使徒行伝の13章に入ります。前回までは、ヘロデ王が、使徒ヤコブを切り殺し、ペテロも殺そうとしましたが、獄屋でペテロが消え、探しても見つからないので、カイザリヤに下りました。そこで自分を神と呼ばれてそれを良しとしてふるまっていたとき、主の使いに打たれ、虫にかまれて息絶えました。
そのあとバルナバたちはマルコを連れて、アンテオケに帰ってきました。
本日は、バルナバ達が帰ったアンテオケ教会の出来事の記事を学びます。
【聖書箇所の概説】
1節 アンテオケ教会の指導者のリスト。
2節 礼拝をし、断食していた時、聖霊がバルナバとサウロに任務を与えた。
3節 一同は断食と祈りをして、手を置いて出発させた。
【メッセージのポイント】
1)アンテオケ教会の指導者達。
さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。 1節
エルサレム教会はローマの百卒長コルネリオ達が聖霊の賜物を受けたことで、やっと異邦人も神様の救の対象だと言うことが受け入れられるようになりましたが、アンテオケの教会は、ユダヤ人以外でクリスチャンになった人々がいて、ギリシャ語を話す人々にも語りかけ、信じる人々が多く起こされた新しい教会でした。その事を聞いたエルサレム教会はバルナバを信仰の指導者として派遣し、そのバルナバはパウロをタルソヘ捜しに行き共に信仰の指導をしていたのでした。
けれども本日の13章には、5人の預言する者や教師がいたと書かれています。一コリ2:23 そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とあります。預言する者というのは、神様の言葉を預かって伝える働き、教師は信仰者を導く教えをする働きであったようです。バルナバとパウロだけでは教会が大きくなってきたので、(7、8年)働き人が必要になっていたのでしょう。
そのメンバーは実に多様でした。バルナバは資産家で、慰めの子であり、最初からの指導者でした。
ニゲルと呼ばれるシメオンというのは、ニグロは黒いと言う意味の言葉で、黒人と思われます。マルコ15:21には そこへ、シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。このシモンがクリスチャンになったのではと推測する方もあります。
キレネ人ルキオは、アフリカのクレネ出身者で名前からしても、異邦人からのクリスチャンでしょう。
領主ヘロデの乳兄弟マナエンはヘロデアンテパスと一緒に教育を受けた人で高貴な出身であったようです。
パウロは教会の迫害者だった人で、イエス様に出会った人でした。
神様の働きはこのように、クリスチャンになるまでは、全く立場も、能力も違った人々が一つになって用いられていたことが解ります。
これは教会の縮図でもありますね。イエス様に出会ったと言うことだけが共通で、後は全く違う人々が集まっている所が教会ですね。
2)一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が告げた。
一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。2節
クリスチャン達は礼拝を捧げていました。イエス様に出会った人はまず礼拝を捧げます。聖日は一年に52回巡り来る春ですね。神様に出会い、み言葉に生かされ、神様の命に満たされ、立ち上がります。
断食をしていたとはどんな意味があるでしょう。食事は人間にとって必要なものです。ですが聖書は断食という行為が時々出てまいります。どんな時に出てくるでしょう。この後3節にも一同は、断食と祈とをしてと出てきます。イエス様も公生涯に立たれる時、40日の断食をしたことが記されています。マタイ4:1,2節 さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。2 そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられたと。真剣に神様の御業に当たろうとする時、食事という日常の業を断って、祈りに専心するのが目的でしょう。
凡人の私などは、食べないことに意義があるように思って、最初の断食は、保育所に勤めていた時、3日間の断食をしました。お祈りした覚えはなく、
3日間過ぎた0時に買っておいたパンを食べました。まず思ったことは、「食べたいときに食べ物があるとはなんとありがたい事か、世界には食べ物が無くて飢えている人がいる。食べ物を粗末にしない」ということでした。今でも食べられるものは、捨てないのが私の生き方です。
が、聖書が記す断食は、真剣に神様に向かい、聞いていただきたい祈りを捧げる。あるいは御心を聞こうとするのが目的でしょう。アンテオケの教会では、その断食の祈りが捧げられていました。
その時、聖霊が臨んだのでした。「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。のでした。預言者を通してか、直接皆にそのことが聞き取られたのかは書いてありませんが、内容は皆に伝わりました。神様に真実に従い、聞こうとしている教会に神様のメッセージが臨んだのでした。
それは、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい。でした。びっくりしたのではないでしょうか?
