今年、新五千円札の顔となった津田梅子の生涯が注目されることとなりましたが、日本のプロテスタント宣教の歴史のなかで、実は、女性として津田梅子が最初のクリスチャンであったことも忘れてはならないでしょう。
1873(明治6)年、アメリカのワシントンの小さな教会で、当時、8歳の梅子は、自ら志願して洗礼を受けていますが、260年続いたキリシタン禁制が、この年に解禁になったとはいえ、長崎の浦上村のキリシタン三千人は、厳しい迫害を受け、流罪先で、600人もの命が失われるという悲劇がこの年まで続いていたことを思うと、梅子の洗礼の決断は並々ならぬものがあり、梅子自身よりも、その信仰を見守ってきた、ランマン夫妻や当時の、駐米日本弁務官だった森有礼などの配慮により、洗礼式も、目立たないように、地方の小さな教会で密かに行われたのです。
8歳の梅子は、人から勧められて洗礼を志願したのではありません。自ら、イエス・キリストを主であり救い主であると信じ告白し洗礼を受けています。当時、日本にいた弟の金吾が亡くなり、母親が、嘆き悲しんでいるのを手紙で知った梅子は、次のような文を手紙に書いて母親の元に送っています。
「母上の悲しみを慰めて下さる方は神様だけです。金吾は天国に行ったのです。すべては、神様の思し召しなのです」
ここには、日本の精神風土には全くなかった、聖書の真理がみごとに証されています。人間を苦悩から救って下さるのは神様だけであること、死は終わりではなく天国の希望があること、そして、人の人生のすべては神のみ手の中にあること。神は、日本におけるプロテスタント教会の初穂として、わずか8歳の女の子を、福音の証し人として選ばれたのです。
さて、日本の女子教育の先駆者といわれる津田梅子ですが、その人生は順風満帆というわけにはいかず、何度も人生の挫折を味わっています。特に、34歳の時、招かれてイギリスを訪れた時、社会的には活躍をしているように見えて、その信仰は危機を迎えていました。おそらく神様が分からなくなっていたのでしょう。
イギリスの地方都市ヨークを訪れた時、現地の聖公会の司教に、それまで、誰にも打ち明けなかった心の苦悩を告白したのです。
梅子の心の苦しみをジッと聞いていた司教は、梅子の苦しみの原因が、その信仰を失ってしまったことにあると理解し、「あなたは、自分でなんでもやろうとすることをおやめなさい。そうではなく、イエス・キリストに倣うものとなってください」。そう言った司教は、次の聖書の言葉を梅子に贈ります。
「主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識とによって成長しなさい」
これは、起源60年頃に、皇帝ネロの迫害下、ペテロが、ローマに住むクリスチャンに送った最後の手紙のなかの最後の言葉ですが、暗黒のなかにも、クリスチャンが成長できる道を見事に伝えています。
この箇所は、別の訳(フランシスコ訳)では、こうなっています。
「主であり救い主であるイエス・キリストの恵みによって成長し、ますますイエス・キリストを知るようになりなさい」。
実は、このみ言葉を知った時、わたし自身、みずからの信仰について、「お前はどうなのだ」と主から、問いかけられた思いがしたのです。
イエス・キリストの恵みーーなんとたくさんの恵みを受けていることでしょう。しかし、最大の恵みは、イエス様が私の罪のために十字架に架かられ、私を罪と死から救い出してくださったこと、そればかりか、私がイエス様を救い主として信じ心にお迎えした瞬間から、聖霊が私の人生の助け主として、来てくださり、こんな者のために、日々、執成しをしていてくださっているーーこれこそが、イエス様がくださった最大の恵みなのです。ですから、その恵みによって成長しなさいとは、まず、救いの恵みと言う初めの愛に、日々立ち帰ること、そして、聖霊の執り成しのなかで、祈り、生きることを主は求めておられるのです。
クリスチャンにとっての成長とは、たとえて言えば、種から育った植物が成長し、花を咲かせ、実を結ぶように、日々、み霊の実を結ぶことなのだと思い至ったのです。
「しかし、み霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、キリスト・イエスに属する者は自分の肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのである」(ガラテヤ5・16)
私は、長い間、聖霊について、よくわからない時期がありました。目に見えない方ですから、本当に、実感がなかったのです。ある人は、「私は聖霊のバプテスマを受けました」とか「聖霊の力によって、伝道をしましょう」とか、「聖霊」という言葉だけが、氾濫し、その実感がないのです。
新宿西教会に通うようになって10年が過ぎようとする時、私に信仰の危機が訪れました。当時の牧師先生と人間関係がうまくゆかず、別の教会に転会することも考え始めていました。ちょうど、その頃、東京で、キャンパス・クルセードのビル・ブライト総裁によるセミナー「聖霊に満たされるには」が開かれました。
そこで、特に印象に残ったのは「人は、呼吸をしないと死んでしまうように、クリスチャンは、霊的呼吸をしなければ霊的に死んでしまう」という言葉でした。
霊的呼吸とは何か? 神の前に罪を告白すること、これが、息を吐くこと、そして、その罪を愛なる神は赦して下さると信じ感謝すること、それが、息を吸うこと、だと教えられました。
当時、私の心の中には、牧師先生を赦せないという罪が渦巻いていました。自分の方が正しいと思いつつ、人を裁く時、心の平安が全く失われたのです。その時、一つのみ言葉が心に浮かんできました。
「御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。なぜなら、わたしたちは、どう祈ったらよいか分からないが、御霊みずから、言葉に表せない切なるうめきをもって、わたしたちのために、とりなしてくださるからである」。(ローマ8・26) そのセミナーは、夜の9時に閉会となりました。参加者は、次々と、宿泊施設へ向かいます。気が付くと、遠くの席に、牧師先生が一人ぽつんと座っているのが見えました。先生もセミナーに参加していたのです。私の足は、自然に先生の方に歩いて行きます。「先生、わたしを赦してください」 私の口から、自分でも思いもかけない言葉が出たのです。私の顔を驚いたようにじっと見つめていた先生が言いました。「私も同じだよ」。先生も、私が赦せなかったのです。そして、先生の目から涙が滲みました。わたしは、先生の手をしっかり握りました。二人から、祈りの言葉が溢れたのです。その時、わたしが体験したのは、人知をはるかに超えた神の平安でした。喜びが、溢れてくるのです。それは、わたしの信仰人生の中で体験した最高の聖霊体験でした。弱いわたしたちを、確かに、聖霊は、うめくようにとりなしていてくださった。 以来、私と先生の関係は、うそ偽りなく、互いを信頼し合う関係に変えられていきました。
イエス様は、十字架に付けられる前に、弟子たちに、「私は去っていくが、あなたがたに助け主を送る」と言われました。イエス様は、聖霊を助け主と言われたのです。英語の聖書を開くと、「助け主」は、「カウンセラー」となっています。これを見て、私にとって、聖霊と言うお方が、身近になりました。人間のカウンセラーは、他の人には絶対言えないような弱さを聞き出すことからカウンセリングを行います。同じように、わたしたちも、ワンダフル・カウンセラーと言われる聖霊に、どんなことでも相談していいのです。
50年ほど前、韓国の趙牧師の牧会するヨイド純福音教会に一週間ほど滞在して取材したことがありました。その時、趙先生から、驚くようなことを聞いたのです。「わたしは、教会成長のため聖霊の力を求めてきました。しかし、聖霊が、いつの間にか私のビジョンを実現するためのエネルギーのようなものとなっていたのです。でも、主が一番、望んでおられることは、聖霊との親しい交わりだったのです」。趙先生は、この真理を、奥様との関係の中で、主から示されたと言います。超多忙な趙先生です。奥様との親しい関係が崩れそうになった時、ある日、奥さんに、「これから、デートをしましょう」といった時の奥様の嬉しそうな顔が、親しい交わりがどれだけ大切かを知らされたと言うのです。
パウロは、聖霊のとりなしがなければ、クリスチャンは、みこころにかなった祈りはできないと語っています。エペソ人への手紙6章のなかで、クリスチャンの霊的戦いに勝利する秘訣として、聖霊の助けによって、とりなしの祈りをしなさいと勧めています。
「絶えず祈りと願いをし、どんな時でも、御霊の助けによって祈り、そのために目をさましてうむことなく、すべての聖徒のために祈り続けなさい」
(エペソ6章18)
イエス様は、十字架に架かられる前、ペテロに対し、「ペテロ、あなたは、これから、サタンの誘惑に会う。その時、あなたの信仰がなくならないように、とりなしているよ」と言われました。
クリスチャンにとって、いつまでも続く奉仕とは一体、何か。このエペソ人の手紙から、それは、忍耐の限りを尽くして、クリスチャン同志が互いに執り成しをしていくことだと教えられます。なぜなら、クリスチャンは、交わりの中で成長していくように主が教会という共同体を備えて下さっているからです。
今から、40年ほど前、四国は土佐のホーリネス教会で、当時、80歳を越えていた大西晴江さんに初めてお会いしました。その時、教会学校の先生として奉仕していた姿は、やさしさに満ちていました。晴江さんは、18歳の時、極貧の家族を助けるため、花街に身を売られて行きました。以後、芸者の世界で生き抜くことになりました。60歳になったとき、郷里の土佐に帰郷し小料理屋を開き、そこを訪れたクリスチャンの婦人からイエス様の話を聞いたのです。私が会ったときは、身寄りもなく、生活保護を受ける生活でしたが、晴江さんの一日は、朝5時からのとりなしの祈りから始まります。その祈りの手帳には数百名の名前がありました。
最後に晴江さんにお会いしたのは、90歳を越え、老人ホームに入っていた時です。晴江さんのプライバシーはベットの上だけです。交わりをするため、施設のホールの1画に車椅子の晴江さんを囲んでということになりました。ところが、その輪のなかに、一人の老婦人が話に入り込み、突然、自慢話を始めたのです。ところが、晴江さんは、話を遮ることはせず、温かい目でその婦人を見つめており、話が終わるや、「あなたは本当にやさしい人なのね」と言ったのです。すると、その婦人は、ワ~と泣き出し「こんなやさしいこと言ってくれたこと初めて」とまた泣き出したのです。晴江さんの祈りの手帳には、施設にいる老人たちの名前とスタッフの名前も記されていました。スタッフの一人が、「わたしも晴江さんのような生き方がしたい」と言われた言葉が忘れられません。
祈り 救い主なる主イエス様、あなたの限りない恵みと愛を感謝します。
弱い私たちはご聖霊の執り成しがなければ、生きることはできません。
主よ、私たちをあわれんで下さい。そして、御霊の実を結ぶものとして下さい。主の御名によってお祈りします。
