2024年も、なんと11月の半ばになってしまいました。光陰矢の如し!
教会暦で言いますと、新年は、アドベント(待降節)から始まります。今年のアドベントは12月1日(日)です。べアンテ・ボーマン先生の特別アドベント礼拝の説教と、午後1:30~の「クリスマス。コンサート」をもって始まります。素晴らしい、キリストにある「希望に満ちた1年を迎えましょう。
ということは、教会歴の今年の終わりの日曜日は11月24日。これは、美歌子先生のメッセージとなりますので、今朝の私のメッセージは、教会歴では、2024年最後の主日礼拝説教となり、わたしは今日の説教は黙示録を読みたいということで今日のテキストになりました。
「川は人間の文明の母です。ご存知のように、人類の4大文明、エジプト、メソボタミヤ、インダス、黄河どれも大河の側に発生しました。しかし、やがて、人間の文明は、母なる川を汚し、命のみなもとは死滅寸前にある」。川は人類の文明と大きな関係を持っている。
しかし、考えてみると、これは単に一般的な人間の歴史にのみ当てはまるのみではなく、霊的な現実にも当てはまるのではないか?人間は聖き神の霊を受け、神を恐れて、この地上で成長してきたが、今や、罪と欲望で、いのちの源を枯らしてしまった、と。
結論から言えば、この21世紀の課題は、「わたしたちの魂の内側に、輝く命の水の川の流れを、回復させよう!」とでも言えるのではないだろうか?主イエス様の十字架の血潮で、罪の赦しを体験し、心を神の愛と命で満たしていただいて、聖霊なる神のいのちのみたまの恵みの中を生きたいですね。
【 テキストの概略 】
ヨハネ黙示録の最後、21章から22章は、天国の描写です。そこには、人類の歴史の終局の姿の描写ですね。それは結婚式です。神の都と表現される教会が、花嫁のように飾られて、天から降りてくる。そして、花婿なるキリストがそれを迎える。人間の歴史の終点は、死や破滅で終わるのではなく、神御自身の御手による、新天新地の出現。それはキリストと教会との結婚式なのだという。光り輝く神の都の姿が示され、22章からは、命の水の川が、神の都の中央を流れて、人々を潤し、その川の両岸にはいのちの木が茂り、その葉は人を癒すと語られます。
21:1—8節 新天新地の出現。神自らわれらの涙をぬぐい給う。
9―14節 聖都エルサレム。神の栄光に輝く花嫁の姿。輝く花婿は、主なる、復活の主イエス。キリスト。
15-21節 聖都エルサレムの尺度、城壁、城壁の土台、町の大通り。
22-27節 聖都に神殿なし、太陽、月等の光源なし、神御自身が光。
22:1—5節 聖都に流れる命の水の川の描写。豊かな神の命の充満の象徴。
【メッセージのポイント】
1)、 1天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。(1節)
⇒ 命の水の川:神と小羊の玉座から流れ出る!
この命の水は神と小羊の玉座から流れ出ていました。これはエゼキエル47章の命の水の流れと相呼応しています。命の水は神の至聖所から流れ出るのです。これは、神の聖所から流れる、神の川です。神と子羊の玉座から流れです、水晶のような輝く水の川なのですね。
また、わたしたちの個人的な体験から言えば、主イエスを信じ、信仰の告白をするときに、信仰者の「腹から」命の水は流れ来るのです。ヨハネ4:14、また、ヨハネ7:38で言われていることがわたしたちの生涯に起こるのですね。
主イエスを心に迎え入れる時に、人はいのちの源を得るのです。エレミヤ2:13では、イスラエルの罪は、生ける水の源なる神を棄てて、水溜を掘ったことだと語られます。偶像は水ためであり、神は生ける水の源です。
2)、 1天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。1節
⇒ 命の水の川:水晶のように輝くいのち!
