さて、先週から「ピリピ人への手紙」を礼拝の中で読んでおりますが、わたしは「ピリピ人への手紙こそ」、まさにクリスチャンの恵みの生活を伝える模範のように思えてなりません。今日は「感謝・喜び・愛の心」を学びます。そして3~11節を通しての「信仰の旅・クリスチャンの過去・現在・未来」を、学びたいと思います。
【今日の聖書箇所の概説と内容区分】
ピリピ書1章は以下のようになっています。
1~ 2節 挨拶 「僕」「主にあって」「恵みと平和」に生きる
3~ 8節 パウロのピリピ教会員への「感謝・喜び・愛の心」
9~11節 パウロの祈り
12~14節 パウロの投獄も福音の前進となった
これらのどの箇所をとっても、深い信仰の味わいのある言葉で、わたしたちの信仰生涯を、深く考える導きとなります。
この説教の準備をしているときに、新しく、ある先生の説教に出会い、大変、励まされる思いをいたしました。ここには「クリスチャンの過去・現在・未来」があるというのです。わたしはよく、語る説教の中に「クリスチャンの過去・現在・未来」という説教をいたします。そしてその時の聖書箇所はエペソ2:1~10というところで、これは、ジョンウェスレーの特別に愛した聖書箇所で彼の語った「ウェスレー標準説教53」の中でも第一の説教が「恵みによる救い」となっています。今回は、「ここにも、クリスチャンの過去・現在・未来があるのだ・・・・」と覚えつつ、この個所を読みました。
ある新約学者は、ここにはキリスト者の、具体的にはピリピのキリスト者の過去・現在・未来があるとしています。
それによると3~6節が過去、
7~8節が現在、
9~11節が未来となります。
確かに信仰というのは、一生の旅になぞらえることができます。特にキリスト教信仰はそうです。キリスト者は、信仰の旅人のようなものです。信仰生活には卒業も、引退もありません。生涯を通じた旅のようなものです。しかもこの地上の生涯で終わってしまうような旅ではありません。キリストの日の到来において、死に勝利して復活へと至る旅、これがキリスト者の過去、現在、未来です。
【メッセージのポイント】
1)3 わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、4 あなたがた一同のために祈るとき、いつも喜びをもって祈り、5 あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。 (3~5節)
⇒ クリスチャンの旅の始まり
パウロはピリピの教会の人々に、5節で《最初の日から》、6節で《あなたがたの中で良いわざを始められた方》と語ります。これが信仰の旅の始まりです。それは神が私たちを救いに入れてくださる時から始まります。
17世紀にイギリスのジョン・バンヤンの『天路歴程』には、クリスチャンが背負っている荷物がはずれて、消えうせてしまう場面があります。それは十字架を見上げた場面です。これはキリスト教の救いをよく表現していると思います。荷物は私たちの罪です。罪は私たちに張り付いて、自分では解決できない、どうしようもないものです。それが十字架を見上げた時にはずれたということは、イエス・キリストの十字架が私たちを罪から救うからです。キリスト教の救いは、イエス・キリストの十字架を信じて罪を赦されることです。信仰の始まりは、イエス・キリストの十字架による罪の赦しから始まります。
2)、6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。7 わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである。(6,7節)
⇒ クリスチャンの旅の現在
次に信仰の旅の途中にある現在はどうでしょうか。私たちは信仰の旅を続けています。しかしそれは自由気ままな旅ではありません。パウロはこのピリピ書で、7節《共に恵みにあずかる》と語ります。これは「共に恵みの交わりをする」ということです。「恵みの交わり」、それは教会と結びつきます。教会での礼拝こそ「恵みの交わり」です。この言葉は、「コイノニア」という言葉で、わたしたちの教会でもそのまま「コイノニア」とギリシャ語のまま使いますね。礼拝の後に、語られたみ言葉の内容や、一週間の歩みの体験などを語り合い。「神の恵みを分かち合う」そのような時として、用いるのですね。
信仰の旅は一人旅ではありません。神の民の一員として参加する団体旅行のようなものです。神の民が集まり、共に礼拝をささげる。そこで共に聖書の御言葉を聞き、聖餐を受ける。そこに「恵みの交わり」(コイノニア)があります。その分かち合いの中で、救いの確かさの確認があります。キリスト者の現在は、神の民の一員として教会生活をする団体旅行の中にあります。この団体旅行は具体的には新宿西教会において行なわれるのですが、さらには日本、アジア、世界の教会に集まる神の民の一員としての旅です。これは世界で最も大きな団体旅行です。現在の信仰の旅は、教会生活に結びついています。
先週の火曜日、2月11日の祝日に、わたしたちは「城北アシュラム」という集会を持ちました。この集会は、アメリカのスタンレージョーンズ先生の指導の下で、始められた集会で、「池ノ上キリスト教会」「天門教会」「更生教会」そして「新宿西教会」の4教会を中心に開かれている霊的な集会です。最近は、2月11日の祝日に開催されます。今年は56回目の集会で、担当教会は三鷹の池ノ上キリスト教会でした。主講師は千代崎先生、主題は「神の国と神の義とを求めよ」でした。わたしも「清聴の時」という時間のリードを求められました。わたしは「詩篇71篇」を示され、皆さんと一緒にそれを読み、そこから多くのことを示されました。参加する方々が、詩篇71篇から示されることを話し合いました。また、「祈りの分団」では、飯島紀子姉のリーダーとなった集会で、皆さんの素晴らしい証しを伺いました。飯島紀子姉は、「山崎パン」の社長の奥様ですが、会社や親族の救いのために熱い祈りを注いでおられる方、また、東京聖書学院3年生の神学生の献身の証しや、天門教会の西脇姉の親族の救いのなど、霊的な恵まれた集会でした。千代崎先生のメッセージは詩篇95篇から、それぞれ恵みが語られ、最後の集会では、参加者の恵みと決意が語られ、わたしは、まさにここにも「コイノニア」がある!という思いで帰ってきました。
3)、
10 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、11 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。(10、11節)
⇒ クリスチャンの旅の未来。
最後に信仰の旅の未来はどうなるのでしょうか。どこに向かって信仰の旅は進んでいくのでしょうか。パウロはピリピの教会の人々に、10節《そして、キリストの日に備えて》と語ります。これが信仰の旅の目的地です。この《キリストの日》救いの完成の日です。信仰の旅の終わりは、救いの完成にあります。
《キリストの日》、それはイエス・キリストが再び来られる日です。神の国において神を賛美する日です。死に勝利する復活の喜びです。
キリスト教信仰は、旅にたとえることができます。そしてクリスチャンは旅人ですね。イエス・キリストの十字架による罪の赦しから始まり、教会という神の民の一員としてコイノニアの旅を続け、キリストの日における救いの完成・復活の喜びへと至るのですね。ご一緒に信仰の旅を続けていきたいと思います。
【祈り】恵みの主よ。わたしどもの一週間の旅路の初めに、共に福音にあずかる者として、あなたの御前での礼拝を感謝します。わたしども生涯は、まさに「過去・現在・未来」へとつながる、信仰の旅路です。「救いの初めの日々」「主にある恵みのコイノニアの交わり」「栄光の主にまみゆる日まで」、あなたの「感謝・喜び・愛の心」で過ごす恵みの日々となしてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン
