昨年のクリスマス、わたしはふとしたことから、アメリカのクリスマス集会のビデオを見てみたいと思いました。そして、自宅から持ってきたタブレットで検索してみたら、アメリカのどこかの教団でしていたユー・チューブのビデオがヒットして、それを見ておりました。1000人ぐらいの聖歌隊が主を見上げて、クリスマスの喜びを歌っております。讃美している顔が、救い主の誕生を祝って輝いています。それから、素晴らしい讃美が終わると、一人の女性が、「主イエス様を信じた証しの喜び」を語りました。様々な試練を越えて、主イエス様に立ち返った真実な証しに感銘を受けました。集会のクライマックスで、一人の牧師が立ち上がり、メッセージをされました。すべて通訳がついており、内容がはっきりわかりました。このような大きなクリスマス感謝の集会で、講師の牧師は、どのような内容の説教が語られるのか、非常な興味を持って聞いておりました。まじめで誠実そうなこの50代ぐらいの先生が、15分ぐらいのメッセージをしてくださったのです。それは実に明瞭なメッセージでした。その内容は、次の陽でした。
「皆さん。クリスマスおめでとうございます。この時、わたしたちは愛している身近な家族と共に救い主の誕生を祝い、そして全世界のクリスチャンと共に、人類歴史最高の、救い主の到来を祝いたいと思います。わたしは、クリスマスはどのような内容なのかを考えてきました。
クリスマスメッセージの第一は、「救いの確信に立とう」というものですね。この時、ベツレヘムの馬小屋に主イエス様が誕生された。神様の愛とわたしたちの世界の罪と悪は、神様の愛に飲み込まれて、救いが成就したことを知ります。
メッセージの第二は、この神の救い、神の愛のメッセージは、「ゆるしのメッセージ」だと知ることができます。神様がわたしたちを赦し、受け入れ神の子としてくださったのです。今日は、わたしたちの周りの人をゆるす日です。アフリカの友人は、国の内乱で、愛するお父様を殺害された。しかし、彼はクリスチャンとなり、お父さんを殺した人をもゆるしたというのです。わたしはそれを聞いて、深い感動で心が震えました。みなさん、この日、わたしたちの身近な人たちを、すべてゆるす、解放の時としましょう。
そしてメッセージの第三は、「これらすべてに、愛を加える日」です。皆さん、素晴らしいこのクリスマスの恵みを日を、ともに讃美し、喜びで満たしましょう!」
わたしは、このメッセージに感動し、全世界の人々ともとに祝いました。
【 テキストの概略 】
さて、わたしは、このクリスマス祝会の説教を読みながら、ああこの説教者は清野の箇所は語らなかったけれどもこれは、コロサイ書3:12~15だと感じておりました。コロサイ書はキリストとはどのようなお方かということが中心的な主題として描かれております。「内住のキリストこそ神の奥義であり、栄光の望みである」と記されており、キリストを宿して歩む人生の豊かさが証ししております。(コロサイ1:27)。その中でも、今日お読みいただきましたコロサイ書3:12―15は、主イエスの十字架によって罪赦され神の子となり、その愛の豊かさと恵みに満ちて歩む生涯が美しく描かれているところです。病院を退院したら、この聖書を語ろうと考えておりました。
【メッセージのポイント】
1)、12 だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。
⇒ 神に愛されている者の幸い (12節)
クリスチャンの生涯は、ある意味で「愛の生涯」と言っていいことでしょう。しかし、知らねばならないのは、まず、神に愛されているという原点から始めねばならないことです。主イエスの十字架の身代わりにより、この愛に値しない者が、主の命を捨てるほどの愛によって救われたこと、この、驚くべき恵みを知ることから始まるからです。ですから、クリスチャンは「愛の生涯」といっても、傲慢にも、自分は、人を愛する力がある、わたしは人を愛しているので救われているなどと言うことはできないと言うことです。
かつて、吉川教会の時に、片平副牧師の早天祈祷会のメッセージで、先生が高校生のときに、山岳部に入っていて、1699メートルの安達太良山に4人のパーティを組んで登った話を聞きました。その中の一人が途中でばててしまい、その荷物を分担して持ったそうですが、結局は、皆が体調を崩して、下山せざるを得なかったと言う屈辱を体験したと言う話でした。わたしはこれを聞いて、人間の弱さと言うことを特に示されるような思いをいたしました。つまり、人間は他者の重荷を負うことは実際問題になるとママならないと言うことです。片平先生は、人は人の重荷を負うには限界がある。主イエス様の十字架の、身代わりなしには、わたしどもは自分の罪の重荷でつぶれてしまう、と語られました。それゆえに、ここでは、「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」と勧められています。