見者ヨハネは、この命の水の川は「水晶のように輝いていた!」と描写しています。それは、生活廃水や科学工場のヘドロで真っ黒に汚れたものではなく、深山の地下水から湧いてくる真清水のようにきらきらと輝く、水晶のような輝きであったというのです。「輝いていますか?いのち…」と、ある教会の車の後ろのコピーを思い起こします。
水晶のようなきれいな水の流れの描写で思い起こすのは、ドストエフスキーの[罪と罰]の中のラスコーリニコフの見た夢です。この小説の中でドストエフスキーは、主人公に4つの印象的な夢を見せます。
- やせ馬を打ちたたく酔っ払いの男の夢。これは小さい時の心のトラウマのような夢。この世界の残酷さに涙する優しい心の持ち主である証明の働き。
- ラスコーリニフコが、老婆殺しをする時の夢です。これは水晶のようなきれいな砂漠に流れる水の幻。彼の信仰心の純粋な思いへの象徴的な夢。
- 老婆がどんなにラスコーリニコフが叩こうが倒れない老婆の夢。自分の罪を恐れるあまりにうなされる姿。
- 最後は、シベリヤの流刑の地で見る、寄生虫による人類全体滅亡の幻のような夢です。
この世界で、真実な神の恵みの水晶のような命の川の流れは、神と小羊の玉座から流れ出るのです。ドストエフスキーもそれを言いたいのでしょう。
3)2川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。 (2節)
⇒ 命の水の川:都の大通りを流れる!
印象深いのは、この命の水の川は、「都の大通りの中央を流れている」ことです。これは神の国の真ん中には聖霊の豊かな命の流れがあることを意味し、わたしどもの生涯のまん中に、一本の命の流れがあることを示しているのだと思います。教会の真ん中を命の川が流れているのです。
昔、若い先生方と、徹夜の祈り会をしたことがありました。その時、村上義治先生が語られました。
「皆さん、わたしたちは今ここで、祈り会、礼拝をしておりますが、霊の目が開かれれば、この、教会の真ん中に、神の川が流れているのが見えるのですね!」
皆さん、教会の真ん中には、「水晶のような命の水である神の川が流れていること」を信じ、そこから命の水を信じて歩みましょう。ハレルヤ
4)2川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そしてその木の葉は諸国の民の病を治す。
⇒ 命の水の川:両岸に命の木、毎月実がなる!
教会の真ん中を聖霊なる神の豊かな流れがある時に、教会の中には豊かな結実がある事が語られます。毎月実がみのるのだと言います。これはチャレンジに富む言葉ですね。わたしどもの教会にも毎月、救われる人の起こる事を祈り続けましょう。聖霊の実と、救霊の実とが毎月実る事を!
5)2川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そしてその木の葉は諸国の民の病を治す。⇒ 命の水の川:両岸に命の木、その葉は諸国民を癒す!
また、この両岸の命の木には、葉が茂っています。この葉は薬用となり、諸国民の病を癒すのです。何という幸いな事でしょうか?心の傷を持つ人々の多い現代、わたしどもは、癒しには大きな関心を持っております。心も肉体も、深いところではつながっています。主は今日も豊かないやしを行なわれる。
今日は、命の水の川と命の木について、焦点を絞って、み言葉を頂きました。わたしどもはこの命の水の川で、満たされ、癒され、良き実を結びましょう。
6)3 もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。(3―5節)
⇒ 命の水の川:天国、神の御顔を礼拝するところ!
最後に、この個所。この箇所も素晴らしい。天国は、僕たちの恵みの礼拝だと記しています。 もはや、呪われるものは何一つなく、神の僕たちは神を礼拝し、神御自身の温顔を仰ぎ見るというのです。もはや夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神御自身が、僕たちを照らし、神の恵みが行きわたるのです。別の方面から見れば、まさに地上の礼拝は、天国を垣間見る、人生のクライマックスなのです。
皆さん、今日は天国について学びました。それは神の国のことです。神の御支配のことです。主イエスの十字架によって贖われ、神の子となり、聖霊なる神様の御内住を頂き、今が天国です。そして、地上生涯を終えれば、主の御許に帰るのです。罪と死から、神の愛と救へと移されているのです。
【祈り】 天の父よ。この朝、わたしどもはあなたの救いの究極としての黙示録の天国の恵みを共に学びました。わたしどもの生涯をいつも、主イエスの十字架の贖いによって、あなたと和解し、あなたの子供となり、永遠の命の世界を生きる者としてください。それはキリストの花嫁としての生涯であり、地上生涯の目標を、「善かつ忠なる僕、よくやった。わが愛する花嫁よ!」との御言葉に置くものとならせてください。いつも、天国に中央を流れる、「水晶のような命の水の川」を覚え、その恵みに潤うものとならせて下さい。十字架、復活、聖霊の満たしの一週間を。主イエスの御名によって。アーメン
