ウクライナでロシアの捕虜から解放された人々の事がニュースで報道されていました。「妻に会うよりも、食物を求めたいと思ったほどだった」と語っている元兵士がいました。体重も減った写真も公開されて、さぞ大変だったと思います。目前の餓えというものは辛いものです。生きている限り食べ物は確かに必要ですね。
人間の世界は、今の欲求が満たされることを求めてきた歴史です。飽くなき追及が今日の世界を造って来たと言えるでしょう。その結果温暖化を招き、人類の危機を招いています。イエス様がこの様な現象が起きたら、再臨が近いと悟れと言われたような世界になっていますね。目を覚ましていましょう。
さて、本日の聖書の個所も「パン」が主題です。人を永遠に生かすパンが与えられていると伝えられています。聞いてまいりましょう。
【聖書箇所の概観】
27-29節 人々の思いは現実のパン。永遠の命のために働きなさい。
41-46節 イエス様は天から来られた方。
47-51節 先祖はマナを食べたが死んでしまった。イエス様の命は永遠に生きる命。
- わたしを探しているのはパンを食べたからだ。
26 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。28 そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。29 イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。 27-29節
イエス様を探して人々は湖を渡ってまで追ってきました。そのわけは、6章の初めに大勢の群衆がイエス様からパンと魚をたべさせて頂いたからでした。5千人の給食という出来事は、他の福音書にも載っていますが、イエス様手ずから分け与えたと書いているのはヨハネだけです。人々は5つのパンと二匹の魚が、イエス様の手から配られると、次々増えて満腹になったのでした。15節にイエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。と言う出来事がありました。14節にしるしをみてとありますが、彼らが思っていたしるしは、モーセが荒野でマナと、ウズラを神様から降らせていただいたように、今の必要を満たしてくれる王のしるしと思ったのです。でも26節ではしるしを見たためではなく、とイエス様は語られています。 イエス様がもたらそうとしていた永遠の命をもたらす神の本当のしるしを見てはいませんでした。
今日でも多くの場合、目前の満たし求めて生きている人々が多いのではないでしょうか?高学歴、高収入、美貌、芸術、科学、素晴らしい人との結婚、快楽。しかしこれらはやがてなくなるものです。
27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。と主は語られました。この「朽ちない食物」は「留まる食物」という表現で、いつまでも満足する価値ある食物のために働きなさいと語られたのでした。ユダヤ人たちの「何をすれば?」との問いは、律法の行いを意識していた問いでした。
それに答えて、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。と語られました。私達がする働きは、イエス様こそ待ち望まれたメシヤ(救い主)であると「信じること」でした。この言葉の表現は、「神が遣わされたイエス様の中に、信じて自分をその中へ入れていく」という表現だそうです。自分の全身をそこに投げ込む決断、しかもこの方を信じ込み続ける、一生継続する信仰生活のことを現した言葉です。
2)ヨセフの子イエスではないか。
41 ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始めた。42 そして言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。43 イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。44 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。45 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。46 神から出た者のほかに、だれかが父を見たのではない。その者だけが父を見たのである。 41-46節
ユダヤ人たちは、イエス様が38節で わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。と、天から下って来たと言ったので、憤慨しました。「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。その時代に生きていたら、私もそう思ったかもしれません。
しかし私達はイエス様がお生まれになったいきさつを知っています。人の血筋によらず、マリヤに聖霊によって宿られ、罪の無い、しかし完全な人間となってこの世界に来てくださったことを知っています。
公生涯に立たれてからは、神でなければできない奇跡、水を葡萄酒に変える。病をことごとく癒す。生まれつきの盲人の眼を開き、耳の聞こえない人を聞こえるようにしてあげました。
先週は来島絵美子神学生が、全てを知っておられる神、を伝えてくださいました。その前の週には西川先生が、人目を避けて、今、現実に飲む水を求めて井戸に来たサマリヤの女性、5人と結婚したが満たされなかった生涯を御存じで、心の底からあふれる永遠の命に招き入れられました。
嵐を静め、死人を生き返らせ、五つのパンと2匹の魚で5千人を養って
くださいました。それらはイエス様が全能の神であることを証しする業でした。神様がこの世界にいますことのしるしでもありました。
極めつけは、十字架の死を受け、聖なる命で、全人類の罪をご自分のもののようにして引き受け、ルカ 23:34 そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と、とりなして死んで下さったのでした。全能で、聖なる神様は、完璧な愛の方でもあることを現してくださいました。
しかも、罪によって入って来た死を打ち破り、復活して下さったのでした。このことはイエス様が十字架にかかる前に何度も語られたのでしたが、弟子達でさえ信じられない出来事でした。
そして聖霊を送る約束の後に弟子達の見ている前で昇天されました。約束の聖霊降臨の出来事をまず弟子達が経験しました。神様の内住、愛、平安、確信を得ました。これら全てがイエス様が神であるしるしでした。
3)わたしは命のパンである。
47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。48 わたしは命のパンである。49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。47-51節
「信じるとは、備えられている命を受けて我が身に結びつける手、自分から率先して命のパンを食べようとする結びつける行動。」と榊原康夫師が説明されています。
この命は、47節、信じる者には永遠の命がある。51節 わたしは天から下ってきた生きたパンである。と現在形で語られています。およそ命を与えることができるものは、それ自身が生きていなければなりません。赤ちゃんを産むためには、母親は生きていなければなりません。それと同じように、イエスが人に命を与えるところのパンであるためにはイエスご自身が命そのものであり、生きておられること、この事が含まれていることは、言うまでもありません-榊原康夫。ほかの人に語られているように聞き流したら、受けることができません。手を伸ばして求めるもの、その中に自分を入れる者が今からこの命に生きるのです。イエス様と同じ助け主聖霊様の御臨在ですね。
ヨハネによる福音書は、他の福音書にある最後の晩餐が無いのですが、先の5千人の給食は、イエス様が手ずから配られ、イエス様の命が全ての人に与えられることの象徴、聖餐式につながると見ることができます。
聖餐式はイエス様の永遠の命に入れられている現在の時ですね。
ロマ 8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。と生かされますように。そのためには、毎日、3度はお食事を頂くように、命のパンをいただきましょう。礼拝は主を仰ぐいのちの源。毎日の早天祈禱会や、聖研・祈禱会でも命のパンを頂きましょう。
本日は召天者記念の礼拝でもあります。ある姉妹が、子供の時から死んだらどうなる?自分はお友達をだましてお饅頭を食べた。こんな悪い子は天国には行けないと思っていた。死んだら、ずーと暗いお墓の中にいるのだろうか?と恐ろしかった。天幕伝道でイエス様の救いを知った。今は自分の町には教会が無いから、造りたいと祈っておられます。
この命は永遠の命です。普通の食物はどんなおいしいものでも、永遠には生きません。信仰の手を伸ばして。今からイエス様の中に生きましょう。
お写真が飾られている皆様はこの命を頂いた皆さんです。愛するご家族、友人がこの命を頂いて欲しいと、天国で祈っておられることでしょう。皆で命のパンを頂きましょう!また天国でお会いすることができますように。
祈り:父なる神様、この世界に生きつつイエス様の生けるパンに信仰の手を伸ばし、今からこの命を味わって生きるものとしてください。先に召されたご家族友人とまみえることができますように。主の御名によって。アーメン
