず私は30歳になりました。その間に、離婚を経験し、さらに、私には価値がない、だれも私のことを理解してくれない、存在していることすらしんどい、消えたいと、落ち込んでしまいました。

 そのタイミングで、友人が、キャンドル・フォー・ディナーというイベントに誘ってくれました。しかも、町でも有名なおしゃれな古民家を改造したカフェです。行ってみますと、それは、教会の伝道集会でした。

説教者は、「あなたの今吐いている言葉があなたに返ってくるよ」と言われました。その言葉に私は驚きました。他の誰でもなく、私自身が自分なんてと自己憐憫に浸り、自分自身に呪いのような言葉を吐き続け、まだ小学生の娘にも、うまく接することができずに、このままではいけないと思い続けていたからです。私のばれてはいけない穴、内面、良くない部分をピンポイントで指摘されたように思いました。その瞬間。この人の語る神は、私を知っている。いいことばかり言うのではないけれど、確実に私のことを言い当てていると確信しました。私のことを言いあてて、知っている神を、私も知りたくて教会に一歩ふみだしました。私は、知られていたことが嬉しかったので、その神を私は知りたくなり、教会の集会全部に出てみることにしました。礼拝や聖書研究、祈祷会に通うようになりました。私は、その後、洗礼に導かれました。イザヤ書43章4節、「私の目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」という御言葉に出会い、匿名ではなく、ご自身を現して、告白してくださる神と出会いました。私は、誰がなんと言おうと、高価である。尊い。愛されている。取り換えがきくような代わりの代役がいる人間ではなく、たったひとりの、ユニークな神の手と意志によって作られた存在であるという事を受け取りました。尊い存在だと知ると、その生き方は変わります。周りの意見や固定概念、何よりも自分自身がバツ印を付けていたレッテルがもう、気にならなくなりました。私には生きる目的がある。その喜びと確信は、私の空いていた心の穴を埋めるものでした。神は全能であり、ご自身がおつくりになった人、一人一人に関心をもたれています。神は私たちをご存じです。ハレルヤ

  • 二つ目に、 神は、私たちの心の中の思い願いを知っておられる。

ということを見てまいります。

4節 わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。

自分の中ですらまとまっていないその思いでさえも、主は知っておられる。自分の心の中の思いや願いを知ることは実は簡単ではありません。

 「私はこれからの人生どのように生きていきたいのか?」

自分の与えられた命、時間、をどのように使うかが大きな課題でした。不登校の悩みを抱える小学生から、大工としてひたむきに匠の道を歩んできた私の父まで、「自分はこれからどのように生きていくのか?自分は何者なのか?」という問いが実は最大の問いなのであります。

 しかし、この答えは聖書の言葉の中にありました!

 使徒行伝1:8ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

 私は、洗礼のあと、クリスチャンにはなったけれども、海外生活や結婚でも挫折ばかりを味わっていました。どのように世の中で働き、生きて行ったらよいのか、現実を突きつけられた私に、この使徒1:8はストレートな御言葉でした。力を受ける条件はただ一つ、聖霊が降るというのです。力を受けたら、あとは、地の果てまで証人となるというのです。これからの人生、私の時間やいのちをこの福音を伝えるために用いよう。わたしはこうして、献身の道を選びました。

 主が私たちを罪から救い出し、暗闇ではなく、神の子として光に歩むことを教えています。神は、私たちの心の中の思い願いを知っておられるので、 全てをご存じである全能の神にゆだねて歩む献身の人生!

  • 最後に、神は、私のすべてを知っていて守ってくださいます。

みことばから見てまいります。

 5 あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。前からも、後ろからも、私を囲むということは、360度包囲しているということです。隙間なく、もれがなく、安全ということです。

神の御手が、私の上にある。神が、私自身を、直接、支配されるということです。献身の道はバラ色のはずでした。でも、問題は山ずみ。献身のために引っ越し、その一歩踏み出した矢先、中学生だった娘はいじめにより不登校、引きこもりという出来事が起こりました。祈っても、状態は良くならない。娘の気持ちを受け入れることも難しかった。私自身も責められているようで、苦しかった。闘いの日々。ある水曜日、学校には行けないけど、アパートの前にあった教会の祈祷会に行くと指さしました。娘は、その祈祷会に参加し、自分の居場所を見つけました。そして、地域の牧師先生方におせわになり、引きこもりではなくなり、中学時代、良き思い出を作ることができました。その後、島根県にある、キリスト教愛真高等学校というキリスト教主義学校に進学しました。成人した今も繋がる友だちと出会うことができました。音楽ともであい、今は、フリーランスで自分で歌詞を書き、歌を作り、歌っています。明日から、能登半島の災害支援として、能登災害復興支援センター陽だまり891の壁画制作、看板作りなどをする予定です。

 前から後ろから、神様は、人を送ってくださり、助けを与えてくださいました。神の囲みの守りは最強です。神の守りですから。ハレルヤ!

皆様の、この新宿西教会が、全国的にも有名な歌舞伎町で、この教会に託された働きがあると信じ、神の御心が成されるように祈ります。どうか、皆さま一人一人の引き継がれた祈りが、新しい世代の救いと信仰へとバトンタッチされることは、主の最大の喜びであり、主のみこころであると信じます。皆様の、主にお仕えする輝く笑顔に触れて、わたしも大きな力を与え得られました。すべてを知っておられる神様が共におられ、救いの業が御教会から、豊かな祝福となって、起こりますように!       

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