わたしどもは主イエスの十字架の贖いを信じるとは、自分の罪を認め、自分の弱さを認めたものと言う意味であると思います。聖書のいちばん嫌うのは高慢、傲慢だと思います。主の前に、自分の弱さ愚かさを認めて主イエスの十字架の贖いを受け入れるものとしていただきましょう。そのような意味で「キリスト教信仰とは第1に謙遜、第2に謙遜、第3に謙遜」(アウグスチヌスの言葉)です。
クリスチャンの原点は、神に愛され、選ばれ、贖われているということですね。
2)、13 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 (13節)
⇒ 赦すことのできる幸い
第二番目に、13節から「赦す」と言うことを共に考えてみましょう。主イエスの十字架の贖いを受け入れたものは罪を赦された者という意味です。それゆえに人の罪を赦す者でありたいと思います。主イエスの赦しの心にならってと勧められている。許さないことは自分を牢獄に閉じこめる事でもあります。 人を赦さないと、カッカして眠れないこともあるのです。以前、このような文章を書いたことがあります。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするため」。(マタイ7:1) いつも輝く命に生きる秘訣は人を憎まないことである。赦しの愛に生きることである。人を裁き、人を憎むとわたしたちの心は曇ってしまう。心の太陽なる聖霊なる神は、愛なる霊である。人を裁き、人を批判し、受け入れることが出来なくなる時、魂にかげりがはじまる。しかし、人を愛し、受け入れ、赦すことはたやすい事ではない。ナチスの収容所での経験を余儀なくされた、コリー・テンブームさんの証し。彼女が戦後、ドイツで大きなリバイバル集会を開いた。その時に人々が次々と悔い改めて救われた。その救いを求めて講壇近くに出て涙を流している男性がいた。彼女の心は凍りつくようだった。その男性は、自分の両親や愛する姉を収容所に送った責任者だった。「彼だけは許せません!」と彼女は主に祈った。しかし主は「受け入れなさい」と言われた。彼女は聖霊に助けられつつ、そろそろと、彼に許しと和解の手を伸べた。彼女の魂は10歳の若返るような感動を覚えたという。
「ゆるしあうこと」が三回も語られます。
3)、14 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。 (14節)
⇒ 愛することのできる幸い
ここでは人を愛せよと勧められています。神の驚くべき愛を知った者は人を受け入れていきます。ここでは「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」と語られます。口語訳では「愛は全てを完全に結ぶ帯」であると語られていました。このアガペーの愛(無条件の愛)なくしてどんな衣装もダラリとして締まらない、人生の衣装がすべて乱れてしまうのです。
RSVの翻訳では、この「アガペーの愛」を「パーフェクト ラブ」と訳してありました。すばらしい訳ですね。2000年のキリスト教会の歴史を考えるならば、まさに、アガペーの愛によってわたしたちは完成へと導かれるのですね。
しかし、憎しみと言う問題は大きなものがあります。「人は何故、憎むのか」と言う本を読んだことがあります。ラーシュ・ドージアJr. ピューリツアー賞受賞作家。生物学上から言うと扁桃体の働きだと言っています。人を憎む時、
人は毒素にやられる。血液に毒素を注射しているようなものだと言われます。
あるところに、「人間の寿命」と言う文章が載っていました。 グリム童話の中にある、神が人間の寿命を決定する場面についてです。
まず動物から。
ロバさん、あなたには三十年の寿命をあげよう。神様、結構です。私はロバとして汗水流して働くのに三十年は長すぎます。よし、それなら十八年にしよう。
次は犬さん、あなたにも三十年あげよう。神様、私ももっと短い方がよいです。そうか、では十二年にしよう。
次はサルさん、あなたはどうします。
私は十年で結構です。そうか、それでよいなら十年生きよ。
こんな風に動物の寿命が決められた後に、人間が登場する。
人よ、三十年はどうだね。
とんでもありません。短かすぎます。 そうか、それなら動物たちの寿命をプラスしてあげよう。
そんなことで人間が人間らしく楽しく生活できるのは、若々しい三十年間。その後は、ロバのように働く十八年。その後は犬のようにほえたり、かみついたり、怒ったりする十二年。そして最後は、人の笑いぐさとなり、サルのような余生十年となる。
もちろん、わたしどもは、聖霊様の御内住のもと救いと愛の喜びの世界を与えられています。
【 祈 り 】 父なる神様。恵みの礼拝を感謝します。何よりも、あなたの愛と救いをこのところで確信するものとしてください。そして、あなたの愛で、人々に接し、赦せない思いや、憎しみの捕われから解放し、御霊の満たしの中を、のびのびと恵みに満ちて、生きる者とならせてください。新しい一年あなたの愛と赦しを与えてください。主イエスの御名によって。アーメン