バルナバは教会ができ始めた時から、エルサレムから派遣されて、信仰の導きをしてくれた大切な器でした。パウロは、迫害者だったのに、イエス様に直接出会って、180度向きを変え、しかもこの事が、旧約から待ち望まれたメシヤ、キリストであることをきちんと論証できる力強い教師でした。アンテオケ教会の柱とも言える二人でした。
新宿西教会で言ったら守部さん、長谷川さんを宣教師として送り出しなさいといわれたようなできごとでしょうか?
そして「授けて置いた仕事に当たらせなさい」とは何だったのでしょう。
マタ28:18に イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。これがイエス様が天に帰られる時命じられたことでした。
イエス様が、人間のいっさいの罪の裁きを受けて十字架に死に、罪によって入って来ていた死を撃ち破って復活し、罪の赦し、永遠の命の道が開かれた事を伝え、信じた者にバプテスマを授け弟子とせよ。これが授けられた仕事でした。これは救われた者すべてに与えられた仕事でした。
この時は、直接この仕事に当たらせるために二人を送り出しなさいと教会に命じられたのでした。
3)そこで一同は、断食と祈とをして出発させた。
そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。 3節
この一連の命令は、聖霊様の一方的な計画でした。それをアンテオケの教会の兄弟姉妹は、自分達に命じられたこととして受け取りました。「バルナバさんと、パウロさんに言われたのだから、あなたたちが答えればいいでしょ」とは言いませんでした。教会の兄弟姉妹は、断食と祈りをして、自分達の代表として、二人に手を置いて送り出したのでした。教会に与えられた使命をみんなで担う証しとして、二人に手を置いて送り出したのでした。当時の旅は、乗り物などほとんどなく、船に乗っても嵐に翻弄されることでした。
盗賊に襲われることもよくある事だったでしょう。再び会うことがないかもしれないという思いで送りだしたのではないでしょうか?
宣教の業は全てのクリスチャンに与えられた使命です!横山義孝先生が「クリスチャンの本業は伝道!この世の仕事は副業!」とバイブルキャンプで叫んだようにです。直接宣教に出掛けなくとも共に担います。断食と祈りとか、献金のお捧げ、電話やお手紙。この教会ではバルナバ会が魂に寄り添う働きを担っています。役員の皆さんも教会の業を使命として担っています。諸集会を全部守って恵みを証している方もあります。聖霊の促しに従って。
そうできる働きのもとは、まず自分が頂いた命の素晴らしさを味わっていることです。パウロは教会の迫害者でしたが、赦されました。彼は生涯一コリ 15:9実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。と自覚していました。が、こころの底にあった自分でぬぐいきれなかった罪がぬぐわれた喜びに、ロマ書 7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。とこの命を頂いたことの喜びを伝え続けました。
日本ケズイックコンベンションが火曜日から昨日まで、淀橋教会でもたれました。 特に横田法路(横田ポウロ)先生のメッセージで、ヨセフと家族の物語が心に響きました。ヨセフの家庭はめちゃめちゃだった。お父さんのヤコブ自身がおにいさんをだましたので、家族のありようが解っていなかった。だからヨセフを溺愛し、お兄さんたちの妬みを買い、エジブトで、苦しい生活を送らされた。ポテパルの奥さんの逆恨みによる投獄、献酌官の2年間もの忘却、それらすべての中で神を仰ぎ続けた。その後お兄さん達との再会でも、真の赦しを受け取らせるために、罪は罪として自覚させ、しかしこの日の為に自分は神様から遣わされたのだとお兄さんたちをやさしく赦します。
極めつけは、ヨセフ自身も知らなかった、1500年後にイエス様がこの世界に遣わされた。全人類の罪を担い、信じる者を赦すメシヤの予表であったというものでした。横田先生自身、自分で変えることのできない出来事を前にして「後にて知るべし」との御言葉が与えられた。赦されて生きていると。
先生の宣教の情熱はそこから溢れているのを感じました。
祈り 神様、まだ若いアンテオケ教会に、宣教の為に二人を送り出すようにあなたが命じられた時、教会は自分たちの使命として受け止め、断食と祈りをもって送り出しました。赦された恵みによって共に担わせてください。
